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2024.7月のおたよりコーナー


僕が師匠への弟子入りを申し出たのが2018年、入門を許されたのが2019年、神田伯山先生が襲名され真打(=弟子をとることができる身分)になられたのが2020年ですから、時系列的に伯山先生への弟子入りは考えたことはありません。
また、東京の講談師の先生方に入門する、というのも全く考えませんでした。
講談師になりたい、という思いよりも師匠玉秀斎の芸を観てのこの人の弟子になりたい、という気持ちのほうが強かったためです。
玉秀斎が別の芸能演芸をやっていて、出会っていたらまた別の道があったのかもしれないです。
ただ、講談をされてきたからこその玉秀斎で、だからこそ「この人の弟子になりたい」と僕がなったのだ、とはもちろん思いますが。



 
とにかく自分の無能がつらかったです。
無能な上にビビりですから、ただでさえ無い能力が緊張によって低下する。そうなると人とは思えない低能力になってしまいますから当然失敗をする。失敗をすると師匠にお手間をおかけしたり、公演がうまくいかなかったり、お客様に迷惑をかけたりする。もう失敗してはならないという思いが緊張を強くさせる。するとまたも能力が低下するので失敗を繰り返す…そういう負のスパイラルに入った4年間。これはつらかったです。
公演前に電車に飛び込もうと思ったこともありますし、酔っぱらってドアノブに腰ひもをかけて首を吊ったこともあります。酔っぱらったままなぜか姿勢よく眠ってしまい、首が締まることはなく、大事にはまったく至りませんでしたが。
妻にも大変な苦労心労をかけてしました。
あの頃の苦闘はおそらく一生ものでしょう。人格が変容したとは思います。この人格の変容が良いことなのかどうなのかは死ぬ時まで、いや、死んだ末にもわからないんでしょうねえ。



 
まずは妻の献身的な手助けです。
妻はいつでも僕の味方になってくれました。
妻としては「そんなもんつらいんやったら講談師なんてやめてほしいなあ」
と思ったでしょうし、今でも思っているでしょうから、今僕は妻の期待を裏切り続けて講談師を続けていることになります。
その申し訳なさはずっとある。
僕はこの裏切りの自責からは逃れることはできないまま死ぬでしょう。
そして僕の人生として、今までまともに「食えた」という経験がないことが挙げられます。
就職もバイトもうまくいったことがなく「自分でご飯を食べている」という状態になったことが30歳ころまで一度もなかったのです。祖父母や父母、妻に寄生するだけの存在でした。
それがまだ前座として修業中、30の坂を超えたころには飯が食えるようになり今までそういう経験がなかったので手放したくなくなりました。やめたら僕がまともに働けるような仕事は一つもない。と思いながら耐えていました。今も、講談師をやめたら食っていけて続けることができそうな仕事はやっぱり無い、と思っています。そういう恐怖感が僕に「辞める」と言わせなかったんでしょう。
 
そして師匠が先の質問に答えたように僕が負のスパイラルに入り、精一杯はやっていたのですが、おそらくほかの一門や落語家さんの師弟だとレッドカードやイエローカードで七ならべができるくらいの失敗、ミス量を重ねておりました。それでも師匠が破門、「辞めろ」と仰らなかった、ということが大変大きいです。
 
ですから師匠が破門と仰っていたらやめていましたし、能力がこんなに低くなければやめていたでしょうし、妻がいなければやめていたでしょう。続かなかったと思います。
 
 


「講談師として」のプロとアマチュアの違い、の話だととらえて、それについて書きます。
 
プロとアマチュアの違い、その定義については講談師の中でもよく話題になることです。
そしてその定義はいつまででもはっきりとしない。定義は語るものによって千差万別、と言っていいでしょう。
それには理由があり、プロを自称している講談師がプロとアマチュアの峻別を語るとき、必ずそれを語る当人は、自らという存在、さらに自らが交流のあるお世話になっている講談師が「プロの講談師」に入るように理屈を組み立て、要件を整理し、定義づけします。
自分がプロで、プロたちの中で仕事をしている。ということを語るためです。
そして語った定義に当てはまるものをプロ、そうでないものをアマチュア、もっとよく使う言葉で言うと「あんなもんはプロでもなんでもない」と断じるです。
しかしプロではないとどこかの誰かに断じられたその人の中でも、自分がプロであるという理屈はあり、それを語るものですから、人によってプロとアマチュアの違い、その定義についてはバラバラです。
そして実際にそんな定義はないのでしょう。
講談というのは伝統芸能で、かっちりとした法則あるいは法規があるわけではないです。
あくまで現象として現代に存在している。そんなゆるふわな存在なのです。
 
たとえばよく言われる「しっかり弟子入りをして、ちゃんと修業を」という一点、我が玉田一門の原初・江戸末期に活躍した玉田永教は神職の出て別に師匠について講談を学んだわけではなさそうです。でも講談師です。
これは玉田の一門が続いた。ということも大きいでしょうが。
 
東京の御一門でも、お金で講談師の名前を買った道楽者が弟子を作り一門が大きくなり、今にもプロとして続いている、という例もあります。
続けばプロとしてみなされる、遡及的にプロとみなされるような部分はあるかもしれないですが、すべてがそうとも限らないので定義はむつかしい。
その腕前や技術で問うならば、アマチュアを名乗って活動している方でもプロを名乗って講談をやっている人間よりずいぶん上手な方も多い。
ですから後の時代から振り返って定義するならまだしも、現代の講談師が現代の講談をやっている人間を捕まえて「プロか、アマチュアか」とその違い、定義を論議するのはナンセンスなのかもしれません。
ただ、もちろん我々は現代を生きているわけですから、その生きる感慨として「あいつはプロだ、アマチュアだ」という基準を持つことはあります。
これは講談師に限らずお客様の中にもその基準があるはずです。
僕の中にも当然あります。おそらく質問の意図としてはそこを知りたい、ということだと思います。
僕だって質問の意図くらいはわかる。某元市長じゃないんだから。いや、あの人はわかっていてわざと答えないからもっと悪質か。
 
では改めて箇条書きにします
 
・プロを名乗ってその自覚があること
・師匠について修業を行い、名前をいただいていること
・破門されていないこと(真打・真打格になった以降の破門は除く)
 
の3点が現代で現代の講談の世界を生きる僕の中ではプロの定義で、これを1つでも満たしていない人はアマチュア、ということになります。
 
もちろん現在師匠にもつかず勝手に講談をやりはじめている人が将来歴史家なんかに「あの人こそ講談師である」と言われる可能性は全く否定しません。
続ける、続けることができる、続けることができた、そしてそれがずっと続いていく、ということはすごいことなのです。
 



毎日好きなセリフは変わります。今日は
「なんだ気のいいジジイだな、轢くぞこの野郎」(粗大ごみ)
 


ありがとうございます。
おとこでもギャルになれる。それが玉田玉山ギャルズです。
頼りにしてます。
 

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