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3月7日 汁と飯のこと


白飯に汁をかける、というのは享楽的な営みだ。
僕は汁飯の類が本当に好きだ。
白飯に味噌汁、白飯に茶、白飯にラーメン汁…
もっと言えば、カレー、シチュー、中華丼だって汁飯だろうし、卵かけご飯だって汁飯の範疇だろう。牛丼もつゆだくになると汁飯になる。
また、雑炊、おじや、お粥の類も形を変えた汁飯、いや、あれらはどちらかというと「飯汁」ということになるだろうか。

兎も角、あの飯と汁とのコラボの快楽。飯と汁が混然一体になって咽喉を越していく喜び。
熱い熱いといいながら、流れに任せてずぞぞぞぞっと食べ終わる。すぐに食べ終わって気付けばもう一杯お替り、そしてもう一杯…。
僕は麻薬をやったことは無いけれど、多分、ああいうことなんじゃないか、と思う。
気付けば汁と飯の熱気で汗だくになっている。まさに享楽だ。

僕のそんな汁飯食べ、にもやり方がある。
味噌汁がいい。味噌汁を作る。味噌汁の実はよく吟味をしたほうが良い。
ネギ・ワカメ・豆腐・お揚げなどは良い。汁飯ののど越しを邪魔をしない。
大根などの根菜類は前日の味噌汁の残りをおぶっかける際など味も染みて非常に良いが「今汁飯が食べたい」という衝動は突然やってくる。そうなってから作ったのでは、のど越しの邪魔になるような固さが残る。これはよろしくない。
また同じくのど越しの観点から、実は大きすぎない方が良い。

味噌汁は気持ちだけ味噌を多めにする。この汁はそれ単体で飲む気はさらさらなく。飯にかけるという目的で作られる。飯と合わさった際の味を良く想像して味付けをする。

そして以外と大事なのが飯だ。
当然前日の残りの冷や飯でもよい。

しかしながら僕としては炊き立てを用意することをオススメする。
汁飯の幸せに「熱さ」というのもあるように思う。熱々のものをフウフウと言いながら位に流し込む気持ち良さ。少しМッ気があるのかもしれない。しかしその熱さと、それが咽喉を越していく快感は何者にも変えがたい。僕の汁飯にとって熱さは絶対的な要件の一つだ。

さて、味噌汁とご飯を作ったら準備完了だ。
熱々の味噌汁と、炊きたての飯。
まずは味噌汁椀にご飯を盛る。割と多めに持っていく。
「肝心の汁があんまり入らないじゃないか」というくらい盛る。
そこらら味噌汁をこのご飯の入った椀にお玉ですくってぶっかける。

汁と飯のバランスで言うと、飯7、汁3だ。

味噌汁の鍋はできれば保温か、ごく弱火で、その熱さを保持しておくとよい。

ここで食卓に着く。サラダとか、副菜とかそういうものは用意する必要はない。汁飯は汁飯で完結しているのだから。
兎も角食卓に着いたら汁飯を掻き込む。
とても熱い。しかしながらワシワシと掻き込んでいく。
汁飯を食べたい、と思うときは大体腹が減っている。
腹が減っているときにはご飯をがつんと食べたいものだ。なのでご飯の量を多めにする。
ワシワシと汁飯を食べていく、食べていくと同時に汁が未開の飯にしみこんでいく。
そういった変化を楽しみつつ一杯目の汁飯を食べ終わる。

続いて二杯目は飯5、汁5。
これが最も正当なバランス。
一杯目はあくまで腹を満たすという享楽にもコミットをしているが、今度は真っ向勝負。汁飯としての享楽のみに奉仕する一椀になる。
こののど越しはたまらない。
先ほど一杯目ののど越しは、飯が多いこともあって、少し押し込んでいく感じになるのだが。二杯目ののど越しは飯と汁と汁の具、混然一体となって咽喉を刺激し、あとくされなく胃に流れ込んでいく。快感だ。

二杯目を食べれば三杯目を食べたくなっているはず。
三杯目はもうわかると思うけど、飯3・汁7。

汁を多めにしたシャバシャバの汁飯。
ここまでくるとそこそこ腹は満ちている。しかし汁飯はもっと食べたい。飯の量を減らした汁飯になる。
また、ここまでくると、炊き立てであった飯の温度が少しづつ下がり始めており、普通のバランスでは熱さを保てない。
よって、熱さを保っている味噌汁の配分を多くすることによって汁飯の高音を保つのだ。
そして何より、この一杯の食べると「汁飯を食べたな」という気持ちになる。
お寿司を食べた後の熱いお茶を飲んだ時に思わず出る「ああ、お茶が美味しいなあ」という快感。それに類する快感が三杯目の汁飯にはある。

三杯目の汁飯を食べ終わったらあとは自由、汁と飯のバランスを変えるもよし、少し醤油やごま油をたらすのも良し、あるはあまった飯を汁の鍋にぶち込んで、ネギ・海苔などをパラパラと振りかけておじやにして飯汁化するもよし。だ。

日記を書こうと思ったのに、ただただ汁飯の食べ方を書き記すだけになってしまった。
まあ、作業をして、ご飯を食べただけの日だったので、仕方ないです。

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