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ザ・スミス ヴィジュアルアーカイブ展  ロミ・モリ×音楽評論家保科好宏氏トークショー 「ザ・スミス 1984年」

今日は神保町のギャラリーカワマツで
The Smithsのライブの撮影をされていたロミさんと音楽評論家としてライブにも立ち合われた保科さんが日本人で何人もいないはずのライブの証人としてお話。 
 司会は「お騒がせ モリッシーの人生講座」の著者でモリッシーの自伝の翻訳という難事業を担当された上村彰子さん。
 1984年当時、全く情報がない中で、The Smithsに出会った時の事を思い出しながら、楽しい時を過ごせました。
①そこでまず僕の話。
僕の初スミスは デビュー7インチシングル「Hand in Glove」。当時、Factory、Cherry Red、4ADなど個性的なレーベルが多く、レーベル買いをしていましたが、老舗Rough Tradeからの新人という事で、何も情報もなく買って帰りました。


妙に地味なのに印象的なホモセクシャル雰囲気を感じさせるジャケットデザインで、期待して聴いてみると 所謂ポスト・パンクのヒリヒリした感触というより、一昔前の音楽スタイルを感じさせましたが、フェード・インで入ってくるリフを繰り返し円環を描くようなギターにハーモニカが乗り、歌が始まると朗々と続く聴いた事ない唱法と発声がクセになり何度も繰り返し聴いたものでした。
そして次に手に入れたのが、「This Charming Man」。


ジャケットの写真はジャン・コクトーの映画「オルフェ」のジャン・マレー。ここでも自己愛やホモセクシャルな記号が散りばめられ、ちょっとトロピカルなギターから始まり、まだ彼らをどう捉えて良いのかわからない自分がいました。
そんなこんなでこのバンドを自分のどこに置いて良いかわからない状況の中でついに発売されたのが、彼らのファーストアルバム。未だに買って帰って自宅で何度も繰り返し聴いた事を鮮明に覚えています。


針を落とすと「it’s time the tale were told of how you took a child and you made him old」と歌が始まり、このchild とは誰のことなのか 母子家庭のお母さんが成長した子どもに聞かせる?それともイギリスの事?など色々考えながら、ジャケットの写真,歌詞を眺めながら,何度も何度も繰り返し聴きました。クレジットを見るとジャケットの写真はAndy Warhol 「Flesh」からで、この映画の監督がPaul Morrissey 。エッ?このバンドのボーカルは60年代から活躍してた人?とモリッシーが仕掛けたであろう謎解きに混乱しながら、ジャケットの内袋には4人のメンバーのポートレートが。

ドラムとベースは「レコードジャケットの写真を撮りますから表に出て下さい!」って言われて撮ったような気のいい兄ちゃんの写真でしたが、曲を作っているというジョニー・マーはめちゃくちゃポーズを決めてるし、作詞をしているというモリッシーは年齢不詳な感じで自分の世界に入り込んでるライブか何かの艶かしいとも感じられる写真でした。

②それから40年、ここで やっと今回の写真展/トーク・ショーのお話になります。

写真家ロミ・モリさんという方は、何とこのジャケットに写るモリッシーの写真を撮った人でした。
確かに写真の下には「Morrissey by ROMI 」とクレジットがあり、当初 ジャケット用に撮影された写真を気に入らず、以前ロミさんが彼に送っていた写真を気に入り選んだそうです。その後,ロミさんは写真を使った事への御礼の手紙をモリッシーからもらい、彼の家に招待されると,リビングにはその写真が大きくされ飾られており、今後もライブの写真を撮って欲しいと依頼されたそうです。
それから何十年そのフィルムは家で放置され、洗濯機の裏側で発見。デジタルの技術で修復されたそうです。
そしてこの写真のバージョン違いを昨年のモリッシーの来日公演の時、司会の上村さんがステージに投げ込み、彼の手に渡ったということで、この話はまだまだ続くのかも知れません。

Morrissey by ROMI
今回の会場の入り口で、左が元々の写真


もう1人の出演者 音楽評論家の保科さんからは初めてライブを観た時、今までのバンドとは全く違うものを感じたそうです。会場に彼がもらったメンバーのサイン入りポートレート,ロミさんの写真そしてThe Smithsのアルバム,シングルのジャケットが展示されており、デビュー当時のオスカー・ワイルドよろしく花にまみれ花束を振り回していたモリッシーの姿がヴィヴィットに捉えられ、ロックの世界で初めて「Heaven knows I’m miserable now」などと女々しさを歌い、今までモリッシー個人の「好きなもの」をヴィジュアルで提示してきた事が、結果として、イギリス・ローカルのワーキングクラスというもう一つのイギリスを僕らに教えてくれたという事を再認識しました。

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