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In the SOOP BTS ver. Season2を見て感じた寂しさの正体

※In the SOOP BTS ver.Season1、Season2のネタバレを含みます。ご注意ください。


2021年10月15日、待ちに待ったIn the SOOP BTS ver. Season2がスタートしましたね。そんな中、タイトルだけ見るとなんだか不穏な、水を差す様なタイトルのnoteですみません。もう先に謝っておきます。そんなつもりじゃないんです。すみません。
もしタイトルからして『なに言っとんねん』と思った方は読まずにそっとページを閉じ、今すぐバムくんが嬉しそうにジョングクさんの横を歩くシーンや、ジミンさんが虫を仕留めるシーンを見てください。とにかくこんな湿気たタイトルは頭から消し去って楽しさ満点の気持ちで入森してくださいね。





それでは本題、というか前置きです。
突然ですが私は湖というものが好きです。旅先で湖があれば見に行ったり、写真検索アプリで海外の湖写真を眺めたりしています。
静かな湖を連想させ気持ちよくなれるペトロールズの『湖畔』という曲も大好きです。最近AppleMusicにあるのを発見して小躍りしました。
切り立った山と水辺が合わさった風景も大好きで、フィヨルドや美しい山々のコントラストを見たいがために新婚旅行の場所にはニュージーランドを選びました。大好き、ニュージーランド。
昔から好きな番組である『水曜どうでしょう』も、面白さだけではなく、いつもの彼らがあの風景の中にいるのを楽しめるという理由で『ユーコン編』と北欧4ヵ国を巡る『ヨーロッパ・リベンジ』がお気に入りです。


そんな私にとって、In the SOOP BTS ver.のSeason1(以下、森1)でロケ地となったLAKE192はよだれが出るくらい好みにドンピシャの場所でした。なんでも韓国でも建築大賞を受賞していて「湖に行く家」と言われているとか。っくぅぅぅぅ。良い。最高。森1を見終わった時にはLAKE192の公式サイトをすぐさま見に行き、美しい風景や建物内の写真を延々眺めていました。(どこかに彼らの存在を感じながら見るLAKE192は本当に最高なので是非>>>http://m.lake192.com/


もちろん場所だけでは無く、彼らの様子をじっくりじっとり観察できるリアリティ番組としても大好きで、

森でテーマソング作ったときに『こういう風にして曲をつくったの初めてです』みたいに言ってたの正直すごく驚いた。音楽好きな人ってああいうことをよくするものかと思ってたから。あぁ、彼らは本当に仕事としてプロフェッショナルとして、日々評価される立場で音楽と向き合い続けてきたんだと思った。それってやっぱり"好き"という気持ちだけではどうしようもないこととか、"好き"だからこそ大変なこととか、重圧とか緊張感とか、そういうものとの戦いの中で自分や時に仲間と鎬を削りながら音楽を作ってるって事なのかなと思ったんですけど。だからこそ森の中でああやって生まれたあの曲が(泣いてます)すごく素敵だなって思うし(泣いてます)ユンギさんの駆け出す背中とか(泣いてます)あの楽しそうな(泣いてます)笑顔とか(泣いてます)みんなの(泣いてます)笑顔が(号泣)(尊)(好)(愛)(召)
午後9:03 · 2021年9月4日

EP6.でテテとグクが話すシーン見て、あぁこの2人はそれぞれが自分に素直でありたい2人なんだなぁと思った。出会った頃は楽しくてよく話してたって言ってたけど、若い時ただ楽しいだけで一緒にいられた人とも成長とともになんとなく距離が出来てしまうことありますよね。
でもこの2人は同じチームで仕事をこなしてるわけだから、その自然に出来た距離感を埋めようとしてもおかしくないと思うんですけど、それぞれが心のままできてしまった距離感を"きちんとぎこちないまま"にできていたのかなって。それは2人の素直さ故かなと思いました。(話から想像しただけですけどね)
嫌いとか仲悪いとかとは違うじゃですか、そういうのって。なんとなく居心地に違和感がある、みたいな。だから無理に何とかしようとすると余計に変な感じになったりする時あると思うんですよ。でもそれをそのまま付かず離れずにしつつ過ごして(もちろんお互いリスペクトあっての関係だとも思うけど)、また心の赴くままに対話をしてみて距離を縮められるのって物凄く『素直さ』があるなぁって思いました。人に対しての素直さというより、自分自身に対する素直さ。それって、誰かに素直だねって感じてもらうよりも保っていくが難しい感覚だなぁと思う。
自分自身に対して素直というのは彼ら全員に対して感じる感覚ではあるけど、森のこのシーンのグクテテにとてもそれを感じて、ぎこちなかった時期も含めて凄く素敵な関係だなぁと思った。人は変わり成長していくということをこんなに近しい間柄でこういう風に受け止め合えるの、本当に尊……(号泣長文)
午後1:17 · 2021年9月18日

森で絵を描いたジェイホプくん。描き終えて、「絵は簡単に描けるもんじゃないね」ってしみじみ言ってたけど、それを頭で分かってるのと実際にやってみて実感伴う「絵は簡単に描けるもんじゃない」を知ってるかどうかは本当に本当に大きな違いだと思う。それでも、あなたみたいに普段から努力して道を極めるために歩いてる人は、ましてや休息として過ごしてる時はそういうことを避けて通ることだって出来るはずで。なのに途方に暮れたり仲間に甘えたりしながら何とか完成させて、その上でポソリと呟く「絵は簡単に描けるもんじゃないね」だからこそこんなにも響くのかな。いつも頼もしいあなたが道に迷った子どもみたいに見えて、それでも目的地に辿り着いて嬉しそうにはにかんだ様に見えたからこんなにも抱きしめたくなるのかな。格好良さを知ってる人達の何気ない、でも人となりがほんの少し垣間見えるポソリとした呟きが森の醍醐味だと思う。
とってもかわいかったし、えーっと、うん、とってもかわいかったです。素敵だね、ジェイホプくん。よかったね、ジェイホプくん。私はあの絵がとても好きです。
午後7:47 · 2021年9月26日

こんな風に、森1を見るたびに140字にはまっっったく収まっていない、収まりきらない思いの丈をTwitterで呟いてきたんですが、あのLAKE192という場所が私をそうさせていたひとつの大きな要因だったのではないか、とも思っています。
(しかし引用で持ってきた文章がTwitterからの引用とは思えない長文で、自分で自分に少し引いてます。引用だけに。)



森の前身番組、BTS BON VOYAGE


そもそも森1が始まる以前は、BTS BON VOYAGE(以下、ボンボヤ)として彼らが旅する姿を見せてもらっていたんですよね。今の世情を鑑みて旅に出られなくなり、やむを得ず国内で行われるIn the SOOPという形になったそうですが。私はしっかり順を追ってボンボヤ2〜4(1はナムジュンさんが途中でいなくなると聞き、それが辛すぎてまだ未視聴です)を視聴後に森1を見たわけなんですが、実は森1を見始めた当初はボンボヤシリーズの方が好きかもなぁ、なんて思っていました。
ボンボヤシリーズは『BTSのリアル旅行バラエティー』とある通り、彼らが『旅をする』というのが番組の土台となっていますよね。
そもそも私は旅番組というものが大好きなので、ボンボヤシリーズは彼らが世に出すコンテンツの中でも脳汁噴出ノンストップレベルが上位に入ります。(すみません、シンプルにとても好きという意味です)

彼らの様子をじっくりじっとり観察して楽しめるコンテンツはBombやRun BTS!など様々な形で配信されていますが、やはり『旅の要素』が加わった事により見られる姿は、他のものでは感じる事の出来ない独特な雰囲気と特別感があると思っています。

その土地に行った高揚感やその土地を実際に見たり経験したことでしか引き出されない彼らの表情。その表情に自分が旅した時の気持ちを重ねることも出来るし、普段とは違ったより自然体の表情に等身大の彼らを見る事もできます。
旅というのは普段の生活とはまったく違う人々の営みや、土地の空気や匂いに包まれに行く行為だと思います。土地から発信される力がとても強く、彼らが自分達のテリトリーで過ごしているのを見るよりも、何倍も私たち心情を揺さぶるのに役立っているのではないでしょうか。(少なくとも私はそうです)

また、既存の場所に行く事により、私たちが行った事が無い場所でも『私たちと地続きに居る彼ら』を感じやすいのかなとも思います。ハワイやマルタなんていう観光地は行った事がある人もいるだろうし、これから旅に出る事も出来ますよね。(旅に出られる世の中よ来てくれ、頼む)
そんな場所で笑う彼らを見ていると、『旅』というものを通して、私たちと同じように慣れない場所に感動してはしゃぐ一人の人間なんだなと、当たり前だけど普段は感じにくい、自分たちとの『繋がり』を感じて嬉しくなるんだと思います。

そんな風に『旅』を土台に『彼らが過ごす時間』を見せてもらえるボンボヤが、私はとても好きなんですよね。



森1にも感じられる、『旅』の香り


私がボンボヤを見ていた時に感じていた癒やしは『旅』が土台であるという要素が多分にありました。そしてボンボヤが出来なくなり、国内に舞台を移した森1。見始めた頃はわからなかった『旅の要素』がちりばめられたその内容に、私はすっかり夢中になってしまいました。

まず、LAKE192が既存の宿泊施設であるという点。
元々訪れる人を癒やす目的で宿泊施設としてつくられ存在している場所なので、彼らだけではなくそこに来た旅人を包む土地・場所としての営みが備わっていたんだと思います。自分たちが暮らす土地とは違う時間軸の場所に身を置き、段々とそこに適応し馴染んでいく様子はまさに『旅』を感じさせる姿だったように思いました。

また、行き帰りに彼ら自身が運転をして移動していたのもボンボヤシリーズから続く『旅』を感じさせる要素で、車中での様子を見るのが楽しみだった私には嬉しかったポイントです。

その他にも、登山をしたりカヌーに乗ってみたり。畑で野菜を取ったり田舎道を散歩したり薪割りをしたり、なんていう田舎暮らし体験の様な要素もありましたね。そこも普段とは違う営みの中に身を置く『旅』の要素かなと思います。

私が特に好きなテテとホビがバーガーを車で食べに行くシーンではこんな風にも呟きました。

EP6.でテテとホビがドライブ行って川を見ながらバーガー食べるシーンあるじゃないですか。このシーン、もう本当に本当に正気ではいられないくらい最高でした(正気ではいてくれ)。今特に旅行とかにも行けないからっていうのもあるかもしれないけど、誰しもこれまでの経験の中に"綺麗な景色に感動した経験"てあると思うので、同じ風景を見てるわけじゃなくても、2人がどんな心境であの場所でハンバーガーに齧り付いてるか、どれだけあの一瞬に感動しているか、そういうことが自分にある感覚の中で想像できるじゃないですか。そんな自分の記憶が蘇って胸がキュッとなるし、同時に大好きな(そして日々忙しい)彼らがそんな安らかで穏やかな気持ちをその瞬間は確実に感じてると思うことが出来る。
このバーガー食べるシーン意外にも、彼らを観察するのが面白いのとは別に"気持ちの共有"ができるシーンが所々に散りばめられていて、森とかボンボヤにヒーリング効果があるのってそういう部分もあるのかなって思ったりもしました。もう本当に好き。本当に好き過ぎるよ、森。
午後1:50 · 2021年9月18日

このように、とにかく私は森1にもボンボヤシリーズから継承される『旅』の香りをそこかしこに感じとり、そのことにとても癒しをもらっていたようです。
そしてそこに『休息をする彼ら』というIn the SOOPならではの要素がプラスされ、ボンボヤシリーズにも無かった『あの場所でしか見ることができない彼ら』を感じ、非常に深く愛していたんだと思います。

ボンボヤシリーズは『旅』を土台に『彼らの過ごす時間』が見られるコンテツンツ。そして森1は『休息する彼ら』を土台に『旅』の香りが感じられる独自のコンテンツなのだと思います。



そして感じた、寂しさの正体


さて、ここから先は少しマイナスと捉えられる表現も出てきそうなので、嫌な予感がする方は本当に回れ右してくださいね。
無駄に話が長いんだからはよ話進めて?と思っておられる方、すみません。もう少しお付き合いください。


そんな森1大好き人間の私なので、In the SOOP BTS ver. Season2(以下、森2)が発表された時は心躍りました。と同時に、好きすぎるあまり次はどんなものになるんだろうと不安な気持ちも混じったなんとも複雑な感情を抱いてもいました(映画とかドラマの2が予告されると楽しみより不安が勝ってしまう卑屈なタイプでして)。
次々に公開されるティザー映像も見る事が出来ず、楽しみと不安とを行ったり来たりして、やっとのことでティザー映像を見る決心が付いたのは放送当日のこと。とにもかくにも見ない事には始まらないと、その日のうちに気合いで入森したのでした。(いや、もちろん楽しみな気持ちが大きかったですよ!!本当です!嘘じゃないです!!!)


そして、そこで感じてしまったんです。
感じてしまったと言うよりも、見ている間ずっと心に『寂しさ』がこびり付いていて、彼らの様子を楽しく見ている気持ちに嘘は無いのに、なぜだかその寂しさが消えなかったんです。


自分でもすごく嫌でした。大好きな森シリーズのはずなのに、受け入れられていない。目の前にある面白さを上手く消化できていない。楽しい気持ちの横にぴったりとくっついている『寂しさ』の正体は何なんだろう。
彼らの富豪パリピ感が強すぎるからだろうか(感、というか実際に富豪ですけども)、はたまた森1を直近で見終わった為にまだ気持ちを切り替えられていないからだろうか、もはや森シリーズというよりもLAKE192が好きなだけなんだろうか。
とにかく楽しいのに楽しくなくて、森シリーズであるというのは事実なのに確実に何かが変わってしまった(と私には感じられる)森2がそこにはあって、戸惑いながら1回目の視聴を終えました。
いや、大分拗らせてますね。拗らせすぎです。ほんとやんなっちゃう。



しかし私は森ペン。このままただ寂しさをこびり付かせながら泣いている場合ではありません。そんな湿気たツラしてたらあっという間に森2が終わってしまう。だって森2は全5話しかないんですよ。全!5話しか!ないんですよ!!!(悲しいです)



私は昼ご飯を食べながらぼーっと、ボンボヤシリーズや森1のことに考えを巡らせました。そこで前述したような『旅』要素が私にとっていかに癒やしであったか、という事に気付いていったのです。

『旅』を土台に『彼らの過ごす時間』が見られるボンボヤシリーズ。
『休息する彼ら』を土台に『旅』の香りが感じられる森1。
そして今回、森2からは『旅』の要素が無くなってしまったように感じたのです。


まず場所。
恐らく様々な理由からそうなったとは思うのですが、今回年月をかけて彼らの為に誂えられたあのお城からは(少なくとも私は)『旅』の香りを感じませんでした。どちらかと言うと別荘と言った方が良いかなと思います。
私にとって旅は、決して自分の為に用意された場所に行く事ではなく、普段の自分とは別の営みや空気の中に包まれに行く行為なんですよね。
でも別荘は少し違う。別荘は持ち主のプライベート空間なので、旅先にいる姿よりも見ている側が自分と繋がりのある場所として想像しにくいのかなと思いました。ここ、寂しさポイントですね。

そして移動手段。
森1では昼間に本人達が運転する車で悩み相談したり音楽を聴きながら移動する、めちゃくちゃ『旅』を感じるシーンがありましたが、今回は(こちらも恐らく様々な事情があり)深夜のバス移動となりました。もちろん深夜バスで行く旅なんかもありますが、今回のソレは完全に忙しさの合間に移動するスーパースターのソレで、なんというか、これまた勝手に距離を感じてしまいました。どえらい時間に現地に着いていて、少し切なくもなりました。


私が『土台』『重要な要素』であると感じていた『旅』の要素が、今回あのような形になり感じられなくなってしまった。
私の感じた寂しさの正体は『旅』要素の消滅だったんです。
(あくまで私の感じ方なので、いや、私は感じるよ!って人もいるかもですが。)


私は自分の気持ちに鈍感ですぐに考えをまとめられないので、ここに思い至るまでにしばらく戸惑い続けてしまいました。つらつら書いていて思いましたが、これ皆さんがすんなり咀嚼してすぐに気持ちを切り替えられている部分なのでは???いや、しかし、自分の中ではとても腑に落ちて納得できた考えだったのでまとめてみた次第です。
繰り返しになりますが森2を貶めたい意図もないし、別荘でくつろぐ富豪な彼らはとてもかわいくてとても可笑しくて、また新たな夏を見られることが本当に楽しいです。番組の主軸である『休息をする彼ら』という部分は何も変わっていないし、むしろその部分を更に存分に楽しめる内容で、『旅』の要素がよりプライベートな『別荘』に変わったことによる可能性にとてもわくわくしています。事実、この考えに思い至り心がスッキリ、胸にこびり付いた寂しさと上手に付き合えるようになってから見た2度目の森2は何十倍も楽しかったです。



結論というか蛇足というかやっぱり森が好きというか


森1はボンボヤシリーズの旅の香りを残した、森1 feat.ボンボヤ(ここにいるよ)のようなものだった気がします。あの時のきらめきはあの時だけのもの。二度と来ないからこそ素晴らしいあの夏。ありがとうあの夏。ありがとうLAKE192。ありがとう丸鶏。ありがとうウッドカービング。
もう本当に勝手なこと言いますが、森2からが本格的な世界的スーパースターかつ富豪、私たちの愛するビティエス達の"森でのただの休息"なんだと思います。
森2を存分に楽しむ心の準備がようやく整いました。
(そんなこと言ってるの多分私だけ)

俺たちの森はまだ始まったばかり!!!
みなさん、明日からの森も存分に楽しみましょうね。

こんな長々とした文章にお付き合い頂き本当にありがとうございました。
ただただ楽しく見れば良いコンテンツにこんなにも拗らせ、悩み、長文を書き綴ってしまった私をバカだな〜と笑ってやってください。
あなたに幸あれ。








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