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【 自分いじめ 】


以前記事で「解決しようとしない」というお話を書きましたが、私と同じように寄り添いをしている方から「困っている人がいるんだけれどどう寄り添ったら良いかわからない」という相談をよく受けます。今日はそのことについてお話ししたいと思います。



安田女子大学で、非常勤講師になって10年目がきます。
私なりにせっかく私の講義を受けてくれたのだから
何かしらの経験を持ち帰ってもらいたいとよく思っています。
そんな時に安田の学生数人から「寄り添いについてもっと学びたい」というような連絡がありました。
その一つに「現在アルバイトで行っている塾にリストカットしている子がいます。その子が自分のことを慕ってくれていてリストカットしていることも相談してくれたのですが、その子になんて声をかけて良いかわかりません」と相談がありました。

座談会を開いてみた

この相談を受けて私はなおちゃんにすぐに相談してみました。
当事者の方と話すという経験の場は大学生だけでなく成人した私たちでもあまりないのではないでしょうか?
私はたくさんの相談、毎日毎日、何通ものかたの考え、思い、価値観に触れることによって引き出しを増やしてきました。寄り添いに限らず、他者理解というのはどれだけ色んな人の考えに触れられるかで大きく許容範囲が広がるのではないかと思うのです。
色んな意見を聞けば自分の好き嫌いがわかります。
偏見が自分の中にあることにも気がつきます。
また当事者の話を聞けば聞くほど、
「立場」「環境(家庭であったり職場であったり色んな場)」「状態」色んなものが作用して結果があるのだとわかりました。そのうち自分の好き嫌いすらも色んな話を聞くうちに変わってゆくのがよくわかりました。
ですので私の推論を話すよりも当事者の方に耳を傾けるという経験を学生には持って欲しいと思いました。もちろんなおちゃんを傷つけてはいけないので、私も参加しますし、なおちゃんには率直に
「リストカットの経験者としてどうしてしてしまうのかについて話してくれるだけで良いです」と相談しました。
「私でお役に立てるなら」とすぐにOKをしてくれました。
なおちゃんは写真に載せているようなノートにびっしりと
リストカットについてたくさん書き出して客観的に話せるようにしてくれました。
その中で私が印象に残ったのは「自分いじめ」という言葉でした。

この時に改めて感じましたがリストカットやその他の自傷行為も依存症の一つであると感じました。
リストカットが長期化すればするほど自分の意思ではどうにもならなくなる。
自分でもやらない方がいいと分かっていてもやめられないのです。
不安になったり怖かったり自分という存在が不安定になればなるほど
安心感を得るためにリストカットしてしまうのです。
そして構造としては追い詰められた時に自分を守るために他者への攻撃となるのか、自分への攻撃となるのかがあるともわかりました。
他者に危害を加えてはならないとわかっているからこそ
その衝動が自分にむき自分をいじめることで何とかその衝動を抑えている。なので、良かれと思って周りの人が「自分を傷つけるなんてダメよ」とリストカットを否定したとすると、「こんなにも他者を傷つけまいと頑張っているのに」や「そうか、自分はダメな人間なんだやっぱり死ななきゃいけない」と思ってしまうのです。
もちろん声かけをした寄り添う側の人も解決ししてあげたいと思っての声掛けなのですが、依存症に関しての声かけというのはとても難しいと私も日夜思っています。

自分の限界を知る

相談にのってみたけれど具体的に助けることもやめさせることもできなかったと悔やむ人もいます。
今回の相談はリストカットの人への寄り添いですが、
不登校になった子供をどうしたら学校に行かせられるのかというような相談にもすこし似ているかもしれません。
子供が学校に行ってくれることが目的である場合、そうでない結果が出ると親御さん自身が「私は何もできない」という無力感に襲われたりします。
しかし学校に行くという行為そのものもそうであるようにどんな行動も結局は本人でしか興すことができません。
例え親であっても他人が出来ることには限界があるのです。
だからと言って寄り添いの全てが無駄かというと決してそうではないのです。
微力ではあっても無力ではありません。「私には解決できなくてもあなたが解決できるまで一緒に生きてゆくよ」ただそれだけで良いと思うのです。

ここで初めてお互い忍耐力が必要になってきます。
忍耐といってもとてもしんどいという意味ではなく焦らないということです。

しかも当事者も「どうやったらよくなるか?」と解決してもらおうとします。そして聞いた側も助けたいと思ってしまうのです。

ですが、本人じゃないと簡単には行かないという悟りのような感覚をもった忍耐力が寄り添いにも相談した側にも必要になります。
焦らない 結論を出さない
焦らないで同じような話をお互いし続ける。

そのためにも自分自身の思い込みを捨てるには色んな話を聞く何度でも同じ話を聞くのが良いと思うのです。知れば知るほど寄り添い方というものに幅が広がり自分自身も無理せず話を聞けるようになるのではないかと思います。



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