ガストの件について、私見

ガストの貼り紙

ガストにとある貼り紙がされていたことで、ネット上は大盛り上がりだった。
Twitterでは「ガストの口調はひどいのではないか」「レッカー呼ぶのはやりすぎだ」
「悪いのは櫻のオタクだ」「いや、日向のオタクも停めていた」
などと、「誰が悪いのか」論争でもちきりだった。

しかしあたしは思う。

誰が悪いとか、どうでもよくない?

人間はそれぞれ「自分が正しい」と思って生きている。例外もいるが。
善いか悪いかは主観でしかなく、誰が悪いか決めることは価値観の押し付けに他ならない。
客観的に見れば「櫻のオタクが、店舗の敷地に車を停めてライブへ行き、店舗にご迷惑がかかった」状況に過ぎない。

怒りの感情に支配されると、物事が見えなくなる。
誰も「どうしてガストに駐車したのか」について語らないのは、起きたことにしか目がいっていないからだ。

駐車場事情

あたしは別日、日向坂が出演した23日(土)にW-KEYAKI FES2022へ足を運んだ。
自家用車で向かったわけだが、駐車場がない。
富士急の駐車場はもちろん満車だし、裏にある第2駐車場も満車。
2.7km離れた富士山駅前パーキングも満車。
同じくらい離れた河口湖駅前パーキングも満車。
3.3km離れた富士吉田市営西裏駐車場も満車。
有料駐車場はすべて満車だった。

選択肢は限られてくる。
店舗や路上に停めるか、チケットを握りしめて帰るかだ。
そうなったとき、帰ることを選ぶ人間はどれくらいいるだろうか?

あたしは14時半に富士吉田に着いた。高瀬さんのファンの集合写真にも間に合いそうな時間だった。
そこから3時間、4時間、駐車場を探してまわった。
開演時間を1時間半過ぎて、ようやく富士急の駐車場に空車が出来て、車を停めることができた。

富士急の駐車場からコニファーフォレストまで、迷いながらたどり着いた。
そこまでの間、何人もの坂道ファンとすれ違った。
コニファーフォレストのそばで、たくさんの人間が音漏れを楽しんでいた。
無券来場者だ。

無券来場の影響

無券来場がなければ、あたしは4時間も時間を無駄にせずに済んだ。聴きたくて楽しみにしていた懺悔も聴けた。
きっと高速バスもホテルももっと余裕があっただろう。
家族連れで富士急ハイランドに行こうと思って、満車で仕方なく帰ったファミリーもいたかもしれない。
ガストに貼り紙がされた当日の駐車場事情は分からないのでこれも憶測に過ぎないが、有料駐車場が空いていれば、周辺の店舗に無断駐車されることはなかったはずだ。
今回ご迷惑がかかったのはガストだけではないということだ。

語るべきは他者の善悪ではない

ここまで無券に対する愚痴を書き綴ったが、大事なのはそれではない。
要は、善悪は簡単には語れないということだ。
今回の無断駐車の件の裏には無券という別の問題が隠れているように、物事は複雑に絡み合っている。
善か悪かを話したところで、過ぎたことはもう元には戻せない。
「無断駐車をした人間がいた」事実はもう変えることはできない。

集団ともなれば、秩序に反する行動をとる人間は一定の割合いるそうだ。
母数が大きくなれば比例してその人数も増していく。
彼らがいなくなったところで、同じような人間がまた別に出てくる。
全員が全員秩序じみた行動をとれる集団は理想でしかない。
われわれが考えるべきことは、他のオタクを矯正することではない。
他者を変えることはできない。大事なのは自分を律することだ。
「あたしは今日も善いヤツでいられているか」と常に考えることだ。

「悪いことしたやつを、どう悪く言ってやろうか、どう正してやろうか」と考えるよりも、「今日は推しのためにどんなことをしてあげようか」と考えるほうが、推しのためになる。
「制裁をしないと、集団のためにならない!」と考える方もいるだろうが、そこまで思いつめる必要はない。誰かがやる。
秩序に反する行動をとる人間が一定数出てくるのと同じように、制裁に走る人間も一定数出てくる。集団とは、そのようにできている。

自分がどうにもできないことを考えていても、精神が病むだけだ。
そんな暇があるなら、推しのことを考えよう。
NO WAR in the FUTURE。語るなら未来を…。
ガストの貼り紙のほうが、よっぽど欅坂の精神を体現している。

ちなみに

交通手段のオススメは電車だ。次からあたしは電車を使う。
記念チケットも、おそらく電車を推奨するために運営が手配したのだろう。
でも「みんなで電車に乗ろう」とは言えない。コロナが怖いから。


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