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13歳の誕生日と、ベビー期の思い出

 先週息子が誕生日を迎えまして、13歳になりました☺️しばらく夫が多忙で帰宅が遅いため、お祝いは先週末に。

 2010年3月に生まれて早13年、過ぎてみればあっという間……と毎年思います。
ここ近年お誕生日頃は、過去に書いていたブログの出産記録を読み返したりします。

 今年も読み返し、ベビー時代のことを思い出したので、取り留めなく書いてみます。

誕生の瞬間

 生まれた時は月曜日の朝に生まれたのですが、日曜日日付が変わってすぐ陣痛が始まりました。
……が!陣痛が弱く、間隔もそれほど縮まらない、いわゆる「前駆陣痛」ってやつでして。

 途中「横になって安静にしてたら陣痛が進まないのでは」と気づいた夫と一緒に、住まいの階段を5階まで昇り降りしました。定期的に訪れる陣痛の痛みに耐えながら。足がブルブルと震えて小鹿状態になってストップ。
(これ人に話すとめっちゃ驚かれます……どうやら私、痛みに強いらしいです)

 病院に電話しても(痛みの強さと間隔から判断して)まだだと言われ、心が折れそうになりながら痛みに耐え、夜に3回目の電話でやっと病院で診てもらえることになり、23時近くにやっと病院へ。
 病院でもまた階段昇り降りし、小鹿状態になったら辞めて、LDR(分娩のための専用個室)をウロウロ。

 その後の痛みに耐えた時間については省略しますが、母子手帳に書かれた分娩所要時間は「15時間24分」でした。でも、陣痛の間隔が狭まったところからの起算らしいです。私の体感では27時間くらい苦しんだ感覚ですが😇

生まれてから

 息子の生まれた当時、夫は一番忙しい部署にいました。そして3月は一番忙しい時期。

退院後は実家の母に来てもらう予定でしたが、諸般の事情によりどうしても来られなくなり、急遽義母にお願いして来ていただきました。義母と、義父が来ましたよ😇
夫の育児休暇とか全くお願い出来ない時期だったので、本当に助かりました。

 母乳がなかなか安定せず、1ヶ月ほどベビー用体重計やら電動搾乳機やらレンタルしたり。
母乳が安定してからも夜間の頻回授乳には体力削られますね。

 切迫早産等で早くから入院してた友人は、「安静に」と言われ続け、体力低下したところからの育児スタートで、体力的に相当辛かったそうです。

産後の女性は心身共にダメージ負ってるので、旦那さんや周囲のサポート必須だと実感します。

 夫の忙しい時期が落ち着いてからは、夜の寝かしつけは一緒にやってくれました。抱っこ、抱っこ紐を使っての抱っこ、首がすわってからは抱っこ紐を使ってのおんぶも。
(抱っこ紐は絶対肩と腰で支えるタイプが大事!約3kgで生まれて、5kgの米袋を超えていくので肩だけで支えるのは辛すぎます)
寝たと思って布団に置いたら目覚める、あの背中の謎のスイッチ。本当不思議です。

 お風呂はしばらくはキッチンでベビーバス使用してましたが、抱っこの腱鞘炎がしんどくなってからは、お風呂用の角度を変えられるベビーチェアを用意して一緒に入りました。
 先に超特急で自分の髪や身体を洗ってから、一度お風呂を出て息子を連れてきて…といった感じ。

 途中で乳腺炎になった時は、「桶谷式母乳育児推進協会(旧:桶谷式乳房管理法研鑽会)」の教室を探しました(これは先輩ママさん情報)。
幸い住んでいる区内に教室があったので、月に1回、メンテナンス的に通いました。当時1回3000円くらいだったかな?詰まった時は2〜3日連続で行ったこともあるかも。
助産師資格を持ちさらに桶谷式の講習や認定を受けた先生なので、子連れで行って月齢ごとの悩み等も相談できました。
(ただし、地方だと県庁所在地レベルにしかなかったりしますので要確認。現に私の地元にはありませんでした。)

ベビー期の思い出

 ついでに、いろいろ思い出したことを書いてみます。

①SIDSが怖い


 2005年に元ジュディマリのYUKIさんのお子さんがSIDS(乳幼児突然死症候群)でお亡くなりになったニュースが、ずっと記憶に残っていて。

 退院後、「この小さな赤ちゃんを死なせてしまったらどうしよう」とずっと不安でした。
対策は「仰向けに寝かせること」と言われていますが、新生児期の頃はまだしも、寝返り打つようになってからは夜も気になったものでした。

 そのため、夜中泣き出したらすぐに飛び起き→授乳→げっぷ→オムツ交換…という流れ。3時間まとまって寝てくれればいいほうで、2時間未満で泣き出したらしんどかったな。

 今では地震が起きても目覚めないくらい、ぐっすり眠ってる息子です😂

②静かにし過ぎない

 そういえば、産院のマタニティヨガで一緒だった3人目妊娠中のママさんが話してたこと。

「昼間寝てる時は、あまり静かにし過ぎない方がいい」…これは、1人目の時は気を遣って静かに過ごしていたのが仇になり、お子さんが神経質になってしまって少しの物音でも目を覚ましてしまったのだそう。
2人目のお子さんは上の子がうるさくしたりテレビもついてるので、そこそこうるさい環境でもぐっすり眠っていたそう。
 この話を聞いて以降、私も静かにし過ぎず、ほどほどの生活音を出すようになりました。

③顔にお湯を掛ける

 初めての妊娠出産育児、何事もドキドキヒヤヒヤしますが、お風呂に入れる時も細心の注意を払っていました。
 顔を洗う時は、濡らしたガーゼで優しく優しく拭き取っていました。優しく優しく。

 それが失敗だった?と気づいたのは、3歳以降に息子をスイミングに通わせ始めてから。
どーーーしても、顔を水面につけるのが怖い息子。と言っても親子スイミングではないので、上の観覧席からハラハラと見てるしかありませんでしたが。

 スイミングで一緒になったママさんとそんな話をしていて、「うちは赤ちゃんの頃からお風呂でもシャワーを顔にジャバジャバ掛けてたからなぁ」と言われて目から鱗。

 そもそも、息子は顔にお湯や水が掛かる経験が少なかった訳です。私が大事に大事に優しく優しく洗っていたから。なんてこった!
それはビビる訳です。そこからは、浴槽の中で少しずつ顔をつける練習などもしました。

④転んでも大袈裟に騒がない

 子どもが歩くようになってからは、まだまだ安定しないため、しょっちゅう転びます。
 この時に親が「大袈裟に」騒ぐと、転ぶたびにギャン泣きして大変なことになります😂…と途中で気づきました。
心配はするし、消毒やら絆創膏やら必要な処置はするけど、あくまで大袈裟に騒がないようにしました。

侮れない産後うつ

 また、妙に涙もろくなったり、気分が落ち込んだり、「産後うつ」って本当にあるんだな、と思いました。
 自分の実家も義実家も遠い上、夫の帰宅は常に遅かったので、100%ワンオペ育児でした。
まさに育児は24時間。

 特に、退院後に義両親が手伝いに来てくれていた時。授乳が終わって居間の電動スウィングラックに寝かせた息子がそう時間を置かずに泣いて起きた時に、義父が「泣いてるぞ、(母乳)足りないんじゃないか」と言ってたのは、悪気はないとはいえしんどかったですね😇
退院後間もなくで母乳の出が安定せず、ミルクと併用したり、産院に電話して相談したり、いろいろ試行錯誤してた頃でしたから。

 ちなみに義姉(夫の兄の奥さん)が出産した時は、初孫のことを義母が「◯◯(兄の名前)に似てる」と何度も言うのがすごく嫌だったそう。(そして、義姉に似てる部分があるとは一言も言わない)これも悪気なく言ってたようですが。

 何を嫌だと思うかは人それぞれですし、いざその時に何が地雷になるか分かりません。私も将来息子のお嫁さんに失言や嫌なことをしないよう気をつけようと思います😅

 また、数年前に買った「マンガでわかる〜」のとある本に載っていたことにすごく納得。

「妻が妊娠している時、授乳中にやらかすと一生責められます」

責められないとしても、その期間にあった嫌な出来事って、確かにずっと忘れません。私や義姉が義両親に感じたこともそうですし、実際夫に対しても絶対忘れないことがあります。

 これは女性の脳が「感情」と「出来事」をインデックスのように結びつけて記憶するからだそう。過去のことでもまるで今起きているかのように思い出し怒りするのとか。
私と義姉の「義両親に言われて嫌だったこと」も、そういう風にインデックスして記憶されてるのだと思います。

 この本はとても参考になるので、またそのうち別途ご紹介するつもりです。
(書きたいことはいろいろあるのだけど、なかなか追いつきません……)

 念のため補足しますが、義両親は良い人たちですのでご心配なく☺️

ベビーグッズは新品を買わなくてもOK

 義兄夫婦からいろんなお下がりをいただき、本当に助かりました。

ベビーカーA型、ベビーカーB型、電動スウィングラック、バンボ、テーブル付きのお食事用ローチェア、3WAYメリー、レインフォレストジャンパルー、など。
少し大きくなってからは、アンパンマンのハンドル?付きの自転車も。

 自分たちでもいろいろ買いました。
ベビーベッド、バウンサー、ロディ、歩行器、手押し車、ベビーゲート、ベビーサークルなど。
 ベビーベッドとヘッドガード(四方を囲むクッション)は、2人目を妊娠したママ友に貸したりも。

 お役目を終えたものは、拭いたり洗ったり分解掃除等して、リサイクルショップに持って行きました。まだ使えるものを処分するのが罪悪感があって。あまりにも傷んだものは流石に処分しました。
ちなみに、使用済み寝具は引き取ってもらえませんが、それ以外は壊れてなくて多少の擦れくらいなら引き取ってもらえます。

 もう少し大きくなってから買ったものも、リサイクルショップに持って行きました。ジャングルジムとか、キッチンセットとか。

 リサイクルショップでは買取もしてもらえますが、もちろん販売もされてます。全て新品で買わなくても、中古やレンタルでも十分だったと今は思います。今ならメルカリも選択肢に入るかも。

 唯一新品で買った方がいいと思うのは、チャイルドシートでしょうか。我が家が購入する時はヨーロッパ基準?への過渡期で、新基準対応のものを買いました。そのように、安全性の見直しが時々あると思うので。

 いろいろ新品で買った分のお金を、もっと教育費に回せば良かったな、と今は思います。
(中1の4月から塾に通わせていますが、驚くほどお金が飛んで行きます💸💸💸……このお話もまた別の機会に)

ママ友の存在

 両方の実家が遠く、夫の帰宅も遅かったので、ママ友達と話すのが本当に大事な時間でした。
 区の母親教室で一緒になって、妊婦の頃からのお付き合い、当時8人くらいのグループでしたが、少しずつ引っ越しなどで離れ離れになり(Facebookの繋がりはありますが)、今も仲良くしてるのは2人です。
 皆夫の帰宅が遅い組なので、誰かの家で遊んで、そのまま出前取って夜ご飯も一緒に食べたり、子連れランチなどしたり。

 今はスマホで何でも調べられる時代ですが(息子が生まれた当時は、まだまだスマホへの過渡期・SNSの発達も途中からでした)、人と人との繋がり、子どもに関係ない他愛のない会話だったり、育児の悩みをシェアしたり、共感し合ったり。そういう話が出来る関係って大事だなと実感します。ママ友にだいぶ助けられています。

 コロナ禍での妊娠出産育児は、これまでより人との接触を控えなければならず、大変だろうなと感じます。

記録しておいて良かったこと

 出産記録のブログは、3歳半頃までで自然消滅してしまい😅その後は時々Facebookで呟く感じになり、途中からはそれすら消滅😂

 今になって思うのは、それ以降のことも何かしらの形で(ネットに公開せずとも)残しておけば良かったなぁと思います。
 ただ、妊婦の頃、出産前後、生まれてからの「1ヶ月ごとの成長記録」の記録等は残ってるのがせめてもの救い。

 動くようになると目が離せなくなっていくので、おそらく手書きの育児日記とかは続かなかったと思います。世の中には継続できる方もいらっしゃるかもしれませんが。

 やはり、スマホで簡単に完結するもので、一日一行日記的なものが一番継続しやすいのかな、と。

 途中が抜けてますが、小学生の途中から息子の面白い発言をスマホのメモアプリに記録し始め、何だかんだでこれが一番長く続いています。(これもまた別の機会に)

 今年思い出したのはこれくらいです。他にもいろいろあっただろうけど、文字数がヤバいのでこのあたりで終えることにします。

終わりに

 そんな感じで試行錯誤しながら、あっという間に13年経ちました。

 勉強しろー、ゲームやり過ぎー、早く寝ろー、なんて毎日思うし言ってますが笑、お陰様で元気に育っています。

 息子が生まれてすぐ、カンガルーケアで胸に抱いた瞬間に思ったこと。

 「元気に生まれてきてくれてありがとう」
 「大きな怪我や病気をしないで、元気に育ってね」
……あの時の1番の願いは叶っています。

 これから先は進路とか、教育費とか教育費とか(大事なので2回)、息子も私たちもいろいろ大変になりますが……確実に一緒に暮らせるのはあと5年ほど。

 一緒に過ごせる時間を楽しみながら、可能な限り仲良くやっていきたいと思います。

 かなりの長文になってしまってすみません。
読んでいただきありがとうございました☺️



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