コロナファシズムと生々しさ

1945年の戦争が終わったときに、僕はそのとき生まれていないので、ありとあらゆる情報からの追体験でしかないけれど、人々は『生々しく』生きていたんだと思う。戦後10年くらいは、いろんなところに『生々しさ』があった。それはもう沢山の起業伝説から、当時の「暮らしの手帖」に書かれている文章ひとつひとつをとっても、生きることへの執念が滲み出ていて、日々『生々しさ』が偏在していたんだろう。

その後の戦後社会をつくってきた人達は、そのときの『生々しい』苦労、食べものが無いとか、誰々が死んじゃった、とかを、次の世代にそんな思いをさせたくないから、徹底的に社会を精緻に作り込んでいったんだろう。そこに悪気は無かったと思う。

でもまあ、実際作り込まれて、1970年の大阪万博から1980年くらいが一応の完成だったのかなあ。そこから先どんどんどんどん精緻に精緻に、リスクを消す社会を構築していった先が今なんだろう。リスクを消す、ということは、すなわち危険なことを避ける、変数の大きい要素を避ける、つまり『生々しい』ものを避けていくということだ。

『生もの』と、どう相対するか。それはもう例えば人材業界にとっての人間と一緒であり、教育業界にとっての子供と一緒なのだ。

生牡蠣を食うこと・・・美味いけれど、ノロウイルスや食中毒の危険がある。生酒を飲むこと・・・美味いけれど、腐造乳酸菌のリスクがひそむから火入れをする。コンドームなしのセックス・・・言うまでもないだろう。

危険だ、と、言われていることが、うまい・美しい・きもちいい、ことであり、生ものリスクを回避しようという圧力が高まると、そこに対してどうも繊細に感じ取ってしまう。

今年の3月頃、近所の東京都が管理している博物館にマスクを付けないで入っていたときに、なんかもう烈火の如くバイ菌扱いされて「出て行く」って言ってるのに、マスクを持って来てつけさせようとしていた。「とにかく付けないといけないから!」東京都から雇われた近所のおばちゃんなのかなー。「付けないといけない」という強力な指導が東京都からあったのか。それともテレビで見ている情報に漬け込まれていたのか。はたまたその両方に対して盲目的に従順なのだろう。見えている世界と自己の中の恐怖が既に飽和していた。そんなおばちゃんの、剣幕を見ていたときに、あー「一周回った!」って、思った。

そのときふとコロナファシズムっていう言葉が頭をよぎった。

精緻に精緻に完成された社会をつくっていったはずなのに、75年目で遂にまったく同じ現象が起きた。ファシズムが発生した瞬間を見ちゃった。

今更、日本人の同調圧力がどうのとか言う気もないんだけれど。結局、なんで、そうなったかって『生もの』を、『生もの』として扱うことを結局はしてこなかったってことでしょう。その異常さが、非常時になる前からも部分部分では起きていて、パンデミックで遂に凶器(あるいは狂気)として顕在化した瞬間。

その後4月だったか、コンビニでレジの会計待ちで並んでいたら、スーツを着たサラリーマンでたぶん管理職のおじさんが「シッシッ!離れろ!マスクつけろ!」って怒鳴ってきた。そのとき預かっていた子供を連れてベビーカーで狭いコンビニの中で並んでいたから、反転することも、離れることすらできなくて。もう刹那瞬間的に

「おまえみたいなのが世の中悪くしてきたんだよ!!!!」

って、ありったけの声量で怒鳴り返していた。そのおじさんもびびって、いなくなったけど、その状況に更にびびった店員は、並んでいた僕を抜かして次の客の会計をはじめたもんだから「順番抜かすんじゃねぇ!」という話になったわけだが、なんでこうどいつもこいつも生ものの扱いが解っていないんだろう。普段支配的なコミュニケーションばかりをしてそうな管理職のおじさんと、状況に対して盲目的に従順なバイトのおにいちゃん。

昔からどうも常に返り討ちにする刃を磨いてしまっていて、あー、またやっちゃったなぁ・・・・・・・って、思いながら、帰り道で花を拾って子供の機嫌をとってた。人間できてなくてスミマセン。って、思いながらも、以後、密集場所では少なくともこの集団的無意識「コロナファシズム」スイッチを入れないために、一応念のためマスクは持ち歩いている。が、所詮そんなものただのカモフラージュでしかない。モンペもそんな感じで始まったんだろうか。

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