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瞬きの中に

映画や小説でよく見かける、
「大人になると好きなことや人に感動する感覚が鈍くなる」というものが私のところにもやってきてしまったようです。

数年前まで、いや、数ヶ月前までの私はというと、
その人には本当に愛がなかっただけで私はずっと愛し抜く自信があるぞ!みたいな暑苦しいほどの感情があったわけですが、今この瞬間にも何を好きだったかさえわからなくなるようなくらい、その暑苦しかった情熱の火が消えかけてしまっていて、そんな自分にただボロボロ泣いている日々です。

「あれ、いつもこの曲を聴くと心から震えていたのに…」「この映像は私の宝物なのに、何にも感じない…」の連鎖で正直自分を自分と認識できなくなってきたまである。

生きるために働くし、生きるためにご飯を作って食べる、生きるために娯楽に手を伸ばしてみたり、足を運ぶ。全ては「生きるため」にしていることであって、「好きだから」「やりたいから」じゃなくなった。

これは違うのだ。これじゃ私じゃなくてもはや他人だ。気持ちが悪くなってきたのだ。

原因はいくつかあって、自分でもわかっていて、でも簡単には直せないし、できないことで、しばらくこんな自分が続くのかと思うと、毎日は何のためにあるのかわからないし、自分を生かしている時間は無駄なのでは?とすら思えてくる。

だけどこうも思う。
自分は「あの頃の自分」に囚われすぎているのかもな、と。

日々、人間は細胞分裂をして生まれ変わっているし、昨日と完全に同じ自分は今もうこの瞬間からいなくて、それはあくまで細胞の話ではあるんだけど、だけど心も同じで。

毎日たくさんの情報を吸収して生きている、些細なことから大きなことまで、必要なことから不必要なことも。だから少しずつ更新していかなきゃいけない気もする。

もちろん好きだったものは変わってないし、好きなものを好きでい続ける自分でありたい。

あの頃の私を残したままで生きていけるのか、過去の自分はやはり捨てなくちゃ生きていけないのか、自分を更新するたび、上書き保存する度に、数秒前の自分の存在が危うくなって、思い出せなくなることがすごく怖い。どちらを取るか、どちらかを捨てなくちゃ、これとの戦いなのかもしれない。

でも、だけどやっぱりさ、

【好き】を両手に抱えたままあれこれこなしていきたい。二つしかないこの小さな手でもたくさん抱えて生きていたい、苦しくても、わからなくなっても、ずっと抱えていたい、抱くことに意味があると思うから。

言いたいことがまとまらない&完璧な答えが出ないで有名な私ですが、今回もそんな内容ですね。

私は私を大事にしたい、好きをちゃんと抱ける自分でいたい。

今回はこの辺にしとこうかな、終わりが見えないや。

人生みたいだな…、あ、そういえば人生だったね…。


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