ほとんどの課題はコミュニティに帰結する②☆

続きです。

先ほども書かせていただいたように、終身雇用課題とか年金とか女性の社会進出とか、医療保険・介護保険とか、社会全体の歪み(少子化や虐待引きこもり等)を考えたとき、一番に考えることは『これからの日本のコミュニティのあり方』だと、私は感じています。

つまり、なにが言いたいかというと、『人は自分の居場所を確保して初めて自分の力を存分に発揮することができる』ということで、その『コミュニティの構築』が鍵になると考えているのです。

ここは、とても大きなポイントになると思っています。

日本という国を改めて考えた時、少子高齢化の人口オーナスにあるこの国は、今まで通りの手法を取っていても、ビジネスで世界と戦うことは困難です。

であれば、そこに固執してどうこう考えるよりも、まずできることとしては、『そもそも私たちはGDPで一位を狙わなくちゃいけないのか?』ということだと思うのです。

以前から書いていますが、人間の働く意義って『幸せになるための手段』であると私は考えています。

皆が『産業で日本は一位を目指す!』という共通目標を掲げていた時はそれでも良いと思うのですが、そうでなくなった今、私たちは、新たな幸せになる方法を考え直しても良いんじゃないかな、というのが私の持論です。

その答えの一つが、フィジーであるのですが、これは『地縁の復活』であり『脱拝金主義』です。

とはいえ、社会のあり方を『二項対立』で捉えているわけではありません。

若い世代は頑張って就労に専念できる環境を確保し、生産労働年齢を過ぎた方々が地域という縁でつながり、安心して生活できる環境を確保するというものです。

そして、この2つの溝を作らないための存在が『子ども』という仕組みです。

働き世代が安心して就労に専念できるよう、地域の治安や子育ては高齢者が支える。

ここで、地域の高齢者と子どもがつながることができます。

そして、週末等に子どもを通じて、働き世代と地域の高齢者が交流できる仕組みを創れれば、『安心して過ごすことのできる環境』は創れると思うのです。

個々に『自分のライフスタイルを考えなさい』というのではなく、地域でライフスタイルをデザインする。

その中で、各々が自分に会ったスタイルを選択できる仕組みを創ることが、今できる一番の策であり、これは脱行政依存にもつながると思っています。

人が集えば何かが生まれる。

人と人が知り合えば、関わりから自分事が増える。

それが損得勘定を超えた『お互いさま』を生むのだと私は考えています。

そして、その集いの場は、『助け合いができる生活圏域』で起こすことが重要。

結局、人間は安定した場所が必要で、それは今の社会では、地域でしか得ることができないというのが私の持論です。

多分ですが、ちょっと目線を変えてみるだけで、今なら日本はいくらでも立て直すことはできると思ってます。

そして、幸せってものは、以外に自分の身近な場所にあるので、過剰な競争社会だけでなく生活圏域にも目を向け、そのことに気づいてほしいなぁ~、と願っている私でした☆

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