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PTSDかしら

ときどきいやなことをおもいだして、呼吸が浅くなることがある。

いやなことのひとつめ。

電車に乗っていると、たまに急に怒鳴る人に遭遇することがある。自分は直接言われたことがないけど、怒鳴り声が聞こえてくると、全身の血管がきゅっと細くなり、息をひそめて、すると、一瞬あいだをおいて心臓がばくばく動き始め、からだがわなわなふるえ出す。頭の中では、「これくらいでひるんではいけない」「毅然としていろ」「様子を伺え」と、わたしがわたしに司令を出す。だからといって、とくに実際に何かをするわけでもないのだけれど、もしもにそなえるように、からだが勝手にそう、なる。

怒鳴ることは不幸しか生まないとおもう。子どものころに数回、10代のころに何回も、父が母に怒鳴る場面を見た。俺を馬鹿にしているのか。家に金入れてるのは俺だ。養ってもらってるくせに感謝がない。そんなようなことを言っていた。父が、母を脅すためなのか何なのかわからないが、ものを机に叩きつけて大きい音を出していたのも、何回も見たことがある。母の腕をつかんで、ふざけるな、みたいなことを言っているのを、何回か見たこともある。母はいつも、私が悪かったから、と言って、とりあえずその場を収めようとしてたけど、父がいないときはさんざんわたしに父の悪口を話した。わたしはお姉ちゃんで、母のよき味方にならなければならなかったので、うんうんと聞いた。と同時に、自分に、悪口を言われてる人、つまり父の血が流れていることにぞっとした。どろどろしたものが腹にたまった。

わたしは両親の言い合いにいつも仲裁に入っていたけど、そのとき父はわたしにも怒鳴った。誰が食わせてやってると思ってるんだ。誰のおかげで学校に行かせてもらえてると思ってるのか。親への感謝がないお前は親不孝だ。そんなようなことを言っていた。悔しさと憎しみがからだに充満して、爆発する寸前に部屋に戻るのが常だった。部屋に戻るとじわっと涙が出て、涙の出る自分が許せなくて、悔しくて憎くて、部屋の壁をなぐったりけったりした。

大人になった今は、父がそのような状態になってしまった理由がメンタルヘルスや発達障害、コミュニケーション能力に関することだろうと、客観的に理解できるが、そんなことは子ども、あるいは、10代だったわたしには知ったことではなく、若かったわたしにとって、父はわたしたちを苦しめる「悪」でしかなかった。弟は両親の険悪な雰囲気を察知するとすぐ、部屋にこもった。犬は怖がってハウスの中に入り、ぶるぶるとふるえていた。

父はわたしが10代後半くらいから、同じ会社にシングルマザーのガールフレンドを作っていて、ときどき、いつ別れるの?いつわたしと一緒になってくれるの?というメールをもらっていた。母はときどき父の携帯を見て、そんなメールが来ていることをわたしと祖母(父の母)に報告した。父はガールフレンドの子の中学校の体育祭だか文化祭に行っていた。母はそのあとをつけて、証拠写真を撮っていた。現像した写真を見たとき、親子ごっこ、やってんな、とおもった。がっかりと残念とあきらめと憎しみのきもちをもった。そんな父の娘かとおもうと、こころが空虚になった。

こうしてわたしは、破綻した人間関係を世間体や子供のために無理やりキープしなければならない結婚という制度はクソだと思うに至った。男性に食わせてもらうのを絶対的によしとしない思想を持った。そして、わたしは稼ぎのない母を守ってあげなければならなくなった。(責任感の強い私は、だれかにそうしろと言われたわけでなく、自分でそうしなければと思った)だから、怒鳴られたら、泣き寝入りしてる場合じゃなく、すぐさまファイティングポーズをとらなければならないというのが、その後のわたしの常識になった。

しかし。
怒鳴られたあとの怖がる自分をケアしそびれたので、突然街で怒鳴り声を聞くと、それに対応するための態勢を作りつつも、おっかなくてしょうがなくなって、呼吸が浅くなりがちだ。今これを書いている瞬間にも、当時の怒鳴られたときの怖さがおもいだされて泣いてしまいそうだ。これがいやなことの、ひとつめ。

いやなことのふたつめ。

夜になると、街は暗くなる。道には電灯があるけれど、電灯のない場所もある。公園のちかくとか、やたらと木が密集している歩道とか。職場の敷地内に、まさにそのようなエリアがあるのだが、帰りにそこを通るたび、強盗に遭ったことをおもいだす。それはとある外国の街で、早朝だった。犯人は小柄な男だった。

端的に言うと、首を意識を失いかけるところまでしめられ、殺すぞと言われ、貴重品の入った小さいポシェットと衣類の入ったリュックを盗られたんだけど、レイプはされるとおもったけどされずにすんで、殺されもしなかったので、物は盗られたけど、命はぶじで、今は日本で元気に生活している。(あ、全然端的に言えてなかった)前回のうるう年の2/29だった。だから、うるう年がすきじゃなくなった。うるう年しか誕生日が来ない友人には申し訳ないけれど。

たぶんわたしが男だったら、この事件起きてないだろうな、とおもう。現地の日本人の男友達がほとんど街でいやな思いをしてなかったのが、その理由だ。敵というひとたちは、男より女を狙うんだとおもう。女は、体力的に弱いとされているのだから、あたりまえだ。女であることの不利益を、身を以て感じた、はじめての経験だった。

この事件のあと、とにかく自分のこころを整えて、まわりの人に心配かけないようにして、一生懸命仕事しなきゃとおもったから、現地警察で犯罪証明をもらい、仕事の所属先に報告書を出したあと、事件の詳細を忘れるように努めた。事件の1,2年は事件の詳細を思い出すこともなかった。

ただ、今は日本で生活していて、ある程度安全が確保されているにもかかわらず、仕事がいそがしい時期にストレス過多になると、夜ねるまえに首をしめられたことを思い出して、呼吸がおかしくなることがある。これが過呼吸なのかはわからないが、ヒュッヒュッヒュッ、となる。これがいやなことの、ふたつめ。

つよくなりたい。けど、つよくなりきれない自分がいる。そんなとき、だれか異性にそばにいてほしいけど、このふたつのことで男性不信ぎみのわたしが現実にそんな人物を得ることはなく、というか、この生涯をかけてもむりなのではと、最近おもうのだった。

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