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現代の風水士

現代の風水士 高田 宏臣 さんは道なき藪をナタとノコギリで突き進んでゆく。えっ?そこ、道ないんですけど・・・獣道すらないですけど・・・。っていう所を、竹と青木で埋もれている水源を医者のように切り拓いて行く。ぼうぼうの藪の中で、風がどこから流れてくるか、水がどこを流れて行くかが見えるんだという。そしてその結果としてフィールドに蚊がいなくなったり、涼しい風の吹く環境へと変化する。

「藪は際の木を立たせるように切ることが大事」だから、「際立たせる」という日本語がある。のだと言っていた。

藪の中でまとまって木が倒れて日差しが少しだけ覗き込んでいる場所があった。木は自然に倒れたとしても、そこに倒れる必然性があったのだから、そこを整備してあげれば、風と水が流れるようになる。と。

現代の風水士は、やっていることが「鉄腕!DASH!!」的な感じでもあり、ワークショップは大人の遊び場になっているような感じ。これを動詞でなんと表現したらいいんだろう?間伐とか藪掃除とかではちょっと後ろ向きすぎる。風と水の道を作る作業。風水士は中国でよく見かけるスピリチュアルなものとは違って、やはりこれも非常に科学的なものであり、昭和30年代以降に徹底的に自然状態と建物とを欧米に習って完全に切り離すことで、失ってしまった日本人の本来の土木の風景なのかもしれない。

以下は僕の持論。

日本語には本来「自然」なんていう言葉はなくて、欧米的な『自然と人間を完膚なきまでに切り分ける思想』が、自然なんていう胸クソ気持ちの悪い日本語を生み出させた。日本人に自然保護などという発想は本来的には存在しない。外来的に先進的だとして持ち込まれた砂漠の思想だ。

知床の野性のヒグマを叱りつけることで、35年間襲われずに飼い慣らして暮らしてきた、ある漁師の元に、ユネスコの世界遺産調査委員会から派遣されたアメリカの自然保護研究者は、ヒグマと人間は完全に分かたれた環境で暮らすべきだとして、漁師小屋へ通じる橋の撤去を勧告してきたが、ヒグマを叱りつけることでヒグマと共に暮らしてきた漁師は勧告を断り、アメリカの自然保護研究者はその叱りつける様を、驚異の目で見て強い関心を示しながら帰って行った。

現代の風水士と、ヒグマを叱りつける漁師が脳内で繋がって、日本人の持つ潜在的な価値観を顕在化させてくれる。

僕はそこに、断じて、自然科学などという言葉ではなく、アニミズムの叡智を感じているわけである。アニミズムという精神的な祈りであり、と、同時に科学的な行いであると思う。

高田宏臣 / 土中環境
https://www.amazon.co.jp/土中環境-忘れられた共生のまなざし、蘇る古の技-高田宏臣/dp/4863587007

ヒグマを叱る男
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/episode/te/XR1Q4G4J1K/?fbclid=IwAR1Gnqa9j2REEpgoOSKNIdkdUaU5X11eg7nZIrNUc_KcSolMyucsG9ihMGk

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