思い出したこと。

 高校生の頃まっすぐ家に帰るのは惜しくて寄り道ばかりしていた。部活動ははいっていたが文芸部だったので集まりは週に一度くらいの頻度であったし、それ以外特にバイトも予備校も行っていなかったので当時飼っていた犬の散歩の時間さえ守れば自由な時間が結構あった。
 もちろん友達と帰ることもあったが、友達はみんな電車の方向が逆だった。たまに交代で逆方向の電車に乗り、寄り道のできる駅まで行くことはあったけど私も友達も定期圏外に頻繁に行けるほどお金もなかったので、高校の最寄駅でバイバイとなるのが常だった。その頃通っていたゲームセンターはとあるアーケードの一番奥の方にあって、アーケード内は人が多くて歩きづらいので、私はいつも裏通りを通り抜けいた。裏通りは少し歩くと風景がガラリと変わる。居酒屋やパチンコの景品引換所の横を過ぎるとパブやスナックやキャバクラが入ったビルが立ち並び、昼間でなければ制服で歩くのが憚られる場所だった。一度だけ開店前のスナック前でタバコを吸っている女の人に「こんなとこ、制服で歩いちゃダメよ」と注意されたことがある。その人は薄手のカーディガンに襟ぐりの大きく開いた服着ていて、真っ赤な口紅を塗った唇から煙をもわりと吐き出して、タバコで私を指したのだ。その仕草が未だに印象に残っている。

 思い出したことはそのことじゃない。

 ゲームセンターは店頭にUFOキャッチャー、一階に格ゲーとパズルゲームの筐体が置いてあり、2階にメダルゲームが置いてあった。私はもっぱらパズルゲームで遊んでいて、たまにそこの交流掲示板(アナログの手紙を貼り付ける掲示板)に下手なイラスト付きのメッセージを貼り付けたりしていた。妙だなと思ったのは一階の両替機が故障していたので二階の両替機で両替をしている時だった。五千円札を握りしめたおじさんが私のすぐ後ろに立っていたのだ。最初はこのおじさんも両替したいのだなと私は自分の両替を終えるとすぐに横に退いた。後ろに並ぶには距離が近すぎたことやお札をしわくちゃになるくらい握り締めてたら両替機に入れづらいだろうにと微かな違和感を抱いてはいたが、私はそのままおじさんのことは特に気にせず一階に戻り、その日決めた分だけの百円玉がなくなるまで目当てのパズルゲームを遊んでいた。ふと顔をあげると筐体の向こう側からまだお札を握りしめているおじさんがこちらを見ていた。おじさんと私の目線が合い、おじさんがニタっと笑いながらお札を握りしめたままの拳をこちらに向けた。しわくちゃになった五千円札と汚れが挟まって真っ黒な爪先。それが何を示しているのか私は理解が出来ず、ただ気持ち悪さが襲ってきた。そのまま私は椅子から立ち、おじさんを無視して二階のメダルコーナーに向かった。店員さんがそっちにいるのはわかっていたし、もしかしたら目があったのは気のせいで私に笑いかけた訳じゃないかもしれないと考えたからだ。少し早足でエスカレーターを階段のように登ると少し遅れて同じようにダカダカとエスカレーターを登る音がする。私は振り向くのが怖くてエスカレーターを一気に登り切る。店員さんがいるカウンターまで行けば大丈夫なはず、そんなふうに思いながらも気のせいであってほしい気持ちから後ろを確認するために並んだゲーム機の間を大きくぐるりと旋回した。ゲーム機とゲーム機の隙間から見えたのはおじさんがお札を握りしめたまま追いかけてきているところだった。私の位置を確認しようと横を向いたおじさんとまた目があった。よく悲鳴を堪えたと思う。そしてなぜか店員さんに報告するよりも一刻も早くここから離れなければとおじさんの脇を通らなきゃいけないのに一階に降りる階段に突進したのである。猛然と自分に向かってくる私に、やっとこの女子高生はお札のことを理解したと思ったであろうおじさんのニタニタ笑いがさらに大きくなり、拳がお札を私の胸の辺りに押し付けようと伸びてくる。私はその手を必死で避けながらおじさんの脇を通り抜け、階段を駆け降りた。店頭までその勢いで飛び出すとUFOキャッチャーの調整をしていた店員さんに怪訝そうな顔を向けられたが、恐怖に舌がもつれて説明できない。あのおじさんは直ぐに追いつくはずだ、逃げなきゃ、それしか頭になかった。私はあんなに歩くのが嫌だった人の多いアーケードを早足で通り抜け、後ろを振り返りながら電車に乗り、帰宅した。それ以来、私は二度とそのゲームセンターには行かなかった。

 ここ先は想像でしかないが当時、私が着ていた制服は地元ではそこそこレアなデザインで、卒業後にその手の好事家に売り捌く卒業生がいたくらいだった。あのおじさんは中身の私がどうこうというよりも制服が欲しかったんじゃないだろうか。まあもうその制服もデザイン変更でとっくの昔に消滅したけど。
 なんにせよ、日経の広告騒ぎでこのことを思い出し、久しぶりに当時の気持ち悪さを思い出してしまった。あの漫画自体は悪くないけど(なんならTwitter版の方は見てるし)騒ぎに紐づけられて嫌な記憶が蘇るくらいには広告の打ち方が不味かったんじゃないだろうかとは思った。

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