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abc20thまでの1年を振り返る

何となく文章に残した方が良いと思ったので、軽く振り返ります。

3月
abc19thで71位を取る
およそ半年前のabc18thでほぼ対策せずに行ったら57位だったので、さすがに少しは対策すればイケるだろうと意気込んだ結果、71位をとってしまいました。隣で森さんが青プレで抜けていたのを見て(参照:共感可能機械)、同じようにラストイヤーで青プレを取りたいという気持ちが何となく芽生えました。
正直この年度はコロナが流行り出してからクイズ大会が開かれる確実性が少なく、モチベの管理が全くできていませんでした。特に9〜12月は基礎医学の勉強に追われていたこともあり、学問とクイズの両立というのは難しいと痛感しました。とか言っておきながら、にじさんじのライブ行ったり、ドラムマニアにハマったりだったので今思うと寄り道ばかりでしたね。
この時に行った間違ったabc対策として「対策ペーパーだけ全部解いて凸る」ことがありました。対策方針を抜本的に見直すことになります。

4月
臨床医学の座学が始まりました。全オンライン授業で鬱屈としていました。クイズがほとんどできなくなりました。
趣味の方では、DMMブックスで買った漫画100冊を読みました。ブルーピリオドとかDr.STONEとかチェンソーマンとか。1人でヒロアカの原画展を見に行って感動しました。

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リングフィットの1周目が終わったらしく、運動はかなりしていたらしいです(この後リングフィットはあまりやっていない)。

5月
相変わらずクイズは全くできない日々。臨床医学の試験が毎週2つ来るゾーンに突入します。今でもひどい密度だと思います。

劇場版エヴァを2回ぐらい見に行った気がします。シュタゲと映像研を見て、ヴィジランテと巨人を読みました。ヒロアカのソシャゲも始めました。このソシャゲとプロセカは今でも続けています。

6月
転機①abcmorphous
ほぼ参加する気のなかったクイズ大会に気まぐれでエントリー。直近で全くクイズに触れていなかったのに、ペーパー10位→2R落ち→敗者復活をしてしまいました。「もしかしてクイズ意外と得意か???」となりました。自信過剰。abc20thを何となく見据えるようになったので本当にありがたかったです。

7月
記憶がないです。多分前半が大学の試験に追われていて、後半になってからコロナが酷くなって出掛けられなくなった気がします。クイズではMegalomaniaに出たものの、初セットでjさんとしんほむらさんにボコボコにされました。モチベはちゃんと沸きました。

8月
転機②吉野との座学報告会が始まる
abcmorphousから急に吉野と仲良くなり、一緒にヒロアカの映画を見に行ったりしました。
8月上旬から、その日に座学した結果をお互い送りあってモチベーションを上げていくことになりました(自分は下の写真のように送っていました)。小休止を挟みつつこれは3月まで続いたので非常にありがたかったです。本当に感謝しています。

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余談ですが、このヒロアカの映画のオリキャラであるロディ(声は吉沢亮、オリキャラなのに人気投票で10位に入った)のストーリーで、「家族と世界どちらを守るか」「弟妹の世話と自分の夢どちらを取るか」という軸で「足掻いて両取りしていい」というメッセージがありました。当時医学とクイズでかなり揺れていた自分にとっては、両取りを許された感じでとても救われました。全人類見ましょう。

https://heroaca-movie.com/

9月
再び試験に追われる日々。ちょうど10/3にOSCEという面接試験が迫っていたので、かなりテンパっていた記憶があります。ずっと医療面接の練習してました。
東京リベンジャーズをアニメで見たり、Raindropsのライブをオンラインで見たりしました。

10月
ABC the seventhが開催されます。問題提出と予備得点表示を用意しただけであんまり仕事をしていませんでした。すみません。社会人クイズプレイヤーの強さに圧倒されました。
秋アニメは鬼滅・ワートリ・ブルーピリオド・無職転生・タクトオーパスを見ていました。

11月
11/19にCBTという年で一番大きい試験が終わります。結果的に目標点の85は超えていたのでよく頑張ったと思います。ノイローゼになりかけてましたが……。

転機③10年目クイズサークル「亡霊」が本格始動する
10年来の付き合いである宮崎成瀬の競技クイズモチベが再燃しており、「クイズ歴10年目(一度はクイズから離れたことがある時期含め)」というdiscordグループが作成されます。結果的に11月から3月の直前期まで計50回以上のフリバが行われました。常連メンツは僕と宮崎成瀬だったので、組み合わせを変えてタイマン7〇3×を5セット×3回分を1周か2周してました。クイズジャンキー。1日200~400問にコンスタントに触れられたのは本当に環境に恵まれたと思います。感謝してもしきれません。

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赤く印をつけたところが活動日。狂ったスケジュール。

その2週間後にabcmorphous2ndがあり、またしても青プレを取ります。3Rでボロ負けしたがクイズのモチベにかなりなりました。

12月
abc過去問を1周し始めます。全部合わせて26000問ぐらいあったので、パソコンの前で問題を処理し続ける修行僧になりました。ちょうど自作PCを組み立てたタイミングで、マウスとキーボードをつよつよにしたので超はかどりました。これは大体1か月で終わらせました。
鉄門だよりという学内新聞の編集作業が全部回ってきて死ぬかと思いました。以降省略しますが、月末25日から翌10日は地獄のような日々が続いています。

1月
このあたりでAnkiを本格運用し始めました。Ankiには賛否両論あるのは分かってはいましたが、ラストイヤーで四の五の言っている暇は無かったです。

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3か月やる分にはAnkiは十分楽しかったです(普段の早押しにすぐ反映されて実力の向上が体感しやすい)が、クイズのキャリア中ずっとAnkiに費やすのは自分はしんどいだろうな、と思いました。

1/3~1/4で亡霊合宿が開催されます。2日で3000問ぐらい使った気がします。
MegalomaniaTokyo2でプレイングスタッフ。開始3連勝できてよかったです。
EQIDEN選考会に落ちる。残当。早押し技術は全く磨いていなかったので仕方ないです。宮崎が一番良い成績を叩き出していて、「亡霊で怪物を甦らせてしまった……」と思います。
臨床実習が始まります。毎日授業はあるものの、コロナで週2日登校とかになっていました。

2月
(あまりTwitterなどでは報告していませんが)コロナにかかりました。のどの痛みが強すぎるのと38.5度が5日続いたので死ぬかと思いました。
このタイミングで荻田との共同企画を打っています。元々問題は10月~12月でほぼ完成していたので、安心して企画を打つことができました。そしてそのペーパーを引っ提げて対策ペーパーDropbox一番乗りを果たします。
座学はとにかく色々な問題集を読んだり、20の対策ペーパーが上がったら解いたり、17~19の対策ペーパーを別で解いたりしていました。
2月後半は臨床実習が週3~4日で課題量も増えたことで、かなりキャパっていた気がします。

3月
直前期にドドドドドと対策ペーパーが増えてきたので、知り合い以外のペーパーを解くのをやめました。本当は全部解きたかったのですが、今思うと良い判断でした。あのフォルダに1万問以上あるという時点で恐ろしすぎますね……。
同期の対策企画がたくさんあったり、2Rや3Rの練習会もあったりでバタバタな日々でした。直前一週間は産婦人科の手術も入っていて更に大変でしたが、一週間で20冊は読んでいたと思います。

前日
亡霊での対面フリバで追い切りをしました。早押し機が各所で使われていたようだったのでhayaoshiを使いました。最終的には5人集まって、最後に神社にお参りに行きました。その足で本屋に行ったのも今ではいい思い出です。家に帰ってからは問題集2冊ぐらい読んですぐ寝ました。睡眠は大事。

当日
駅前で成瀬と合流して会場に徒歩で向かいました。EQIDENメンバーではないので空いている入口で受付をするのが少し悲しかったですが、直前にライバルをたくさん意識しなくて良くなって逆に安心しました。イヤホンで耳をふさいでずっと『シネマ』とか『きみはだいじょうぶ』とか聞いていました。前日にセトリを作っていてよかったです。

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四択は1年間で1回も解いていなかったので新鮮でした。結果95点だったので最後まで四択は得意だったのだと思います。
筆記は途中で手が震えて「緊張してんな~」とメタ視点の自分が声をかけてくれて安心しました。それでも緊張して2回くらい番号ずらしをして、慌てて消し消ししました。
100番まで解き切ったときに空欄が1つしかなく(時間切れが怖いので迷ったやつもとりあえず何かしら書いてる)、「アレ?イケルノデハ?」となりました。直前で「村正」「エコーチェンバー」「Spring-8」あたりを書き直したので3点は上がっています。
終わってから自己採をして93or94(「なつこしのはらい」は多分×じゃないかという件で揺れていた)となりブチ上がりました。昼飯の大戸屋で興奮気味に「赤もあるのでは」みたいな話をしていました。
開けてみたら8位の91点だったので、緊張したヨレヨレの字で2点引かれていそうです。発表されたときは嬉しさより安心がありました。大会で大きな実績を残すことがほとんどないまま10年間が終わってしまうのは、自分の性として許せなかったので、清々しい気持ちで学生レギュを終えられるという安心感の方が勝っていましたね。
※これは全員が高みを目指すべきという主張ではなく、一個人として紙で高い点数を取りに行くのが合っていたという感想です。
自分は青プレを取っただけでゴールしてしまったので、早押しは劇場みたいな気持ちで見ていました。出来れば壇上で1〇ぐらい積みたかったですが、あの最終セットの24問(短すぎる)で取れる問題は1つもなかったと思います。
(他プレイヤーの感想は話し出すと何千文字もかかってしまうのでここまでにします。)

総括
結果的に1年間の努力が報われた(?)形となり、胸を張って3☆といえるようになったのは大きかったなと思います。abcを開いてくださったスタッフの方々、一緒に戦ってきたすべてのクイズプレイヤーの方々に感謝します。本当にありがとうございました。
(振り返りを書こうとすると言いたいことが無限に出てきて大変ですね。思いついたら追記します)
(ペーパー対策の記事は作りましたが、ネットには上げないことにしました。欲しい人はDMなり何なりで声かけてください)