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強く、強く、生きる。

挑戦と失敗、少しばかりの成功。
一瞬で過ぎ去り、とんでもなく濃い。
自分と向き合った。
そんな4年間。

困難な道だと分かっていても、傷つく心構えが出来ていても、それでも苦しいし、辛い想いはするもの。
傷つくことを恐れて、価値あるものは手にできない。
そう分かっていても、落ち込むし、痛いし、疲れるし、ボロボロになる。
全く傷つかないまま、何かが得られるほど人生甘くなければ、優れた人間ではない自分は、どれだけ転んでも、立ち上がらなければならない。
目に見える結果が欲しい。
しかし、人生はそんなに甘くない。
普通何もしたくない1日もあるだろう。
だけど、一度止まってしまえば一生手の届かないものになってしまう怖さから身体は動いた。
掴み取りたいものがある。
今日を101%で生きる理由は、不安や焦りを埋めて自分を満足させることではなく、いつも掴み取りたいもののため。
そうあるべきだと思う。

人間的成長。
この課題と向き合い何年経っただろうか。
中学時代にぼんやり考え始め、高校時代に少しずつ手応えを感じ、大学に入ったらまた1から考えさせられる。
人間的成長が大切なことと分かっているが、どうもすっきりしないことがある。
しようとしてするものではないこと。
人間的成長という言葉は、危ない要素もあるということ。

勝者がいれば、敗者がいる。
勝利を手にすることは、相手から幸せを奪うこと。
真剣勝負。
人間的成長のためのサッカーではない。
人間的成長について考えることを強要されるがあまり、すり替わる。
なんのためにサッカーしてるのか。
いつからか負けることの意味が、認識が歪んでいく。

ピッチに立てるのは11人。
それ以外は立てない。
試合に出れない悔しさを押し殺しながら組織のために貢献しよう。
自分の立場を受け入れて。
素晴らしい姿勢だと思う。
でも、欲深く、わがままに、結果を。
輝きたい場所は自分自身が一番分かっているはず。
選手である以上、試合に出られること以上の幸せはないと思う。
人間的成長を度外視するわけにはいかない。
でも、人間的成長に逃げないこと。
人間的成長を目的にしないこと。
ピッチで味わった悔しさは、ピッチで晴らし、それを他で埋めようとしないこと。

『勝ち負けが全てではない』
よく聞く言葉だ。
確かにそうかもしれないし、そう感じたこともある。
ただ、その意味は『勝利を求め続けること』をした者のみぞ知る。
そうでなければ、負け惜しみに過ぎない。
人間的成長の話に繋げると『勝利を求め続けること』をしていないなら、真に成長はない。
大事にしたい絶対的なもの、向上意欲、本質から眼を背けないこと、見失わないこと。

1/11がとびきり熱くやっていても。
とにかく勝利を求め続けていても、いつか見ることになる。
限界というやつ。
その壁を打ち破りたいとき、人間的成長に向き合えると思う。
結果気付いた。
自分のために頑張ることと、チームために頑張ること、大切な人の想いを背負い闘うことが、イコールに近いものなのではないかという感覚を。
この気付きは、人間的成長なのか分からない。
人間的成長に答えなんてあるはずがない。
人それぞれ定義も違う。
だけど、自分の意思でやっているものと本気で向き合わないで成された人間的成長って一体何なんだ。

4年間で、人間的成長とか、大学サッカーの価値とか、順天堂大学蹴球部でサッカーをする意味とか、代々先輩たちから問われてきたし、自分たちも後輩に向けて問うことがあった。腐るほどに。

大学サッカーの価値。
おそらく大した価値はない。
『大学サッカーの価値って、正直ないよね?』という視点。
大学4年間の中には、それは素敵でワクワクする、成長のための手段が溢れている。
自分はサッカーを選択した。
そして、それは同時に素敵な手段の数々を捨てることを意味した。
サッカーに没頭した結果、見事にサッカー以外してない4年間。
もちろんサッカーのために、サッカー以外のことにも目を向けてやってきたが、そういう意味でもサッカーしかしてない。
インターン、留学、資格取得、お金を貯めてやりたいことに投資する。
なんとなくサッカーをしているなら、心底勿体ない4年間になる。
就活のネタ程度で終わるなら、絶対に他にやることがあるし、サッカーじゃなくていい。
それでも自分が選んだ道だから、それを正解にするための取り組みをしてきた。
今なら自信を持って言える、大学サッカーには価値があると。

辛いことなんて山ほどあるし、自分のしている努力が一体どんな方向に向かっているのかという不安は、何か成し遂げたいというものがある限りは、消えることはない。
どんだけ頑張っても未来は見えない。
自分の未来は明るいか、暗いのか。
全く分からない。
出来ることならドラえもんを召喚したいところ。
ただ一つ確実に分かることは、今この瞬間、この場所で全力で生きない限りは、明るい未来なんて来るはずがないこと。

あらかじめ結果が分かっていたら、人は努力するだろうか。
分からないからこそ、努力の価値がある。
どんなに苦しくても、どんなに辛くても、歯を食い縛り前に進む強さ。
『自分を信じる力』を得ること。
努力の価値とは、そういうことだと今思える。

見えない未来を不安に思い嘆くよりも、とにかく今日を生きること。
未来が見えないのは、みんな同じ。
その不安が今日のトレーニング内容を濁らせ、強度が落ちてしまえば、未来への不安は増す一方。
だから今日。この場所で。101%で。
花が咲かないときは、辛抱して深く深く根を張る。
来るべき瞬間へ、準備。
来るべき瞬間に、満開。

なんで、そんなサッカーなの。

腐るほど聞かれる。

『俺はサッカーが大して好きではないのかもしれない』
そう自分を疑った。
好きという前提で考えると見たいものしか見ないから。
やっぱり好きかも。
何周も何周も。
それで帰ってきたならそれでいいと思う。
自信を持って好きだと。
心の底から好きなもの、愛したものは飽きが来ない。
そういうもんなんだと今思う。
何度も言うがサッカーじゃなくてもいいわけで、サッカー以外にも魅力的な仕事はある。
それでもサッカーなら、やっぱりサッカーなんだ。
就活をすることすらも、結果的にサッカーを選択するために必要だと思えた。
自分にとって本当に大切なものは一体何なのか。
世の中のこうあるべきだろとか、こっちの方がいいとか、誰が決めたか分からない価値や判断基準に何の疑いを持たないまま、そうだと思う前に気付きたい。
世の中の人たちに便利で快適なモノを提供すること以上に、心を満たし、誰かの今日に活力を与えることに価値を覚えた就活だった。
そして、サッカーにはそれができる。
そう信じてる。

4年間という挑戦する期限があるからこそ、後悔も、感動も、言葉では表現しづらい心境が生まれる。
終わりがあるから、生まれる感情。

大学サッカー、4年間、それ以上はない。
4年間をとことんサッカーに捧げる意味。
それ以外を捨てる意味。
それでもサッカーを選択する価値。
価値がないなら、与えればいい。

真剣勝負に負けた。
悔しすぎる敗戦。いや終戦。
本当に身も心も疲弊した2020。
真剣勝負ができた幸せを感じるべきなんだろう。
ただ、そんなものを掻き消してしまうほどの悔しさ。

同期と4年間を振り返る時間。
色んなことが蘇る。
もっとやれた。
もっとやれる。
まだ強くなれる。
また強くなれる。

同期には、プロの舞台に活躍の場を移す者、会社員として、教員として挑戦する者と様々で、どの決断も素晴らしいし、誇らしい。
自分も決断をした。
諦めることを諦める決断とでも言おうか。
これからの取り組みでその結果が出る。
そして、それらの結果全てを自分の人生で引き受けるだけ。

『世界一上手い選手』になれることは絶対にない。
『世界一速い選手』になれることも絶対にない。
それでも、やれることがある。
上手い選手だけが観客を魅了できるのなら、上手い選手だけがプロになれるのなら、今すぐにでもサッカーを辞める。
上手い選手に何度も憧れたし、プロの舞台は、そんな選手達の方が近いのは分かってる。
ただ、上手い選手なんて驚くほど沢山いることを自分の目で見て、体感した。
上手い選手、上から50人がプロになれますよ。
サッカーは、そんなに単純な競争ではない。
与えられた条件のもとで、自分の納得する選択をして、闘う。
とことんやる。
強く、強く
生きる。

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長々とまとまりのないnoteですが、最後まで読んでいただきありがとうございます!!
2020年本当に大変な年でした。
一生忘れることはないと思います。
ありきたりですか、今までの当たり前が、どれだけ幸せなことだったのかを実感しました。
本当に沢山の人に支えられて、今確かに生きています!!
ありがとうございました!!
2021年も大村俊輔を宜しくお願いします!!
熱く生きましょう!!

#蹴球人生


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