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思い思いの重い想い


これはもう3ヶ月前の日記。



今日は楽しかったけど、その場しのぎの相槌で自分の言葉が薄汚れた。こっそり意地悪な返答で相手を傷つけたかもしれない。

一人ぼっちなら、穏やかでいられる。
大勢の中では自分が誰だかわらなくなるし、一対一で話したら初対面の嫌な自分が出てきたりして苦しい。


私はとても、
真面目なのかもしれない。
幼稚なのかもしれない。
孤独なのかもしれない。

友人に指摘された。
私は感情のままに行動するのを嫌厭している。(友人へ、当っていても外れていてもどちらかわからなくても特に嬉しくはないので私を分析しないでください)

確かに、行動を理性の支配下に置きたがるふしがある。「今、ひどいことを思ってしまった。だめだめ」「人の気持ちを慮らず浮かれた 。だめだめ」って自制する。でもあっという間にボロが出て、その少し後に涙が出る。
不甲斐なくて本当に嫌になる。


生きている時点で害だから、せめて誰も傷つけたくない。それなのに、あてもない馬鹿馬鹿!!という気持ちが溢れる。帰り道、ため息と一緒に奇声を発さずにはいられない気持ちが溢れる。


胸が苦しいとき、言語化だけが私を助けてくれるのに、今は言葉が見つからない。多分思い当たる言葉があるけどそれを充てたくない。月の美しさにすら苛立ちを覚えるような、そういう夜がある。


この世界の人々は全員、こんなにも難解な「後悔」や「憎しみ」や「恋」などを含む「生きる」をしているのか。私には無理かもしれない。みんな上手に隠しているだけで、こねくり回して歪な形をした想いを持っているのだろうか。お願いだから、持っているよ、と言ってほしい。



持っているよ、と言ってほしい私以外の誰かのために投稿する。もう12月か。




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