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生還11・抗がん剤副作用③発熱性好中球減少症であの世の入り口を見た件

あのまま眠っていたら、もしかして……

化学療法1コース目初日に結構きつめのアレルギー反応と副作用を経験し、喉や指先に現れた痺れ、味覚異常、脱毛、吐き気や食欲不振……といったテンプレ通りの症状を抱えつつも、なんとか退院できた私。「グリコ・幼児りんご」と「ブルボン・キュービィロップ」で命をつなぎ、四谷怪談の考察に没頭することで心の平穏を得る、という日常を手に入れました。処方されている薬はこの時点で三種類。
鎮痛剤(ロキソプロフェン)、吐き気止め(メトクロプラミド)、下痢止め(ロペラミド)です。いずれも頓服ですから、水を飲むことも苦痛な折、できれば使わずに済ませたい……と思うのですが、やはりそうもいきませんでした。腫瘍そのものの痛みは7月の時点から改善しているわけではなく、吐き気もずっと続いています。ロキソプロフェンとメトクロプラミドは使用限度ギリギリまで飲んでいました。ただ、そのおかげで最小限の水分は摂取できましたし、下痢については、イリノテカン滴下中ほどの強烈なものはなかったのと、ストーマが自動的に排出してくれるため、あまり苦痛ではなかったのが幸いでした。

そんな状態で最初の抗がん剤投与から1週間。
アレルギーや副作用で結構なダメージを受けたせいか、食べられないせいか、どうにも体力が回復しない中、多くの人は化学療法を継続しながら仕事に出かけると聞いて「私はものすごく怠け者なのじゃないか……?」とか「T先生は強いアレルギーと副作用だ、とちょっと話を盛って励ましてくれただけなんじゃ……?」とか、悶々としておりました。声がまともに出せないので喋るほうの仕事はできないし、もうひとつ音楽系の仕事もあるのですがこれも体そのものを使うのでやり遂げる自信がありません。でもパソコンで文字を打ち込むことならできるはず……指先が痺れてキーボードに触るだけで痛いけど、これくらいはきっとみんな我慢しているでしょうし、通勤というプロセスがないだけありがたいことです。2コース目まであと1週間、日常生活と治療を両立させる訓練をしよう、とパソコンを開いてプロットを考え始めた、そんなとき。
それは突然やってきました。

9月下旬、まだまだ暑いというのに、ふいに寒気を感じて恐る恐る体温計を取り出しました。7月初めに突然発熱した朝のことを、鮮明に思いだします。両腕に現れた鳥肌をながめながら測ったところ、38.4℃。
抗がん剤、CVポート、そして元々の腫瘍、そのどれにも発熱の可能性があるので「とにかく発熱したらすぐ病院に連絡してください」とドクターはおっしゃっていました。無論、私の脳裏には例の『発熱外来クライシス』(勝手に命名)がよぎります。しかし、今回はすでにひとつの病名がついていて主治医もいる病院です。仮にこれがコロナによる発熱だったとしても何らかの対処はしていただけるはず、と病院に電話しました。
外来診療の時間を過ぎていたため、救命センターへ来るように、とのこと。幸い運転できる家族が在宅していたので、送ってもらうことにしました。この段階では熱の為に若干ふらつくものの、ゆっくりならちゃんと自分で歩けたので、救命センターの入り口で降ろしてもらい、ばいばーい!と手を振って別れたのです。

しかし、救命センターの受付で手続きをし、血圧を測ってください、と言われたところで異変がおきました。受付カウンターのすぐ近くに腕を差し込むだけの血圧測定器が設置されています。はいはい、これはもう慣れたもんよ、と腕を差し込み、スタートボタンを押して数字が表示されるのを待ちました。――待ちました。――待ち……出てきたのはエラー表示です。ん? 角度が悪い? 腕の差し込み方が浅かった?
気を取り直してもう一度。腕をちゃんとガイドに置いて、肘の位置も確認して、スタートボタンをぽちっと。――再びエラー表示。
さらに三度目の挑戦をしたものの、やはり結果はエラーです。
「すみません、測れません……」そう伝えると同時になんだか目の前が暗くなりました。かろうじて倒れはしませんでしたが、測定器前の椅子から立ち上がることができません。受付の方が「いいですよ。あちらでお待ちください」というようなことを言ってくださったのですが……動けない。少しの時間をおいて、なんとか立ちあがり、待合スペースへ移動したときのスピードは、おそらく自分史上最低記録を更新したと思います。体が重い、足が前へ出ない、方向があやふや、……今になって思い返すとそんな状態でした。

待合スペースでソファに座ってからの記憶が、実は鮮明ではありません。
断片的に覚えているのは、待合スペースに小さな女の子ふたりとそのパパがいて、何やらお話をしているのですが、その会話が水の中で聞いているような、ぼんやりした感じだったこと。初めはひどい寒気がしていたのに、いつの間にか温度の感覚がなくなっていたこと。そして、視界に入る自分の手が見たこともない色――真っ白になっていたこと。
自覚はないまま、体をまっすぐ支えていられなくなって徐々に横に倒れていったようで、ふっと気づくとソファのひじ掛けに頭が乗っていました。
このとき、痛みも痺れも吐き気も寒気も、一切感じませんでした。先ほどのパパとお嬢ちゃんたちもいるはずですが、とても静かです。眠い、という状態とは少し違う、すう~っと違う世界へ吸い込まれるような不思議な感覚。今とても具合の悪い状態なのは、頭で分かっている、でも体感ではなぜか心地よく、気持ちは「違う世界」へ行こうと……

とりあえず、ソファから落ちて倒れこむようなことはありませんでした。
しかし、名前を呼ばれて一瞬、ここはどこ? 何をしていた? というレベルで覚醒したので、多分数秒間か数分間か、現実世界とは違うところに意識があったのは確かでしょう。
名前を呼ばれたことに気づかず、そのまま眠ってしまっていたら、私はいわゆる「あちら側」へ旅立っていたのでは……そんなことを漠然と思いながら診察室へ入りました。

担当してくださったのはお若いドクターです。血圧が測れていないことを確認したドクターは、手動で自ら血圧測定をしてくださいました。それを2回ほど。それでも、一向に反応しない私の血圧。ドクターはここで「診察しますのであちらへどうぞ」と席を立ち、入れ替わりに登場された看護師さんの案内で私は処置台へと向かうことになりました。たった数メートルの距離なのに、車椅子を用意してくださったのには驚きました。しかし、冷静に考えればどうやっても血圧が測れない、要するに心臓がまともに機能していない可能性さえある人間がタッタカタッタカ歩いていたら、それはそれで不気味です。さらに複数の看護師さんたちにサポートしてもらい、なんとか処置台へ横になりました。そこへ「血圧測れない患者さんいるって?」と登場したのは、ベテランオーラを放つ看護師さん。「はーい、何度もすみませんね、腕借りるね~」とテキパキ準備をし、シュコシュコ……「うん、低いね!でも大丈夫だからね、はい、先生次!」ベテランさんはあっさりと、何かをドクターに指示(?)します。
さすがです……。
とはいえ、後から聞いたところではこの時の血圧は恐ろしく低かったそうです。さて、血圧測るだけでだいぶ時間が経ちましたが、まだ検査は始まったばかり。普通の血液検査なら慣れたものなので、さくっと済むかと思いきや、なんと動脈から採血するというではありませんか。足の付け根(大腿動脈)に針を刺すそうです。え、なんで静脈じゃダメなの? なんて訊ける状況ではありませんし、状態でもありませんでした。
しかしこれが痛いのです。
すっごく、痛いのです。
麻酔なしで足を切ろうとしてるんじゃなかろうか、と思うくらい。比喩ではなく歯をくいしばって、処置台の端を握りしめ、必死で耐える感じです。しかも中々終わらない……
周りの看護師さんたちが「痛いですね、もう少し我慢してくださいね」と声を掛けたり、腕をさすったり、額に浮かぶ脂汗を拭いたりしてくださいます。ドクターも「すみません、ごめんなさい、もう少し……」と、謝ってくださるのでむしろとても申し訳ない気持ちです。それでも、この痛みを笑ってごまかすことはできず、ひたすら堪えるだけでした。
ただ、さっきまですっかり生気をなくしていた体が、ちゃんと痛みを感じているというのはむしろ生きている証拠だ、と考えることができました。
「生きている」なんてことをわざわざ実感すること自体、自分が癌を患ったのだと知ったとき以来の衝撃です。なんなら、あのとき見つけられなかった「死とはなにか」という答えが、具体的に見えた気さえしたのです。

なんとか採血が終わると、もうぐったりでした。動脈から採血するのは血液ガス分析のため、なんだそうです。その結果はすぐに分かるけれど、その他の検査も済ませましょう、ということで、ここからは車椅子どころかストレッチャー移動。何かにつけて大がかりになってしまうのですが、まあこのほうが明らかに速いでしょう。レントゲンにしろCTにしろ、ストレッチャーからの移動も看護師さんや技師さん数名がかりで抱えてくださいます。動脈穿刺が気付になったのか、このときは意識がはっきりしていましたので、本当にいちいち申し訳ない思いでいっぱいでした。体重が減っていたことがせめてもの救いです。これで元々の元気いっぱい中年太り真っ盛り!な体重だったら、申し訳なさも倍増「穴があったら入りたい」とか言いながらCTのあのトンネルに吸い込まれるところでした……

さて、検査結果が出そろいました。
白血球はほぼ「ない」、炎症反応CRPは「天元突破」らしいです。つまり、
「発熱性好中球減少症」で間違いないとのことでした。
典型的な抗がん剤副作用のひとつで、ほんの少しでもウィルスなんかが入ってきたら、防御機能が働かずあっという間に感染して炎症が起きるという好中球減少症。当然、このまま入院です。……退院したばっかりだったのに……まあ、仕方ありません。
この後の処置は、解熱、抗菌、そして好中球増加促進、というわけで、まずはすでにおなじみ末梢ルートによる点滴です。さきほどの動脈穿刺に比べたらもう、点滴の為の静脈穿刺なんて「あら、ちょっと触られたかしら?」くらいのものです。その針を通して解熱鎮痛剤も抗生剤も注入されるので、痛みなんかとはおさらばして、あとは好中球の復活を待つのみです。
好中球増加促進のために使用されたフィルグラスチムという薬剤に関しては2コース目以降に結構なインパクトがあったので続章で述べます。この時の入院中に起こったできごととして特筆すべきは、血糖値の低下でした。
緊急入院の翌朝、起き抜けに血糖値測定があると聞きました。これも初体験です。指先にちょこっと針を刺す、というのが物珍しく、好奇心むき出しで測定していただいたのですが、この時の血糖値がとんでもなく低かったようなのです。
測定してくれた看護師さんが「何か甘いもの持ってる?朝ご飯までまだ時間があるから、ちょっとでも糖分摂ってほしいんだけど」と。朝イチで甘いものを食べるなんて経験がないので、びっくりしたのですが、私の手元には幸いなことに「グリコ・幼児りんご」があります。それでいい、ということだったので人生初の『起き抜けにいきなりあっま~いジュース』に手を出しました。どこまでも私を助けてくれるグリコ・幼児りんご。いつか、どこかで恩返ししなければなりません。
ちなみに、この入院中、私は血糖値測定のために穿刺する指を毎日変えてもらいました。どの指が一番痛くないか、を知りたくなったのです。結論を申し上げますと、親指です。どういうわけか「どの指でもいいので一本出してください」と言われると、人差し指を出したくなりませんか?私もそうでした。しかし、すべての指で穿刺してみてほしい、というおかしな要求に応えてくださった看護師さんたちとの共同研究の結果、一番痛くないのは親指だ、と判明しました(?)ので血糖値測定でどの指を差し出すか悩んだ際には参考にしていただければ幸いです。

月を跨いで10月初旬、なんとか白血球数・好中球数が正常範囲に達し、退院することができました。さすがに、暑さも影をひそめ、名実ともに秋がやってきた頃でした。

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