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入社4日目で心が折れそうになった話

※最初に、主観ではありますが入社したところがやばいところではないことと、ブラック企業でもないことだけは明記しておきます。会社の業務とはあまり関係のない話です。

一昨日、社会人になって初めての土曜日を迎えた。雑事はあったが、特にいつもと変わらない土曜日だった。スーパーで食料を買い、ゲームに課金し、イベントを走る。アニメやyoutubeを見ながら絵を描く。お腹が空いたら簡単なものを作って食べる。そこに、母からチャットが飛んできた。

「仕事はどうですか?」

それが始まりだった。

先日、無事専門学校を卒業し、4月1日から働くこととなった。ただ周知の通り時代はコロナ。入社式は延期となり、出社ができなくなった。幸い、会社がIT企業という事もあり1日目から在宅で勤務することになる。正直不安は大きかった。
グループチャットで「困ってることない?」と問いかける先生と、「入社式が中止になりません」「昨日入社式の中止が決まり、自宅待機になりました」「入社式の後1週間自宅待機です」などと答えるクラスメイト達のやりとりを眺めつつ、初勤務日を迎えることとなった。
こういう非常時にも研修を行える会社は貴重だと思い、スタートから遅れをとらずに済むことを素直に喜んだ。自分以外のメンバーがかなり強いということは事前に知っていたので、追いつけるよう頑張るぞ、と意気込んでいた。

1日目の研修は業務というよりは会社の仕組みについての研修だった。例を挙げると、勤怠管理についてだったり、セキュリティに関することだったり。おそらくどの会社でも1日目にするような内容とほぼ変わらない。
2日目、本格的に業務にかかわる研修が始まる。
3日目、2日目の続きをし、課題を出される。

とまあ、本当に普通の内容だ。研修の内容はどこまで出していいかわからないのであまり言及はしないが、おそらくプログラマーやシステムエンジニアが最初に教わる内容ということと、Next.jsを使った研修とだけ書いておく。
ただその研修で、自分がいかに無知なのかという事に気づかされた。自分以外のメンバーはアルバイトでプログラミングをやっていたそうで、自分が知らないことも当然のように知っていた。もちろん焦ったが、ここまではまだ「がんばろう」という気持ちが大きかった。今ではQiitaですごい記事を書くような人が、「自分も去年は全くReactを書いたことがなかったから大丈夫」と言ってくれたのもあったのだと思う。

事件は土曜日。冒頭にも書いた通り母からメッセージが来た。あまりできが良くないことを伝えると、

「がんばって追いつきましょう。きっとできるよ。」

と返ってきた。見ての通り大抵の人が使うであろう励ましだ。実際、自分も使ったことさえある。しかしながら、自分はこの言葉に追いつめられていると感じたのだ。
わだかまりは残っていたものの、うまく言語化できず「がんばる」とだけ返し、母とのチャットは終わった。

その日の夜、姉から電話がかかってきた。

「へこんでるみたいだけど大丈夫?」

と聞かれ、自分がへこんでいることに気が付いた。母としたやりとりを姉とも繰り返し、最終的に「まあきっと大丈夫さ」と言われ、泣いてしまった。勤務以前、友人にも同じような言葉をかけられたことも連鎖的に思い出し、そこでようやくわだかまりの正体に気づいた。

「なんでみんなしてそんな無責任な言葉で励ますの?」

理不尽である。自分でもかなり理不尽なことを言っているとわかっていたが、「きっと」ってなんだろう。「大丈夫」って何が大丈夫なんだろう。根拠のない励ましは無責任じゃないか、とさえ思ってしまった。励ましてくれている人に対してなんてひどいことを考えるんだろう、としばらく自己嫌悪に陥ったが、ではなぜそんなことを思ったのか考えてみた。

結論としては、自分と相手の考え方のギャップだ。当然といえば当然なのかもしれない。自分は「大丈夫じゃないからこそがんばろう」と思っているが、相手は「がんばれば大丈夫」だと思っている。自分の考え方では、がんばったところで大丈夫になるかなんてわからないのだ。だからこそただの励ましが無責任な言葉に聞こえる。考え方が一致していれば「だよね!」で済む話だ。要するに、自分の考え方が悲観的すぎるのだ。

楽観的過ぎるのも問題だと思うが、多少楽観視している人の方が生きやすそうに見える。「自分が変えられるのは自分だけ」という言葉にあるように、励ましの言葉は変えられない。これからも「きっと大丈夫」なんて言われる機会は何十とあるだろう。そこで無責任だと思うのか、頑張ろうと思うのか、自分次第だ。

最後に、母、姉、友人、ごめんなさい。そしてありがとう、頑張ります。

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