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【大人になれない私たち】


昔、「愛しのルブタン」という曲を作りました。
クリスチャンルブタン 私が大好きな靴のブランド。

もちろん私は自分で買えなくて、優しい妹がお下がりでくれたものをとても大切に履いていたのが留学生のお母さん時代です。


その曲の歌詞で私はこう書きました。「子供の頃に描いた女じゃないけど悪い気はしない」と。
そりゃそうです
まさか、いろんな人のお母さんになったとしても
30を過ぎても妹のお下がりをもらって、お下がりを着て
紅白どころかミュージックステーションなんて夢のまた夢、音楽番組にも出ることもない
とても子供の頃に描いた歌手ではなかったから。

本当に苦しかった

その頃からよくわかっていた事は
年齢を重ねたからといって大人にはなれないという事。

また、親になっても同じでした。

子供を産んだからと言って親にはなれないということ。
私達はいつも覚悟を求められ、
その覚悟を忍耐という言葉で
継続を求められるのです。

とはいえその全てを乗り越えようとする私やいかにといえば
恐ろしいことに単なる 私なのです。

自分が大好きで、自己実現ばかりで

そう、
歌詞に書いたみたいに


子供の頃に描いた女どころか親でもない
とても悲しい何かなんです。


子供を時に犠牲にしているのではないか
なぜ私は母親なのに母親になれないのか

私に相談メールをしてくれる若者の言葉を借りるなら


なぜ私はいい歳して親の脛を齧っているのか
僕は私はもう中学生なのに、
高校生なのに、
社会人なのに

なぜこんななんだ


そう、私たちはいつも、こんななんです。

恐ろしく、とても怖いけれど、

これっぽちのこんなものなんです。

でもそれを積み重ねて、積み重ねて、積み重ねて大きな大人になっているんです。


これっぽっちのこんなものが中学生になって
これっぽっちのこんなものが20にもなって
これっぽっちのこんなものが30にもなって


これっぽっちのこんなものが親にもなって
結局積み重ねるしかないのです。
そして気がつけばそんな私の人生を私は愛しています。


他の人がとても立派に見えるでしょうが、

みんな同じこれっぽっちを積み重ねているんです。

最初から立派なわけではない。



私は、沢山の相談を受けて心の底から思います。
私達は

これっぽっちのこんなもん

なのです。

そしてその上で だからこそ日々努力をして

大人になろう
親になろう
立派になろう


と努力する人なのです。努力する素晴らしい人達なのです。

つまり、逆をいえば

これっぽっちの人々なのです。
これっぽっちの人々が何故そんなに悲しむ必要があるのでしょうか?
私達はこれっぽっちの人々なのだからみんなと助け合えばいい。

これっぽっちの私、でもすごい私
これっぽっちのあなた、でもすごいあなた

すごい私❤️すごいあなたで助け合えばいい。


私は最近一緒に仕事してるなおちゃんを

神様と呼んでます笑笑

私がやらなければならないことを色々忘れているとそっとサポートしてくれます。
ほんまに色々出来るなおちゃん、めちゃくちゃ助けてくれてます。
ありがとう🌸


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