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2024.水曜どうでしょうキャラバンの記録

 2024年の水曜どうでしょうキャラバンに参戦してきた。僕は秋田・山形・福島・茨城・岐阜・兵庫の6会場で「水曜どうでしょう講談」を弁じた。


熱弁…しかやり方がわからない


それ以外にも各会場でその日のキャラバンの総括講談、黒色すみれさんとのコラボ歴史講談、果てはモルック講談まで、いろんな講談をしたのだった。各会場で愉快なキャラバン隊、熱い藩士たち、手練れのアーティスト陣、大好きな番組を作ったディレクター二人、に囲まれながら過ごすハッピーでナウな日々だった。ホットでクールな日々だった。
そんな日々の記録をまとめたのがこの記事である。
数日間の本番、そして移動日に起こったこと、思ったことをつらつらと書き記している。
思い出が多いので無駄に長大な文章になることが予想される。せめて10000文字には抑えたい、と思っている。誰が読むんだ素人が書いたそんなに長いネット記事。
ともあれ、書いてみようと思います。

9月9日 秋田への移動

 武蔵新城から川崎、川崎から東京駅に移動し、東京駅から秋田新幹線で秋田へ向かう。秋田新幹線には初めての乗車であった。福島、宮城あたりまでは何の感慨もなかったのだが、岩手に入り、秋田へ向かうあたりから景色が変わる。
広い耕作地の向こうのほうに山が見える、というような景色が続く。これが普段あまり観る景色ではなく、大変によいものであった。


This is とうほく

おそらく風土というものが東北以南以西とは違う。
もし陸続きじゃなかったら絶対に別の国であろうと思う。
陸続きであったから豊臣秀吉も攻めて統一、なんてことをやっちゃったし、江戸幕府も幕藩体制に組みこんだんだろう。
暮らしの在り方が、秋田新幹線の車窓から眺めるだけでも違う。


文化とか人種とか人間は言うわけだけれど、地面がつながっている、みたいなことが現状を分かつポイントになっている実感を得る。
ヨーロッパとか中国とか、国境があるけど、土地がつながっていて大変な思いを幾度もしてきているんだろう。
よく今線を引いたままおれるものだ。
線を引いたままにしておかないと皆が苦労するから、人種や民族、文化を創造し、重視している感すらある。
土地が地続きで放っておくと、強いものの侵略を止めることができないから、人種や民族、文化が違う、ということを重要視して自分の領分と周りの領分を線の内側まで、と納得して暮らしていくような。
重視することによって人種差別、自国に違う民族がいることへの違和感、排外主義、も強くなる。
人種差別は戦争を起こさないための民族的すみ分けの副産物として生まれたのかもしれない。
当然平成に教育を受けてきた僕としては差別は好まないのだが、差別というものが今もそれでも存在する、というのはそういう領分を侵そうとしてしまうこと、侵されることへの恐れ、があるのかもしれない。

じゃあ、ヒトラーという人は戦争しないために守ってきた人種や差別、そしてその悪しき副産物として生まれた差別意識を「我々の民族がえらいから統治する」と領土拡大の為に利用したということか。

 日本においては右派ちゃんが単一民族国家だ、なんていうわけだけれど、原初はそんなことはないはず。なんとなく軍事政権が本州の真ん中からいけるところまで統一して、その先には行けずに、あるいは行ったら国際的に「あかん」と言われてぼこぼこにされて近場の列島の中に納まったという単なる列島国家って感じなんだろう。明治維新くらいで西洋の人種や民族、文化の論理が流入し、各国の軍事力の強化によって海を越えるということが容易くなって侵すことも侵されることも可能になって、日本にも日本人としての意識みたいなものが生まれたのか。

 まったく考えても無駄なこと考えながら秋田新幹線に乗り続ける。
だって仕方がないじゃないか。目的地まですごく時間がかかるのだ。
この後の忙しさを考えるともっとちゃんと休みながら移動すればよかった。
下手の考え休むに似たりって言うけれど、それは生産性を他者から観測した場合であって、考えてる下手からすると全然頭休まってない。へとへと。
また下手やから考えもまとまらん。拡散する。損切りも下手やから考えることをやめることもできん。全然休むに似てない。それをなんや。下手の考え休むに似たり。ことわざ、あほんだらですわ。自分で謙遜するとき以外で使うの禁止にしような。

 そうこうしているうちに、そうこうしているうちに?秋田に到着する。ここで特急に乗り換えて能代を目指す。乗り換えに少し時間があったので、そばを食べる。秋田名物「ぎばさ」なるものが載ったそばがある、とメニューにあったのでこれを頼む。すぐに提供される。
濃い目の暖かい出汁、柔らかめのそば、その上にぎばさが載っている。
ぎばさは海藻だそうだ。ねばねば海藻を刻んでどろどろにしたようなもので、あかもく、とも呼ばれている。これがどうにも苦手な食感と風味。気分の良くないタイプの潮の香りが鼻に抜けていき、その奥に旨味を感じることができない。ただドロドロの困ったものがそばに浮いているだけの塩梅になってしまって激しく後悔。山菜そばにしておけばよかった。
しているうちに特急列車の発車時間。電車に乗り込み能代へ向かう。
車中で妻にこのぎばさそばの写真を送ると「草食動物が噛んだ後の牧草 ぎばさ」なる感想が送られてきて、なんだろう、鼻の奥がツン、としたのだった。


「草食動物が噛んだあとの牧草」(妻・談)

 特急列車が東能代駅に到着し、さらにワンマンカーに乗り換えて能代駅へ到着。長旅であった。8時間弱の旅。関東関西とはスケールが違う。秋田と岩手がこんなに遠いか。


珍しいフォント



タクシーを拾ってこの日のホテルへ。10分足らずでホテルに着く。昨年もお世話になったHTBの方々が出迎えてくださって嬉しい気持ちになる。
店長(これがあだ名なのか職掌名なのかはわからない。とにかくみんなから、水曜どうでしょうファンの藩士からも店長、と呼ばれている)がサラリーマンとは思えないくらいのパンプアップとタンクトップと髪色で、なんだかワンピースの海軍の人みたいになっていた。腕組みとかもしていて、いよいよである。

 荷物を部屋に置いてあたりを散策する。政治家ポスターの写真を撮ったり、猫の写真を撮ったりする。能代はいい街だった。平屋が多くて空が広くて、好きな街だ。


幻のような猫

ホテルに戻って決起集会へ。ロビーで集合する。スタッフの方々、嬉野さんも藤村さんもいる。饗宴のRihwaさん、パーカッションの松下ぱなお氏も。
近くの居酒屋にて酒を飲む。県庁の方も合流。「明日はなまはげやります」とのことだったので、なまはげの話を聞く。なんとなまはげにも動きに決まりがあるそうだ。
玄関から何歩で奥まで入る、みたいなことも決められているとか。面白いものである。
したたか飲んだのでよく覚えていないが、先付にまたもや、ぎばさが登場をしてさすがに少し笑ってしまったのであった。ホテルへ帰り、ヘパリーゼなどを飲んで眠る。


またぎばさ!

9月10日 秋田キャラバン


 朝食はバイキングであった。バイキングの担当の小母さんがどうにも恐ろしい人のようで、先に食事をしていたHTBの方から「少しでもこぼしたりすると怒られるし、海苔の袋をお盆の上に載せたまま返却台に行ったりすると大変なことになる。こぼさないように、海苔の袋はごみ箱に自分で捨てるように」と小声でアドバイスを受ける。
緊迫の朝飯。少しでもこぼしたり、海苔がお盆の上に載っているだけで大変なことになるのである。何でどんな風に怒られるかわからない。くしゃみをすれば飛沫が飛ぶし、携帯を観ながら飯を食うのは行儀が悪いし、納豆だって混ぜすぎと言われるかもしれないし、ウィンナーがおいしいからと言ってウィンナーを二度も三度もおかわりするのは下品だと言って怒られるかもしれない。
バイキングの持つ自由の気風を存分には楽しめず、しかしながら怒られるということもなく食事を終えたのだった。

 この日の水曜どうでしょうキャラバンの会場、ぽんぽこ山公園へ。変な名前である。油断をさせる名前であるが、海沿いの砂丘を緑化したような公園で非常に景色が良い。芝の緑と空の青。見事なコントラストであった。
物販ボランティアをお願いしている玉田玉山ギャルズと合流。準備を進めていく。


よい公園。名前の割に大規模だ


この日の出演者はRihwaさんと僕の二人であったため、二ステージづつ務めることとなった。僕の出番が先である。
最初の演目は『水曜どうでしょう講談~三度目の魔神~』ご当地秋田に合わせた演目で、『対決列島』シリーズの東北三県(秋田、宮城、山形)での戦いを描いた演目。これがあまりよくなかった。完全に緊張しており、入りから何からすべてうまくいかず、うまくいかないときの対応が声を張り上げることしかないので、余計にうまくいかずに結句ただただ黄色い着物の男が汗だくで蛮声を張り上げるだけになってしまう。


内心全く穏やかではない



 出番がすぐに玉木青にラインをする「あかんすべった受ける気がしない俺はもう終わりだ」すると玉木「大丈夫きっといけます玉田玉山は面白い仲間もこれから増えていく」と励ましの言葉。
舞台の上ではRihwa さんが躍動している。よく笑いが起こっている。投げ銭もガンガン集めている。不安が燃え上がってくる。
玉田玉山ギャルズも地獄の果ての亡者のような顔を僕がしているものだから困っていたかもしれない。
玉木に不安を再び伝えると「嬉野さんと話をするとよい」とのこと。
嬉野さんと話をするとこれが確かに結構落ち着くことができた。
本番「とにかく1ステージ目は緊張していた」という話を藤村さんが振ってくださって笑いが起こったことで少しふっきれてそこからは割と自由に語っていくことができたように思う。藤村さん、嬉野さんにもマイクを持って笑っていただいてさらに自由になっていく。
演目は『水曜どうでしょう講談~だるま屋ウィリー事件~』だ。
途中投げ銭をお客様にお願いする場面があったのだが、これがあんまり良くなかった。
うまくいっていない感じがひしひしとした。投げ銭への恐怖を覚えたのだった。
確か前回のキャラバンの時も投げ銭は行われたのだけれど、その時の感触をまるで覚えていない。ここからしばらく投げ銭に悩むことになる。

 終演後、会場のはずれで会場テントや物販などの片づけの間、藤村さん主導でミニライブが行われる。僕も参加してこの日の振り返り講談を一席。振り返り講談が一番受けたんじゃないか。即興なのに。なんで即興だとあんなに自由に語ることができるんだろう。楽しく語ることができるんだろう。謎である。宿舎に戻って、この日はみなで焼肉を食べに行く。おいしい焼肉屋であった。翌日は移動日。本番は無いが、眠る気にはなれず。翌々日山形県肘折温泉会場での作戦を考えて脚本を改訂していく。

9月11日 山形・肘折への移動


 前日と同じホテルということは前日と同じ朝食バイキング、そして前日と同じ小母さんがいる。しかしこちとら前日本番を終えてこの日は移動日。気が抜けている。味噌汁用のネギをひとかけこぼしてしまったようで、僕が味噌汁を取り終わって席に着くと味噌汁用のネギのところまでさっとやってきて「はあぁ~」と小さく、しかしながら僕には鋭く刺さるように最大限の配慮をした声量で、ため息をつきながらネギを片づける小母さん。うーむ。何か人生で嫌なことでもあったのか。話を聞いてあげたほうがうよかっただろうか。
 ホテルを出て肘折温泉へ移動していく。移動の車中から眺める景色がどの場所も素晴らしい。僕は翌日の台本に手を入れ続ける。


きれいすぎる東北の空


肘折につく1時間くらい前からトイレを我慢し続ける感じになって台本に身が入らなくなる。しかし途中で止まってくれ、とは集団行動のバスだからなかなか言えない。


トイレを我慢しながら撮影した蕎麦畑


結句非常に危うい状態で肘折温泉に着くことになった。
旅館にチェックインする際にトイレをすまし、すぐに皆で昼ごはん、そばを食べに行く。おいしいそばだった。そばの香りがつんつんとする。良いそばである。ビールも飲む。


そば屋の瓶ビールがすきだ

 そこから自由時間となる。この温泉街は自民党・加藤鮎子氏の選挙区なので、選挙政治好き、さらに加藤の乱ファン(加藤鮎子氏は加藤の乱首謀者・加藤紘一の実娘)としては見過ごすわけにはいかない、と選挙ポスターの撮影に街を散策するが加藤鮎子のポスターは一枚もない。共産党のポスターは割と多い。ていうか共産党のポスター以外は一枚もない。山間の温泉町で何かがおこっているのかもしれない。


鮎子はいない。



智子ばっかり


 宿に帰ってくると嬉野さんがバースペースにおられたので、ビールを一緒にいただく。
不思議な気持ちである。大好きな番組のディレクターがそこにいたら一緒にお酒を飲むことができる。ということになるとは思わなかった。
夜は大広間、皆でコの字形に着席し晩御飯。向こう岸の直線で皆が食べている。『家族ゲーム』を思い出す。
僕は嬉野さんの隣。嬉野さんに「能力があるってことを忘れちゃいけない」ということを言われる。
能力があることをわすれちゃいけない、と思う。
能力があることを忘れてしまうと能力って発揮できないよなあ、と思う。
あることを忘れてそのまま失う、ってことはよくあることだから気を付けたほうがいいんだけれど、それもまた忘れやすいことだと思う。
 食事後、多目的ホールで藤村さんはじめ、世界大会ベスト16のチームHTBモルックチームの面々がモルックをしていたので観戦をする。
モルックは相当面白い。集中力と戦略のスポーツ。
途中で合流したRihwa さんも交えて一試合だけさせてもらう。勝利を得ることができた。
そのあと藤村さんたちとトランプをして、それから眠る。水曜どうでしょうという番組が好きなだけだったのに、なんだか夢のようなことになっているものである。と思って床につくが、眠ることができず、ホテルのロビーで翌日の本番での台本、本番後開かれる夜会と呼ばれるイベントの台本を検討し、稽古し、眠ったのは四時半ころだったか。

9月12日 山形キャラバン


 朝7時に起きて朝食。味噌汁と白飯が美味であり、おかわりをする。白飯をおかわりするだなんて久しくないことであった。しかしそういう衝動が沸き上がってくるくらいおいしい飯と味噌汁であった。

 身支度をして昼間の会場へ向かう。この肘折の地でのキャラバンは複数回開催されており、非常に濃いファンたちが集まることで勇名を馳せている。キャラバン中の聖地と言ってもよい場所。

玉田玉山ブース

 9時ころに会場について準備を行う。この日もお手伝いをしてくださる玉田玉山ギャルズが居てくれたので安心。本番前まで緊張をしながら待っている。時々稽古も行いながら。いも煮の出店が出ていたのでこれを食べると大変に美味であった。500円の割には異常な量を盛ってくれるし。なんと二杯食べてしまったのだった。
甘辛い味付けだがまったくしつこくなく、だしの味わいが心地よい。
大量に食べるのに向いた味。毎日食べられる、という感じのものだった。
大体名前が良いじゃないか。いも煮。いもを煮ているのだ。くー。いも好きとしてはたまらん。良かったらジャガイモでも作ってみてほしい。


いもフェチ

 そんなこんなで英気を養って本番へ。この日は前日に引き続いて『だるま屋ウィーリー事件』をやる。
落ち着くことを第一義に、そして上杉謙信パートをいやがらせみたいに長くしてみた。
なかなかいい出来だったと思う。しかし前日の恐怖から投げ銭を集めることはできず、僕の後の出番、闊達に投げ銭を集めRihwaさんをじっとりとした目で眺めるなど。であった。氏の投げ銭の徴収は、投げ銭をきっちりとショウアップして見事である。投げ銭を入れた人間がショーに参加している感じ、そしてそのショーを藤村嬉野両人が観て喜んでいる感じ。投げ銭を入れている瞬間は会場でその人が主役になれる。という建付けになっている。そしてそれを最高の形で遂行する太陽のような明るさがRiwhaさんにはある。僕にはない、そんなことを考える。暗すぎる。


じっとり暗黒バカ

 物販は嬉野さんが手伝ってくれて相当な売り上げになった。本当にありがたい。
ただ、ラストの計算が合わず混乱をする。
ギャルズ全員が物販を閉めるときには飲酒をしておりなんだかよくわからなくなってしまったのだった。


妻に「つらそう」と言われた。そんなことはない

 終演後、少し間があって飯。そして夜会へと突入していくわけだが、どうにも体調が悪くて閉口する。頭痛が始まる。体の中から「明日やりますから。風邪ひきますから。熱出ますから」という響き。こんなところで風を引くわけにはいかない。
たいへんなことになった。と思ったが、土産物屋の一角に風邪薬を置いてあったのを思い出し、これを購入。規定量よりも多めに飲むとみるみる頭痛が引いていき、体調が回復。こういうときに飲むルルは本当に効く。風邪ひきかけの時。何度救われたことか。

 夜会になる。なんカッパのメイクと緑タイツで現れたRihwaさんの歌、松下ぱなおさんのタンバリン教室、そして嬉野先生の口笛、藤村さんのカラオケなど。多種多様な催しで盛り上がっていく。皆で1/6の夢旅人を歌ったときの盛り上がりがすさまじかった。わかんねえけど、クラブとかってあんな感じかもしれない。僕も心にはバリアが張りつめていき、どうにもならない。心が落下していくのを感じながら端のほうで観てみたのだった。
心配した去年もお世話になった相部屋の、アーティストとの連絡を担当してくださったKさんが「玉山もっといけいけ」と言ってくださるのがありがたかった。
結句僕は最初と最後に振り返り講談をした。ちゃんと受けたので良かった。藤村さんには「普通の講談より急にやるほうが面白い」と言われる始末。あかんではないか。

 終演後、ホテルロビーで打ち上げ。酒とたばこと下ネタと不謹慎ジョークに彩られた飲み会で、なんか、こう、あんまり経験したことのないあれだった。途中で退散して自室でゆっくりする。なかなか眠ることができない。

9月13日 福島への移動、前キャン


肘折温泉朝市。行商のばあさんが新札を仔細に点検していた。


 朝、肘折から移動。火山のカルデラの底にある温泉地・肘折。去るときはこのカルデラの底からいったん火口の入り口まで登って、そして山を下っていくことになる。
肘折を去る時、どんどんと道を上っていくバスを、藩士の人々、肘折の人々がいつまでも見送ってくれる。Rihwaさんがどんどんと距離が遠くなっていく中で見送る人々に向かって「ありがとう!」と大変通る声で叫んでいて、なんだか涙が出そうになる。
ここで涙を流しておけば移動中、小便の我慢に血道を上げなくても済んだのだ。まったく。
宮城で昼飯を食い、福島へと移動。天神崎サイクルセンターなる場所に泊まる。キャラバン会場は目と鼻の先だ。

見覚えのある玉ようかん


この会場は一つのコテージに20人以上が泊まる、というなかなかな設定の宿。
コテージはものすごい光量のライトでガンガンに下からあおられるように照らされている…あの映画の開始時に流れる、20世紀フォックスのロゴが照らされるような、あの感じ。あの感じで照らされている。あたりは森と草原である。遠くから見るとコテージは明かりのない中にポツンとたたずんで良く言えば大変幻想的で格好がよい、悪く言えば趣味の悪いラブホテルみたいなのであるが、さっきも書いたようにあたりは森と草原当然の如く虫の楽園。そんな場所でバカみたいな光量でコテージを照らしたらどうなるか。そう、コテージは虫だらけなのである。
各種虫がコテージ外壁に張り付いており、コテージの中に入っても迷い込んできたバッタやカマドウマ、ゾウムシの類がはいずり飛び回り、カメムシは壁面を彩っている。
「なんちゅう宿でんねん」と思わないではなかったが、そんなことは口にできないものだから、粛々と準備をして夜のイベント出演に備えるのだった。
夜のイベントは、翌朝のキャラバンに備えて前泊をキャンプで行っている人々に向けたパフォーマンス。僕は『水曜どうでしょう講談~ここをキャンプ地とする』を。
とにかく落ち着いていけ、との藤村さんのアドバイスを持って講談を始める。
途中コールアンドレスポンス的なところも入れながら。自分が少しづつ自由になっていく感じがした。ここで結構調子をつかんだところがある。


嬉野さんがみている


 

呪術やんけ

終演後、バーベキューを食べる。大変おいしいお肉。コーンもある。いいものだった。欲を言えばサンマを食べたかったが。
 バーベキューが終わった後、部屋に戻る。なんと藤村、嬉野御両人とパーカッションの松下ぱなお氏と同部屋。期せずしてD陣と四人部屋である。そして虫が飛び跳ねる厳しい宿。もうほとんど水曜どうでしょうである。
途中藤村さんとぱなお氏がコテージのリビングでの大騒ぎに参加しに行き、僕は嬉野さんと部屋で二人きりになる。内省的な話から政治の話に行く、という僕の大変好きな構成で話が進んで、これはずいぶん夢のような時間を過ごしているな。と思う。
大好きな番組を作ったディレクターが僕と政治の話をしてくれているのだ。とんでもないことである。
しばらくするとリビングでの宴会も散会。各々眠ることになって消灯となる。
布団の中、もっと感慨深くなったりこの人生の幸運を寿いだりしたい気持ちもあったのだが、気になるのは無視である。そこらをはい回っている感じがすると怖いし、ちょっとした衣擦れですら「すわ、虫が肌を這っておるのか」などと鋭敏になる。何らかの禁断症状のごときありさま。
結局リビングに行き、脚本の改稿などをしつこくやり、限界がきて眠る。
ぱなお氏もなんらかの作業をしている。意外と働き者の二人であった。

9月14日 福島キャラバン


 朝、藤村さんにいびきをなじられる。ファンとしてはたまらない一幕だったが、僕のいびきはひどいものだから、同室の皆さまは別の意味でたまらなかっただろうと思う。
会場に移動。玉田玉山ギャルズ、と言ってもこの日男性のみであったが、と合流し準備を始める。海に近い切り立った崖の上にある公園。波が崖に打ち付ける、どどん、という地鳴りのような音が、耳を澄ませば聞こえてくる。
この日からRihwaさんと僕に加えて樋口了一さん、古澤剛さんも合流。古澤さんとは何度か共演させていただいている。樋口さんは初。

会場施設にあった素敵なコーナー。かくありたい


僕のステージ、相当落ち着いてやれたように思う。この日初演の新作。立川談志の『落語チャンチャカチャン』という演目がある。古典講談の名作をコラージュしたような作品で、落語ファンにはたまらない演目。
古典落語おなじみのフレーズをいくつも楽しめるし、コラージュの継ぎ目部分、どのように次の演目に行くのか、に面白さが宿る演目である。
これを意識して、水曜どうでしょう講談で今まで語ってきた名場面を総集編的につなぎ合わせ、そのつなぎの形に工夫したような演目になった。


かみのけ


不思議な魅力があるし、意外と汎用性がある講談になった。つなぎ方によってご当地感出すようなやり方もできる、大変キャラバン向きの演目ができた。
相当量の投げ銭も集まり、この日は大満足であった。
 樋口さんのステージ、初めてだったので舞台横から眺めていたのだけれど、泣いてしまった。素晴らしいステージだった。サポートを務める古澤さんもすごくよくて。
最後に歌った『1/6の夢旅人』で樋口さんが古澤さんに「たけしッ」と言って歌唱をバトンタッチするところがあったんだけれど、そこがもう本当に樋口さんも古澤さんもすっごくかっこよくって。
病を押して歌を歌う樋口さん。そしてすごく楽しそうに共演している古澤さん。二人の間にある信頼関係。すべてが美しく、かっこよく。
 イベント終了後、また藤村さん主導でミニライブ。即興の総括講談があまりにもバチバチとはまる。即興の時の頭と口の直結感はなんだろう。覚えた演目や作った演目をやる時とは別種の快感がある。素直に言葉が出て、それでいて大胆に間を取ったりもできる。即興講談、定期的にやっていきたいけれど、どうやってイベントにしたらいいんだろうか。終演後、会場から次の宿へ向かう。宿の食堂で飯を食い、眠る。

9月15日 茨城キャラバン


 キャラバン中は毎日ホテルで寝起きする。大体ホテルには朝食がついている。しかも朝食バイキングがついている場合が多い。よって朝食バイキングを毎朝食べる旅路である。普段朝飯など食わないし、大体前日のご飯は21時以降とかに皆で食べたりするので、朝になってもまったくもって腹など減っていない。しかも時刻は7時とかである。腹具合を満腹と空腹に大きく二分したとすると、まだ満腹側にいる状態。しかし朝食バイキングが食べられる、となると欠かさず食べてしまうのであった。
それでも一応バイキング会場に行く前には「今日はあまり腹が減っていないからな。まあ会場を覗くだけ覗いて、あんまりたくさん食べるということはしないでおこう」と殊勝な顔をして考えたりするわけだが、会場に着くともうだめ。なんてことはないソーセージを幾本も取り、焼き魚を取り、味噌汁に大量のネギを入れ、ご飯と炊き込みご飯とおかゆをそれぞれ取り、居酒屋で出てきたら「まじかよ」と思うような冷めたフライドポテトまで取り、もうお盆は満杯。もう一度バイキング列に並びなおして冷ややっこだを取る始末。全部食べ終わってから焼き魚が存外にうまい、となってもう一度取り、ついでにソーセージを取り、合わせてもう少しご飯を取る。それらも食べ終わり目につくのは今まで一顧だにしなかったパンのコーナー。ちょっと口の中の風合いを変えたい、と甘いパンと牛乳を取ってきて食べ終わるころにはもう死にそうな満腹になっている。
誠にあさましいことこの上なく、僕という人間は社会で成功するということは万に一つもなかろうな、と妙な自信を深めながらどんどんと眠たくなるばかりである。
その日もそのようになり、朝食バイキングを食べ終わってチェックアウトまでの時間まどろんで急いでホテルの部屋を出てバスに乗り込み会場へ。
北茨城市の漁港にある「よう・そろー」なる珍妙なる名前の施設の広場での本番。メンバーは前日と一緒である。
この日は玉田玉山ギャルズの人数が大変多い。人数が多いと皆に余裕があるので愉快な感じになる。「玉」「田」「玉」「山」のうちわなども作成していただいていて、なんだかタレント気分。


ついにここまできた


この地はあんこうが有名。ふるまいのアンコウ鍋が先着順で供される。会場はアンコウの独特のにおいで充満していて、なかなか珍しいことである。


あんこうのキャラクター


僕は割とアンコウなどは好きであるから「くうう、たまんねえ」となっていた。
お客さんも大変に多い。僕は『水曜どうでしょう講談~インチキ~』を。5月に初演して塩漬けにしていた演目だったか。地元茨城の話なのでこれやな、と思いやってみる。
所謂名セリフってやつがあるのでそれをコールアンドレスポンスしてみた。これがなかなか愉快な仕儀である。あまりないだろう。コールアンドレスポンスをする講談というのも。しつこく三回くらいやってしまった。本当は「じゃあ次は男子だけ」「女子だけ」「この講談面白くないぞって人だけ」みたいにやりたかったのだけれどそこまでの勇気は出ず。だ。
出番が終わった後、なかなかに投げ銭も集まり嬉しい気持ち。さらにはここでキャラバン隊といったん別れて休養に入るので、もういいや、と思って酒を飲む。なんとこの日は日本酒の屋台が出ていたのだ。
ひやおろし、を一杯もらって本部席でステージを眺めながら飲んでいると、なんと地元の人がアンコウ鍋とアンコウの肝とホタテを焼いたやつ、を差し入れで持ってきてくれるではないか!人生の幸福を満身で受ける時間であった。講談をして、笑ってもらえて。なかなかの量の投げ銭が集まり、さらに日本酒とアンコウ、目の前では音楽…。
チルだ、チル。こりゃチルだっせ。


チルだっせ



気分が良くなったので、ギャルズの皆に酒をおごろうと思ったのだが、みな車などで来ていたのでおごることができず。10月にやる「玉山のばぁ~」でいっぱいづつおごることに決めた。酒付きのN氏は乗ってきてくれたので日本酒をおごる。僕も追加で一杯。良い気分であった。
イベント終了後、またミニライブがある。総括講談やらなんやらやっていたのだが、雨が降りだし、大雨になった。いいところで切り上げて解散となる。
ここで今年はRihwaさん、ぱなおさん、古澤さん、樋口さんとはお別れ。さみしいことである。また来年も会えると良いのだけれど。
今年はRihwaさんぱなおさんと4会場を一緒に回って6共演って感じだったけれど、Rihwaさんなんてのは本当に太陽みたいな人で、僕は最後まで「すごい」と思い続けていた。やはり明るさ、というのは魅力である。と思う。明るく、堂々と、背筋を伸ばして楽しく過ごしている人、を観る安らかさってのがある。その安らかさはすごく大きな価値だろう。
僕にはないものである。
暗くて堂々していない猫背が縮こまりながらやけくそ気味に叫び散らしている、というのが僕である。
こうやって書いたらあまりにひどいな。職質まっしぐらだ。
かくいう僕も明るくなりたいのだ。明るさの魅力にはあこがれるし、できるだけそうしようとは心がけている。
が、キャラバンが終わってくどくどと、こういう文章を1万文字も書いている人間が本質的に明るくなれるはずがないのである。別路線で行くのが吉、か。な。
雨の中、ギャルズの車に乗せてもらって最寄り駅まで。ギャルズのN氏とともに電車に乗り込み帰途に就く。N氏とは途中で別れたが、別れたのちに乗り換えなどで迷いまくってしまったそうな。
茨城方面から特急、在来線を乗り継いで武蔵新城に戻ってくる。エアコンのつけっぱなしなどもなく安心。体重計に乗ると案の定の増加傾向。
「これはいけぬ」とその日は何も食べずに眠ったのだった。

9月21日 岐阜への移動


 いい休日を過ごした。映画を二本観に行き、自民党総裁選の演説会を観に行き、そしてシラスをやり、追いかけている漫画の新刊を買い。十分な充電ができた。
21日の移動。岐阜なんて遠い、と思っていたけれど案外近い。前乗りのホテルがある岐阜県土岐市のホテルまでは武蔵新城から3時間足らずだ。
秋田に比べるとずいぶん近い。
武蔵新城から武蔵小杉、新横浜。新幹線で名古屋に向かう。
名古屋駅できしめんを食べる。きしめん。べろぶるぼろべろばろばろばろ。という感じ。
おいしい。


べろぶるぼろべろばろばろばろ


在来線に乗り換えて土岐市方面へ。途中、多治見駅で下車をする。
立憲民主党の衆議院議員候補で自民党の大ベテラン議員と接戦を繰り広げたが、選挙後離党をして、今度は自民党の支援を受けて県議会議員に当選した今井るる岐阜県議の地元である。選挙政治好きとしてはちょっと街の雰囲気を感じておきたい、ポスターもできたら取りたい、と思ってぶらつく。
今井るる事務所が駅から1キロくらいの場所だったので行ってみると、すぐ近くに「今井モータース」という自動車店があり、なんとなく係累を思わせる。

大きなモータースだった


近くにあった今井るるの看板を掲げる喫茶に入ると、県政報告会のチラシなどがあるが、これが程よい緩さ。良い。さっそく政治好きライングループにアップするなど。


鎮座


ゆるチラシ


そういう無駄足も踏みつつ土岐市に到着。ホテルにチェックイン。まだキャラバン本隊は三島で本番中という感じの時間。
少しホテルで休んでから、近くの居酒屋で晩飯を食う。
僕は岐阜で売られている「明宝(めいほう)ハム」というプレスハムが大好きなのだが、ここにもそれらしきものがあったので「めいほうハムください」と言うと、店員さんから「みょうがたハムですか?」と言われる。なんだ、と思って調べるとなんと岐阜には「明方(みょうがた)ハム」もあるというのである。どっちが後に発売したか知らないがややこしいことである。個人的には「明宝」のほう塩気が多くて好きである。


これが明方ハム


焼酎などを強か飲んでいい気分で居酒屋を出たのだった。

9月22日 岐阜キャラバン


 またぞろ朝食バイキングを食べ、会場に向かっていく。一週間ぶりの再会となるキャラバン隊の人々。そして一年ぶりの再会になる黒色すみれのお二人。
再会直後、黒色すみれのゆかさんから「今日で私たちは20周年なんだけれど、良かったら20周年講談を今日のステージでやってもらえないか」とのお誘い。喜んで承る。今日やるってのがいい。言われた瞬間に頭がくるくるっと回転し始めてて勝算の点、みたいなものがいくつか見つかり、それをつなぐ線を想定して、バスが会場に着くころには大体構成は完了していた。もっとすべてを急にやったほうがいいんだろうか。と思うくらいにすっきりした台本になった。多分お二人の20周年を寿ぐ、といゴール地点がはっきりしているから作りやすいんだろうな、とは思うが、それにしても。である。
この日の玉田玉山ギャルズもまた人数が多い。頼りになる人々ばかりで。もう完全に安心、という感じ。てきぱきと準備が進んでいく。任せる。楽、だ。

 台風が低気圧になり、日本全国を覆う、という日であったから、今にも雨が降り出しそうな雰囲気。イベントが始まったその時は雨はまだ降っておらず、挨拶に出てきた市長も「雨は私が止めます」と怪気炎を上げていたが、市長が帰った後にすぐに大変な豪雨になる。ただこれが恵の雨で、とにかくタオルが売れる売れる。嬉野さんがやってきて、雨に困る人のそでをひいては「タオルを買いなさい」と言ってくれるものだからとにかく売れる、どんどん売れる。講談をする前にあらかたタオルは売れ切ってしまった。雨と嬉野さんのパワー。すごい。ありがたいことである。
 出演は黒色すみれさんと僕二組のみだったので、1時間までやっていい、ということになる。僕が先の出番になる。福島でやったいわば水曜どうでしょう講談チャンチャカチャン『水曜どうでしょう講談~瞼の裏のどうでしょう~』を岐阜バージョンで。前回から構成を全とっかえ。どうでしょうの名古屋での名場面を入れ込み、合間に挟まる歴史描写を桶狭間、関ケ原、と東海バージョンにしてご当地感を出す。こういう作業は結構好きだ。秋田とは比べ物にならないくらいの落ち着きで講談を進めていくことができた。


きしょい濡れ方


握手をして回っていると、後ろから「玉田玉山」の旗を押し立てたギャルズが付き従って投げ銭を集める、という藤村さんディレクションの投げ銭集めもギャルズの人数が多いこの日はかなりばちっとはまって相当額が集まる。
 まだ時間があったので、作っていた「モルック講談」を披露する。チームHTBの世界大会ベスト16の戦いぶりを講談にしたもの。キャラバンにも来られている面々が登場人物で、また現場にも濃いファンが多いのでなかなかいい感じで盛り上がったと思
売り場に戻るとまたどんどんと売り上げが重なっていき、ギャルズの方々もなんだか楽しそうであった。僕もうれしい。
黒色すみれさんの出演の最中に呼び込みがあって『黒色すみれ20周年講談』を披露する。玉田玉山物語形式で、玉田玉山が黒色すみれに出会った衝撃、を講談にして、そこからラストぐっと盛り上げていく構成。まずまず盛り上がったのではないか。良。
なんだかああいう即興的にやっているときってのは高座に上がる恐れの気持ち、みたいなものがまったくない。緊張というよりも気持ちの高ぶり、だけがある。講談師向いてないのか。でも講談の技術があるからこその、パフォーマンスだからな。へんな講談師ってことで。まあ。やってくしかない。他にできることもねえのだ。

帯が上すぎる


 終演後、藤村さん主導、恒例のミニライブ。内容が固まってきていて、大体僕がトップバッターでその日の総括の講談をやる。この日は「雨を止めます」と言っていた市長に対して「公約違反だ」となじるような講談。すぐに政治家をいじるのは悪い癖だが、どうにもやめられない。

髪の毛なんとかしろよ


そのあと黒色すみれさんの演奏があって、その後突然の黒色さんとのコラボ。
曲の間奏中に僕が講談で飛び込んで語る、という。唖然として何も思いつかなかったのだが、とりあえず桶狭間の戦いの模様などを語る。これが音楽の力で結構うまくいく。
するともう一回、という話になる。「男女の話がいいね」という嬉野さんの言葉から何とか引き出しからお市の方と浅井長政の話を引っ張り出してきて即興で語る。大河ドラマなどを観ている人生でよかった、引き出しがなくはない。

妙にいい感じで講談を終えることができ、最後は藤村さんの歌で〆。またぞろ投げ銭を集め、なかなかの額になる。
終演ののち、宿舎に帰って近くの中華料理屋で中打ち上げがあったので参加する。
嬉野さんとは良く話をする。
嬉野さんには心を開かせる何かがあって、何でも話したくなってしまう。
普段人と相対するときって「何か話をしなければ変な空気だ」みたいな感じで追い詰められて質問をする、みたいなことが多い。
だけれど、嬉野さんだけは割と出会って少しお話するようになってからその感じがない。でも隙だらけで油断をさせる、という感じでもないのだ。
ああいう風な人間に60歳超えたあたりでなっていたい。二回り以上下の人間にそんな風に思わせる人間に。結局したたか酔って宿舎へと帰ってそのまま眠ったのであった。

9月23日 兵庫への移動日

 朝の10時に兵庫への移動が始まる。意外と近い丹波篠山。大垣あたりから滋賀に入って大津を過ぎて長岡京のあたりから高槻方面に出て、宝塚に入る。宝塚のサービスエリアで食べたぼっかけどんぶり、カレー風味でおいしかったのだが、付属のとろろを書けるとなんだか冷めてしまうしどろどろになってしまうし味にキレがなくなるしで全然良くない感じになってしまった。うーむ。口直しにハニーヨーグルトアイスを食べたらこれは抜群に美味しかった。


忸怩たるとろろ



 宝塚を出て、丹波篠山。この日の宿は「ユニトピア」という施設で、松下電器の労働組合が自分たちの財産として設立した保養所。
篠山の山奥にあり、山のふもとの駐車場に乗ってきたバスを止め、そこからユニトピアに向かう専用シャトルバスに乗り込んで向かっていく。
1キロほどバスで進むとレイクサイドに立派なホテル。相当の環境の良さである。
途中釣り堀やアスレチックなどのアクティビティもある。こういう施設があるとは知らなかった。
この施設は松下電器労働組合は優先的に使えるようなのだが、一般にも解放されている。ホテルの一角には労働組合の面々がどのようにしてこのユニトピア開設へと邁進したか、という展示などがされていて面白い。一行の中で幾人かの好事家が熱心にこのパネ ルを読むなど。
ユニトピア賛歌、なるオリジナルソングまで存在していた。


景色を撮らずに讃歌を撮る


 大変に広い施設。研修なども行っていたのだろう。研修室なども充実しており、相当の市民センター感はある。キャラバン隊で、モルックのチームHTBに所属しているYさんは「モルックができる場所はないか」と研修室をのぞき込んだりしていた。
 割と早めの到着であったら部屋でゆっくりとすごす。ダブルベットが二つある豪華部屋。かなり広い。良い。19時から晩飯であったが、この晩飯の量が結構多くて満腹になる。


すごい量

なんとなくだれも酒を飲まずに過ごす。食べ終わって僕はうりぼうのぬいぐるみを妻の宅で待つ猫への土産として購入。部屋に戻って少し稽古をする。廊下には騒がしい宴の声が聞こえる。この日で今年のキャラバンの宿泊は最後である。さみしい気持ちで眠りにつく。

9月24日 キャラバン兵庫


 この日も朝食バイキング。7時30分から朝食を食べることができるのだけれど、7時25分くらいに朝食会場についてしまって「すごく腹が減ったやつ」ふうの動きをしてしまい恥。大根おろしであるとか焼き魚であるとかソーセージであるとかを摂取する。松茸ご飯も存在していた。
 8時半に宿舎を出るシャトルバスに乗って駐車場へ行き、そこでキャラバンバスに乗り換えて会場へ向かう。会場は篠山城三の丸公園。篠山城の特徴である高石垣が美しく見える、堀に囲まれた公園。堀からの風が少し涼しい。
 9時30分にはイベントが始まる。僕の生まれは兵庫県の加古川市で、その旨どうでしょう講談を弁じる時には必ず申し上げている関係上、地元感が強い。物販ブースを訪れてくれるお客さまも関西弁である。
ステージ上では市長や教育長が殿様や水戸黄門の恰好をして小芝居をしてはしゃぎまわっている。他の会場ではなかったことである。他の会場では市長などが登場し、訥々と市の魅力を語る感じだったのだが、ああ、関西。という感じ。
教育長に至っては裃をつけて短刀を振り回し、嬉野さんに「ご乱心」とたしなめられる始末。
地元感を若干恥ずかしく思ったりもするが、仕様がない。これが関西の気風なのである。この日は玉田玉山ギャルズの数が少なく、ブースにはおひとりっきり。ただ、キャラバンのボランティアを何度もされている猛者だったので安定感が素晴らしい。加えて時々嬉野さんが様子を見に来てくれて、物販を手伝ってくださるので相当の売り上げとなった。
ステージは黒色すみれさんと僕の二組だけだった。持ち時間は1時間。前々日だったか、藤村さんに言っていただいた構成を採らせていただいてやったのだが、この日はとにかく暑かった。途中で体力が持たなかった印象。後半に脳みそがショートしてしまって、台本などがぽん、と飛んでしまって恥ずかしいばかり。なんとかごまかして終わりへと持っていきはしたのだが。
 それでも終わった後、物販ブースを訪ねてくれて「どうでしょうを見始めた、そして頼りにしていた初心を思い出しました、ありがとうございます」なんて言ってくれるお客さんが居て泣きそうになったし、その方が「だから物販買います」と言ってくれた時にゃあ本当に一粒の涙が流れたのであった。
僕は水曜どうでしょうをサンテレビで見始めた、というのが最初なんだけれどその経験を丸まま共有しているお客さんが多いんだろうなあ、と思う。他の会場とは違うしっとりとした熱気みたいなものを感じた日だった。
 出店でイノシシ肉を食べたり、タコスを食べたりビールを飲んだりテキーラを飲んだり(楽しんでいるなおれは)しているうちに終わりの時間が近づいてくる。
舞台上ではこの日で部署を映るS部長のお別れ会が開催されている。
S部長は威圧感のない方でいつもニコニコされている、なんだろう、アウェイの僕でも話しかけやすい方だ。そのS部長の得難さ、というのを嬉野さんがスピーチで述べるのだけれどこれが名スピーチだった。お祝いの講談をやるときとか、ああいう空気になったらいいんだよなッ!っていう笑いと多幸感とエモーショナル。この日一番の盛り上がりだったかもしれない。サラリーマンがサラリーマンにスピーチをしている、という社内行事を観て涙をするものが観客席にちらほらいる始末。なんとふしぎで、なんと幸福な光景か、と思う。
改めてHTBの方々に「すごい場所を作っておられる…」と尊敬の念を抱く。

この日もキャラバン音頭を歌わせてもらう。こんな大勢の前で歌を歌う人生になるとはこれもまた思わなかったことである。
しっかり締まってラストの藤村さん主導のミニライブ。

総括講談ではご乱心の教育長を軸に組み立て組み立て。うまくいったと思う。ここなんだ俺の本領発揮はな。そして岐阜会場に続き黒色さんとのコラボ。明智光秀の母の悲劇を音楽に乗せて。古典講談をやらなきゃいけないときも音楽があってほしいくらいである。やりやすいことこの上ない。
最後は藤村さんの歌に合わせて集まってくださったお客様の間を練り歩き、投げ銭を求めてフィニッシュと相成った。

 片づけを終え、件のS部長に篠山口駅まで送っていただく。車中で水曜どうでしょうの革新性について話をしていただいて、これがまことに講談に役立つ話。もっと新作を作っていきたい、という気持ちになってS部長とお別れ、駅から電車に乗って妻の待つ大阪十三へと戻っていく。しかし帰り道の記憶がほとんどない。疲れていたのだろうな、と思う。

 大阪に戻って、今はもう日常生活に戻っている。緊張をすることも少なく、ニコニコと過ごしている。
キャラバンでの出番が終わった二日後、妻と気に入りのビアホールに出かけて鯨飲、鼻歌交じりの帰り道「ご機嫌だねえ」と言われるなどの幸福を過ごしている。秋になりかけている夜風はなんだか祝福じみていて「今死ぬのも悪くない」と思わせるくらいの幸福感だった。


ビールを飲む妻

キャラバン、悩みも実りも多い毎日であった。
が、最終日、S部長のお別れ会でこのキャラバンという場が含むかけがえのない価値、みたいなものに気づかされた気がする。

お身内なのだ。とっても巨大なお身内。僕は僕のお身内が大好きである。
親戚がお盆に集まる。絶対にその中華のオードブルを取る、という巨大な量のオードブルや祖母の手料理、寿司などを囲んで大人数。酒を飲んだりしてふざけあったり、またぞろ、という感じで昔の写真を眺めては朗らかに盛り上がる。
妻の実家方面も、盆に限らず、やれ子供の誕生日だ、やれタコスパーティーだ、やれ五平餅がたくさんある、などとやたらと集まっては気勢を上げ、高齢者から赤子まで愉快に過ごす。
僕はそういう身内の集まりへの好印象を持っている、というごくごく幸福な人生を送っているのだが、キャラバンにはある種似た感じの安寧を感じる。

巨大な身内の集まり、なのかもしれないキャラバンは。
例えば開場中や隙間時間にひたすらマイクを握って喋っているキャラバン隊の古老・I爺なんか身内感の権化みたいな人で「やっぱ絶対いてほしいよなあ」って感じの人だ。
「またI爺が口の悪いことを言っているよまったく」なんて言ってへらへら笑ってみている時間。これが妙に幸福なのだ。
親戚にもいるんだよ大体そういう人が。
亡くなった時に通夜葬式というのは笑いと涙に暮れて妙に疲れる、でも爽やかな式になる、そういう人が。

ちなみにI爺は全然亡くなりそうにない、
「みんなが死んでも俺だけは生きるから」と意気軒高なことを言っていた

I爺筆頭にお身内が集まっている安心と高揚がキャラバンにはある。そういう一団がキャラバン隊として全国を移動し、各地でまた身内を集めて大宴会をする。
安心と高揚は各地で高まりを見せ「キャラバンがあるからもう一年生きておくかね」と思わせる空気を各地に残していくのである。
そういう隊伍に一介の講談師として各地で参加できる幸福。
その集まりを寿ぐことが講談の力で以て少しなりともできているのならこんなに嬉しい話はない。
そしてこの宴に身を置き続け、水曜どうでしょうという番組がつないだ身内に出会い続けて、語り続け、笑ってもらって拍手をもらい続けて、激励をしてもらい続けて、お小遣い(投げ銭)までもらい続ける日々。
僕にとってはかけがえのない、大切な身内との日々である。
僕もまさに「キャラバンがあるからもう一年生きておくかね」という気持ちになっている。

僕はすでにキャラバンの魔力にからめとられてしまっているのだ。

水曜どうでしょうという番組を好きになる僕の人生でよかった。
同じ番組を好きなお身内がこんなにも多い番組でよかった。
好きになった番組を作った局が、サラリーマンが幾人もバスに乗って一か月以上全国を回る、という頓狂な事業を許す局でよかった。
その事業に乗っかって楽しく愉快に宴を過ごすサラリーマンたちがいる会社であってくれてよかった。と思うのである。

 長い記事になった。最初に10000文字、と思ったのに、19000文字を超えている。
まあしかし一人の講談師の記録として残しておかせてほしい。
例えば200年後の講談師が
「なるほど200年前の講談師はこんな風にキャラバンに参加していたのか」
と参照をして、200年後もまだ続いている水曜どうでしょうキャラバンに参加していることを願って。その時に僕の作った水曜どうでしょう講談を「古典」として語っていることを願って、この素晴らしい宴がまだまだ続いていることを願って、まだその時もI爺がマイクを握り続けていることも強く願って今回のキャラバンの記録とします。


たのしかったぜ

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