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Nubia Garcia at Blue Note Tokyo

現在進行形のUKジャズの中心人物の1人ヌバイア・ガルシアのブルー・ノートでのライブ。
カリブ海やアフリカからの移民ら 社会的弱者である黒人が多く住むブリストルやノッテイングヒルで生まれたUKレゲエは、白人に若者から生まれたUKパンクと繋がり、70年代後半、不況下のイギリスにおいて、社会に不満を持つ若者の“レベル・ミュージック”として、機能したわけです。そして、時代が変わり2010年代より南ロンドンを中心に大きなムーブメントになって来たUKジャズも彼女が「ノッティングヒル・カーニバル(カリブ系移民が黒人排斥運動に反発した1958年のノッティングヒル暴動を背景に持つ、カリブ系主体のカーニバル。70年代からはサウンドシステムが持ち込まれ、ロンドンを代表する音楽イベントに発展)にはいつも行ってました。」というように、その延長線上にあるわけです。
ただ昔と違う事は、彼女がコミュニティから立ちあがった 設立の目的が
「元々は移民や黒人の若者、それから女性に演奏の機会を与えたかった」というジャズの教育機関「トゥモローズ・ウォリア-ズ」
に参加していた事。
 この機関の理念の背景には、80年代ジャマイカ移民を両親に持つUKカリビアンだったコートニー・パインが、自身と同じような境遇をもつカリブやアフリカからの移民によるバンドを作ることを目的に始めた「ジャズ・ウォリアーズ」から生まれ、それまでファンクやレゲエに限られていたUKのアフリカ系ミュージシャンに、それ以外の場で才能を発揮するチャンスを提供しました。
そんな場で鍛えられ才能を開花した彼女。
 親がいつも聴いていたレゲエやダブ、カリプソやソカそしてコロンビアの音楽クンビアに興味を持つ彼女が音楽を通じてアイデンティティを捉え直し、ディアスポラ(移民)である自身の境遇について考えているというレゲエやダブそしてジャングルを思わせる高速人力ビートなどUKクラブミュージックである事を強烈に感じさせる彼女のステージでした。
これは70年代後半のレベル・ミュージックから進化し、自分のアイデンティティとリコネクト(再接続)する最新型の音楽。

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