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脇役の醍醐味

最近、週末は、PTAかボランティアか子供のスポーツや習い事の応援かで
あっという間に時間がすぎていく。

ほぼ全部、子供のサポートだ。

小中学生の親ともなれば、みんなそんなものなのかなと思うけど、
この夏はこの無償奉仕にかける時間や労力が大きすぎて、
本当にヘロヘロになった。
ボランティア活動の合間に家事をして、
そのさらに隙間を見つけて仕事をするという、
本末転倒虫が、もう大量発生状態だった。

毎日の人生の主役が、私自身だったのはいつ頃までだろう?

幼い頃は自分から見える世界が全てだった。
自分のしたいことを見つけて、やる。
その中で感じること、痛み、喜び、苦しさ、楽しさは、
どれも私のものだった。

少し大きくなっても、
世界をどう歩いていくか決めるのは自分で、
自分の人生を進めている主役は、私自身でしかなかった。

二人の子供たちが生まれてからでさえも、
その子達を育てているのは私であり、
自分の選択があって、今日を歩いているという気持ちがあった。

でも四十代も半ばになり、子供たちも大きくなって、それぞれに好きなことをしたり、悩んだりしている姿をただただハラハラしながら眺めている時間が急激に増えていっている今、自分の立ち位置が、いつの間にか
完全に脇役になっていることに気づかされる。

始めたばかりのバレーボールで監督に怒鳴られて泣く娘を慰める。
早朝4時に起きて野球場に向かう息子に朝ごはんとお弁当を作って送り出す。
車であっちにこっちに一日中車を往復させる。
ドロドロのユニフォームを何度も何度も洗う。
子供が悩んでいたらただ話を聞いて、立ち直るのをそっと見守る。

私にできることはなにもなくて、
遠くで本人が頑張るしかない。
陰で応援することのなんと大変で切ないことか・・・。

ツーアウト満塁。逆転されるか、勝利に逃げ切れるか。

そんなヒリヒリする時間を前にして
マウンドでグローブを構える息子に、
私がしてあげられることはなにもない。
誰かがしてあげられることはなにもない。

ただ手をグーにして硬く組み祈っているだけだ。
それだけで貧血になりそうだけど、
私が貧血になったからって、いいことはなにもない。

あの場所に立っているあの子は、なにを考えているんだろう。

彼は、もう私には、もうとても届かないような場所にいる。

どんなに緊張していても怖くても
ボールを投げなくちゃ始まらない。
三振を取るのか、思い切り打たれるのか。
投げるのも、その結果を受け止めるのも、
私には手伝ってあげられないのに、
もうなんだかわからないくらい神様に祈っている。
祈ることしかできないこの脇役の、つらさといったら。

そんなふうに息を詰めている親が遠くで見ていると
知ってか知らずか、
いや、親の存在なんて頭にもないだろう息子は、
ただバッテリー同士サインを送り合って、
首を振ったり目配せしたりして、最後にはこくんとうなづいて、
思い切り振りかぶって、ボールを投げる。

自分が主役だった時には感じられなかったほどの、
胸の鼓動がそこにある。
結果がどうであれ、
覚悟を決めて体を動かす姿に、
胸がもういっぱいいっぱいになる。涙が滲む。

息が詰まるほどの興奮や誇らしさが、
脇役の私に向かって訪れる。

それは主役だった私が感じたものとは違うけれど、
それでも本当に尊いもの。
脇役でしか感じられない、喜びなのだ。



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