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みんなとちがう

記憶がさだかではないのだけれど、小学校高学年くらいから、「まわりのみんなとはちがう方向」を意識してきたようにおもう。

小学校高学年くらいのときに、女子の間でスピードが流行り、イケてる女子たちはファッションやおどりを真似たりしていたけれど、わたしはそれを遠巻きに見て、「元気にやってんなー」とおもうのみだった。否定するでもなく、加わるでもなく、ただただ遠くから見ていた。(そのころのわたしはとにかくウッチャンナンチャンやナイナイなどが出てる、バラエティ番組や、ダウンタウンやスマップのコント番組がだいすきだった)

中学生のときはモー娘や浜崎あゆみが流行っていたけど、ぜんぜん通らなかった。このころは、「ぜんぜんすきじゃないし」とかるくそれらを否定して、わたしはジュディマリやホワイトベリーをテープで聴いていた。(いずれもめちゃイケのエンディングテーマに起用されてた)そうこうしてるうちに、下北沢で演劇を観ることをおぼえ、高校生になった夏に濱マイクとEgo-wrappinに出会い、サブカルへの道に足を踏み入れることになった。(メインカルチャーから距離を起き、マイナーなものに触れるのがクールとおもっていたのだろう)

エンタメにかぎらず、進路や生き方についても、一般的な方向じゃつまらないとおもうようになったらしく(いわゆる「ふつう」の方向に行けないひとに成長したというべきか)、大学3年のとき就活は早々にやめ(みなが同じスーツを着ているのがきもちわるかった)、大学院に進み外国で仕事を得(はずかしながら、外国に行ったことはだいぶ誇り、だ)、今は任期付の仕事をしている(終身雇用じゃないのがこれからの時代感があるし、思いきりアレコレ仕事で挑戦できるのが、いいとおもってる)。結婚の意思もない(必要性がない。相手もいない。)そんなじぶんの生き方にいまのところ満足している。

こんな性質なので、「みんながしてるから、わたしもする!」「みんながもってるから、わたしもほしい!」というような、流されやすさは持たずに済んだ。わりに確固たるじぶんを持ってる、というか。

一方で、「『みんながしてるから』という理由で、安易に流行りものに手出しするのは、どうなんだい、じぶん?」と言ってくるじぶんがわたしのなかにいるので、世の中で話題になっているものに意識てきに近づかないようになってしまい、損をしているかもしれない、ともおもっている。(たとえば話題の映画やドラマ、番組、音楽などの話が出たとき、ぜんぜんわからない)

よくいえば個性てきな、わるくいえばひねくれている、わたしなのだった。(わりとなんでもアリな時代でよかった、とおもう)

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