11月6日 あくびぼうや大阪ラスト。カギョウを観に行った。



 僕の大好きな漫才師・あくびぼうやの二人が東京に行くという。大好きだというのに大阪で彼らを支えることができなかった、新天地に転出させざるを得なかった己の非力を恥じるばかりである。今日はそのあくびぼうやが大阪で最後のライブだという。楽屋Aに出かけていく。

 あくびぼうやに出会ったのは確か昨年。M-1グランプリの3回戦の動画ではなかったか。様子がおかしく、それでいて非常に面白く、感動し、友人の横山清正にすぐさま薦めたのを憶えている。そこからお笑いのライブに通うようになって、初めて生で見たのがグラバーというイベントで、確か会場が中央会館だったか。東京大阪の芸人がどんどんと登場する寄席形式のイベント。出囃子に『殺し屋危機一髪』がやたら使われていた印象。そこではじめて生で観て、非常によく笑い、これはチェックすべき、とメンバーである池田京橋氏のツイッターをフォローしたんだっけ。

そこからBAR舞台袖であったり、楽屋Aだったりのイベントで何度も拝見をしたのだった。この半年くらいあくびぼうやが出ている、というのは劇場に足を運ぶ理由の一つにはしていた気がする。

 

あんまり今まで見たことのない漫才で、例えば「なんでやねん」という言葉のニュアンスと重みが他の芸人さんと違うところが好きだ。

芸人さんのセリフとしての「なんでやねん」は広く耳にするし、芸人さんの「なんでやねん」の使い方が我々一般人にも降りてきて、我々非常に軽く使っていると思う。

しかしあくびぼうやのもう一人、浜川氏の「なんでやねん」や「なんでそうなんねん」は心の叫びだ。目の前に起きた不条理や理不尽に対して、なすすべなく、絞り出すように抗議をする。ツッコミの「なんでやねん」ではなく、抗議の「なんでやねん」で「なんでそうなんねん」だ。

これってもしかして「なんでやねん」の原初にすごい近い使い方なんじゃないかな、とすら思う。

目の前に起こるあまりにも突拍子もない理不尽に、「そんなもの食べるな」とか「ちゃんと座っとけ」とか「僧がお経を唱えている時にはそんなことはしてはいけない」などという風に言語化できずに言葉に詰まって何を指摘していいかもわからずに、でも指摘しなければならないという時。誰かが放った「なんで、やねん」が、きっとその場でドッと笑いを取って、それは便利な言葉である、というイノベーションが起こって現在に伝わっている感じがする。

そういう原初の、たまらない理不尽に対する「なんで」があくびぼうや浜川氏の言葉にはこもっている気がするのだ。

うーん。考えすぎか。考えすぎやな。しかも下手の考えや。あかん。

 ともかく感情が乗っていて、その感情があくまで悲劇的なのが良い。明るくないのがいい。そして決して言っていることが暗くないのもいい。平和を望んでいるのがいい。そして苦しんでいるのがいい。まるで十字架を背負ったキリストか、苦行に耐えるブッダを見るようで

観ていて心洗われる。その上でバリ笑える。これは稀有な漫才コンビである。

そんなあくびぼうやが東京へ行ってしまうのである。気軽に見ることができなくなる、


 このカギョウというライブには何度も足を運んでいる。5か月連続くらいで通ったかもしれない。この日は妙に仕事が休みになる場合が多いのだ。定点観測的になって非常に楽しい。

この日はにぼしいわし、風穴あけるズ、変ホ長調とすごく好きなコンビ、トリオが出演だった。他の方々もとっても良かった。全体的に死・暴力・夢・謝罪でみんな少しづつネタ被りしていた気がする。最高。

どこかの会社の名前をがどうにもわからないコンビの羊飼いの演目なんかはすごいたくさんの死体が想起されて凄惨なんだけれど、面白さとの両立が素晴らしくって、1時間でも2時間でも話を聞いていたい、その論理展開に一生付き合っていたい、と思わせる漫才だった。


 会場も爆笑に次ぐ爆笑で、あくびぼうやの出番がやってきた。

浜川氏が「人道」というワードを出すと、池田氏が「ジンドウ」という武道激強キャラクターを想起して浜川氏が嘆きながらも池田氏の想起に付き合っていく、という演目。変な漫才である。「支援」や「寄付」などと言う言葉も「ジンドウ」が登場する物語の登場人物「シエン」や「キフ」に置き換えられて話は浜川氏の嘆きと池田氏のずらしでどんどん明後日の方向に加速していく。立川談志の言うイリュージョンにも似たイメージの暴走。

そのイメージのずれが加速すればするほど浜川氏の嘆きも増していき、最後は平和への祈りのように漫才が終わっていく。

こう書くと意味がわからないけれど、これは僕の文才が無いためで、とにかくあくびぼうやはすごく面白いからぜひ一度劇場で観てみてほしいのだ。稀有だから。会場も爆笑であった。


 最後のトークのパートでは浜川氏が風穴あけるズのコブラ氏を刺し殺す、という場面があり、爆笑のうちにカギョウは終演。

毎度非常に素晴らしいライブである。本当に救われている。席に座って、携帯や事務作業のことを忘れて、退屈せずに笑ってヘラヘラしていられる時間のありがたさ。人生の得点が確実に増えていく感覚。普段の生活であまりに失点が多いので最終負けそうではあるのが悲しいところだが。


終演後、あくびぼうやの二人に「頑張ってください、とっても面白いので応援しています」と言いたかったのだが度を越した人見知りであるからそのような勇気は出ず。

ほんまにこれ、あの、恥ずかしい話、いや、一応ご祝儀も用意していたのだけれど、渡せず終いだった。まじへちょすぎ。僕は金の力を借りてでも「頑張ってください」って言いたかったのだ。でも言えなかった。へちょすぎだ。自己嫌悪。

いつか東京でお仕事をお願いして、その時に少し多めに渡せるように、頑張ろう。と思い直して地下鉄に乗る。まずは自由自在に東京大阪を行き来できる財力を身に着けるぞ。


しかし本当にあのイベントの後の見送られる時間というのがいつまで経っても苦手である。そそくさとしなかったことが一度たりともない。なんなんだろう。なんか「ごめんなさいーひー」って気持ちになって逃げだしてしまうんだよなあ。あれ、なんなんだろう。ちゃんと考えたことないけど、突き詰めたらたぶん僕の気持ち悪さ、自意識過剰から来ることなんだろうな。おお嫌だ。自己嫌悪。30過ぎた自己嫌悪は厳しい。きつい。やめておこう。やめておこうぜ。

 

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