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10月10日/11日/12日 黒川寄席DX稽古・作業・映画鑑賞などの後記


●10月10日(水)

 午前中に京都へ。喫茶に入り、10月15日に出演のイベント『黒川寄席DX』の台本の手直しをする。この『黒川寄席DX』は『演芸倶楽部』でご一緒させていただいているクロカワモーズ氏の企画。クロカワモーズ氏が黒川猛名義で書かれた落語を役者の方々が演じるというものだが、今回は僕は落語の台本を講談化して弁じることになった。
 下ネタ、というかなんというか、痔のネタである。台本は自由に変えてよい、とのことであった。
落語の台本であるから、殆どがセリフの応酬なわけだけれど、そこに地の文を挿入したり、歴史や歴史のパロディで笑いを入れられるところを足したりした。
笑いを目的として書かれた台本に、笑いを足していくのは愉快なことである。しかし黒川さんの台本の持つバカバカしさは損なわないように気を付けた。
 同日夕方には共演する方々と共に稽古会。皆がそれぞれの落語、僕は講談を稽古場で披露する。さっきできたての台本であったから、読みながらの形であったが、結構ウケた。たぶん大丈夫だと思う。役者の方々の落語は演技重視の引き芸で面白かった。やっぱり講談と落語って全然違うなあ、と改めて。講談って荒々しくて、濁流みたいな芸だ。いや、僕がそれしか武器が無いだけで、もっといろいろな武器を持つ講談師がたくさんいるけれど、その荒々しさも講談の魅力の大きな要因だろう。
 自宅に帰り、妻と餃子ウィンナー鍋という欲望の塊みたいな鍋を作ってつつきながら酒を飲む。深夜に目が覚め、13日のシラス配信に向けての読書を行う。

●10月11日(木)

 朝から飲酒をする。十三にある十三屋である。冗談みたいな名前であるが名店である。4杯の焼酎を飲んで、梅田へ出かける。トーホー梅田で『アントニオ猪木をさがして』を観る。猪木礼賛感が強すぎるきらいはあったが、一プロレスラーが没後こんな映画を作られることになって、それが大阪の一等地で一日何度も上映されていると思えば痛快ではないか。中々こういうプロレスラーは現れないだろうと思う。参議院議員時代のイラク人質解放について気になる。これは講談にするべきエピソードだ。『プロレスラー政治家スーパースター列伝』をやるんだったら、これは僕の仕事であろう。猪木、大仁田、神取忍、馳浩…国会議員だとこのあたりか。結構いけそうだ。
『アントニオ猪木・イラク日本人人質解放物語』
『格闘家大臣・馳浩』
『神取忍の勉強不足』
『大仁田厚、森裕子に殴られる』
いい並びだ。ただかなり胃もたれする講談会になりそうだな。
映画を観終わるころには随分酔いも醒めている。なんと梅田にコメダ珈琲が開店しているのを見つけて入店。Wi-Fi、電源共に良好な良コメダであった。これは大阪で頼りになるスペースがまた増えた。梅田の唯一の弱点だったんだ、コメダが無いというのは。ぐんぐんと作業をする。13日に予定しているシラス配信の為の資料作成を行う。

●10月12日

 どうもここ最近、眠りが浅いというか、23時頃に眠り、1時頃に目が覚めてそのまま朝5時ころまで作業をしたりして、5時から8時か9時くらいまで眠る、というのが常態化してきた。酒を飲んで眠っても、1時には酔いが醒めているので作業ができるにはできるのだ。妙に焦る気持ちになって何事かしなければならぬ気持ちになって、机に向かう。目が覚めても暫く目をつぶっていれば眠れるのだろうが。この日もそんな感じだった。
 朝目が覚める。妻と昼間に焼肉を食べに行く約束をしていたのに「お腹がすいていないなあ」と言ったら妻が如実にがっかりしてしまって誠に申し訳なかった。焼肉は日延べとなった。申し訳の無い限りである。寝る前にかりんとうを数本食べたのが良くなかった。
 自宅を出て、noteを書き、古典講談を憶える作業に入る。同期の旭堂南喜の「一言一句覚えるには手書きをする、写経をするのがよい」という説に則って、古典講談を写経していく。『扇の的』という非常に重要な演目。一言一句ゆるがせにせずに覚えた方が絶対によい演目なのだ。しかしこれを憶えるのが難しい。どうにも。困っているのだ。だから藁にもすがる思いで写経である。その後、いくつかの事務作業、飽きれば写経、飽きれば事務…の繰り返し。
 15時から十三の第七藝術劇場にて映画『国葬の日』を観る。選挙ドキュメンタリーを連発しているネツゲンの製作の映画。タイトル通りの映画であった。安倍晋三元首相の国葬の日にいろんな人に話を聞きに行っていた。基本的には市井の人に話を聞く。いろんな人が居る。という当たり前のことを映し出していた映画だった。
当時僕は国葬については「人の弔いに文句を言うようなことは主義に反するな」としか思っていなかった。自分に関係ない葬式だからって文句をつけていいわけではない。悼む人の邪魔をしてはならない。葬式は悼む人の為の儀式であって、悼む気持ちの無い人は特段そのことをアピールすることはないし、悼んでいる人を否定することもするもんじゃあない。と。
であるから粛々と国葬を受け入れていた。
この映画でいろいろなロジックや感情で国葬に反対を表明する人をたくさん見て、なんとなくあの時の自分が卑怯だった気もしたのだった。
僕は僕の言葉で僕の主義を語るべきだったのかもしれない。人を怒らせる目的ではない、傷つける目的ではない言葉で語るべき、記すべきだったのかもしれない。
なんでそんな気持ちになったのか、よくわからないけれど、ああいう推進力のあまりないドキュメンタリー映画を観ると、にはこういう自分の内側に少し波風が立つような、そんな体験をすることがあるものである。
 そこから事務作業と写経を暫く続けて帰宅をする。妻と話をしながら食事をした。許せる悪口と許せない悪口について話をした。
 いつ眠ったのか憶えていないが、またぞろ深夜におきだして、写経をする。ついつい台本を口に出しながらやってしまったが、眠っている妻に迷惑をかけてしまった。妻は仕事が控えているというのに。これはいけない。もうよそう、と思う。結局3時頃に写経を切り上げ、ゲームをしたり、10月22日にやらなければならない徳川家康の新作講談の下調べをしているうちに夜明け。夜明けとともにもう一度の眠りにつく。


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