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日本で一番小さな県で育まれる愛のサイズ【ニ話】【創作大賞用】

マスターは幸助が『讃岐乃珈琲亭』で働くことを快く受け入れてくれた。

「ここも他と変わらず人手不足だし、幸助のような経験者に働いてもらえるのは助かるわい」

近くで見るマスターの顔には皺が刻まれている。マスターの歩んできた年月には何が刻まれているのだろうか、と幸助は思ったがそんなことよりもまずは感謝を伝えなければいけないと我に返った。

幸助は深くお辞儀し、マスターの手を取った。

「マスターありがとう。一生懸命働いて恩返しするよ」

マスターは目尻の皺をより深く窪ませ笑った。

「そんな恩返しだなんて仰々しい。やけどそうだな、一つだけわしから幸助へ宿題を出そう」

マスターから与えられた宿題の内容を聞いて幸助は困惑した。その宿題というのが

「一年とは言わん、何年かかってもええから、孤独ではないとはどういうことなのか幸助なりの答えを導き出してほしい。できればわしが生きている間にな。あと、最近店の前に現れる犬を追い払ってくれ」

だったからだ。

(…なんなんだよそれ。しかも宿題一つじゃないし)

幸助が返答に困って口をもごもごしていたら背後から先程マスターの隣にいた女性が話に入ってきた。

「もう、また訳分からないこと言って、ごめんなさいね」

そう言って幸助の方を見て、次の瞬間には

「あれ?やっぱり幸助だよね?」

と幸助に尋ねていた。

幸助もその女性が幼馴染の春子だとすぐに気づいた。

春子と八年ぶりの再会である。


春子にとって『讃岐乃珈琲亭』は初体験が沢山詰まっている場所だ。初めてのお子様ランチを食べたのもここだし、初めてのクリームソーダもここで飲んだ。ほっぺたが落ちると言う表現を知ってから、思い浮かべるのはここのお子様ランチを食べた時の思い出だ。

そして春子は初恋も『讃岐乃珈琲亭』で経験した。

春子が食べているものと同じものを、春子以上に目を輝かせて食べている子がいた。その姿が無性に可愛いと思った。

今考えるとそれは女が生まれた時から持っている母性というものだったのだと思う。その子は女の母性を刺激するなにかを持っているのだ。気になって、お父さんにあの子は誰なのかを聞いたら、常連の松本さんとこの子だと教えてくれた。そしてその子は幸助という名で、来年から同じ小学校に通うこともわかった。

幸助は小学生になってもよく讃岐乃珈琲亭に来たが、春子は中々話しかけられずにいた。小学校のクラスもニクラスしかないのに四年生になるまで違うクラスだったから、話すきっかけが無かった。

そんな二人が話すきっかけとなったのが四年生でやっと同じクラスになれたことだ。しかも運良く席替えで隣同士になれた。一番後ろの窓から二番目の席が春子でその隣が幸助だった。

この頃はなぜか男女で話をするハードルが人生で一番高かった。男女関係なく異性に話かけようものなら、誰々ちゃんは誰々くんのことが好きなんだ、だから話しかけるんだと思われたし、直接言われたことも何度もあった。異性の友達という概念が存在せず、異性は全て恋愛対象なのだと決め付けられてしまう空気に支配されていた。

春子はこの時幸助のことが好きだったから、幸助のことを好きだと思われてしまうのは別によかったが、幸助に他人から「春子はお前のこと好きらしいぞ」と言われるのだけは耐えられそうになかった。だからクラスの中では極力幸助に話かけるのは避けていた。

あの五限目の時以外は。

小学四年の夏。窓から映る景色の色が日に日に濃くなっていた夏。四限目はプールの授業で五限目は社会の授業だった。四限目の前には給食を食べている。給食でお腹を満たされ、プールで体力を使い果たした育ち盛りの少年少女が社会という授業の中で起きていられるはずがなかった。クラスのほぼ全員が本能に身を任せ気持ち良さげに寝てしまっている。

先生は怒ることなく、淡々と授業を進めていく。その中で唯一幸助と春子だけが起きていた。幸助は社会の授業の時が一番イキイキとしていたのだ。目を輝かせて先生が黒板に書くものを熱心にノートに書き写していく。春子はそんな幸助の姿を見るのが好きだった。だから春子も起きていた。

皆が寝静まっている授業中に先生が突然幸助に話かけた。

「すまん、幸助。ちょっとトイレ行ってくる」

そう言って先生は急足でトイレに向かった。

先生が居なくなったクラスはより一層静かになった。なのに春子の世界だけはアイドルのライブ会場みたいにうるさかった。この空間で今意識があるのは自分と幸助だけなのだと思ったら心臓がドクンと鳴る。

幸助にまでこの音が聞こえていないか不安だったが、幸助は熱心に教科書を読んでいて、どうやら音は聞こえてないみたいで安心した。それと同時にこんな状況になることはもう二度と無いかもしれないと春子は思った。

そしたらもう一度心臓が強く鳴った。

春子は深呼吸し、幸助にだけ聞こえるようにこう言った。

「幸助くん、わたしもよくあの喫茶店に行くんだよ」

教科書に向いていた幸助の目線が春子の方を向く。

春子はその一瞬の間にとんでもなく後悔した。

何を突然そんなことを言っているんだ。私があの喫茶店に行っているのを伝えてどうなるんだ。私だけが幸助くんが喫茶店によく行くのを知っていて、それなのにこれまで話かけもせずただ見ていた。これってまるでこの前漫画で読んだストーカーじゃないか。しかも初めて声をかけたのに下の名前で呼んじゃたよ。気持ち悪いって思われたに違いない。終わった。私の初恋はこんなにもあっけなく早々に散るんだ。

一瞬の間で頭の中にこれでもかと言う程の言葉が溢れた。

その言葉の満員電車を掻い潜って聞こえてきた言葉はなんとも短くて、それでいて春子の不安を全て吹き飛ばした。

「うん、知ってるよ。俺より美味しそうにお子様ランチ食べてる奴がいて、気になってばあちゃんに聞いたら市川さんだって教えてくれたんだ」

春子はこの時市川さんが自分のことだと理解するのに数秒を有した。そうだわたしの名前は市川春子。だから市川さんってのは状況的にもわたしのことだ。

春子がまた何か返事をしようとしたところで先生が帰ってきたから春子はそのまま言葉を締まった。幸助は幸助で何もなかったかのようにノートを書き始めた。

これが春子と幸助が初めて会話した日のことだ。

それ以来、讃岐乃珈琲亭でお互いの姿を見つける度に会話をするようになった。初めはなんだかぎこちなかったけれど、小学校を卒業する頃には友達と呼べるくらいには仲良くなっていた。

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