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映画「逆光」を観にいきまして、一秒で恋をしました。

映画を観て、恋をしてすぐ失恋したので、この気持ちをまとめないとと書いてみたものの、出せる場所がなくて使い方もわからないままnoteをつかっています。

はじめに。

映画「逆光」を観ました。きっかけはTwitterで信頼している広島のフォロワーが観て!と言っていたから。だから彼女の感想も最後まで読まないで今日まで我慢してきました。やっと読める!
地元だとジャック&ベティかkino cinémaでかかりそうな映画だなとなんとなく踏んでいたらkino cinémaで上映するっていうし、いろんな雑事も片付いて今日を逃したらもう観れないかもだしと、えいやっと観てきました。

湿度と恋。

湿度がある。それが最初の印象。画面いっぱいのキラキラとした夏の光に想起させられる肌に張り付く湿度、さっきまで桜を見上げていたのに夏の尾道にいる、そう思えるくらいカメラと私の視界は重なって没入していく。そしてその湿気は空気だけじゃなくて吉岡に向けられるじっとりした晃の視線からも立ち昇っていて、まずそこでテンションがあがった。なぜなら私はどんづまってる人を観るのがすきだから。どんづまってどうしようもない人がもがいて時にはどうしようもないまま終わったり、はたまたどんづまりを許容して一歩前に進んだり、ブレイクスルーして解放されたりするその結果よりも、そこまでのどんづまってる状態がどうにも堪らない、言葉にするとどうしようもなくグロテスクな趣味だなあと改めて思う。
恋の一面はどんづまりだと思っていて、特に片想いなんて一人で何往復しても答えなんて出ない、だから晃の視線が吉岡に絡みつくようにむけられるたび、画面はこんなにキラキラと美しいのにとマスクの下で思わずニヤニヤしちゃったくらいだ。
晃は吉岡が飽きたとかつまらないとか言ってしまうくらいならと先回りするかのように殊更田舎だからと強調したりつまらないとか退屈でしょうとか言ってるのかな、健気だなあとか、70年代だから三島由紀夫だけど90年代だったら村上春樹なんじゃないかしらとか、とりとめないことを考えながら私にとってその時が来たわけです。
晃が文江に誰か友達を連れてきてくれと頼むシーン。
「じゃあいいよ、みーこで」
「みーこじゃよ?」
みーこって女の子に対して随分失礼な物言いじゃないとすごく興味を惹かれた。ちょっと座り直したくらいに。

みーこについて。

「猫おったけぇ。煎餅あげとった」
のんびりとした声にぐらりときた。みーこは驚くほど何も知らない。定職についているようにも見えない。でも第一声を聞いただけでわかる、この子はヤバいくらい魅力的な女の子だ。一言で不思議ちゃんとまとめてしまうこともできるだろう、でもみーこはそんな言葉に収まらない。瞬間を衝動的に生きてるようにも見えるし、海辺のシーンで煙草を吸いながら歌を口ずさむときの視線がとても遠くて、なんでもっとカメラは私の視線のようにうごいてくれないんだろうともどかしいくらい視線のその先を見たくなる女の子だ。すぐ好きになり過ぎて、あんたらこの子を過小評価しすぎよと勝手にプンスカしてしまった。私はどうしたってみーこみたいな女の子に弱い。

吉岡について。

あんなにじっとりとした視線をよくもまあ知らないふりして受け止めて、無防備に振る舞ってなんてずるい男だとおもった。もしかしたら旅費すらも晃もちなんじゃないかしらと思えてしまうような声の良さ。みーこの魅力に気づいている(そしてチョロいとどこかで思っている)この男へ晃とは違った視線をわたしはじっとりとむけてしまう。あんな誘い方ある??わざわざ正露丸を隠して二人きりになって、本当に悪い男!
でも彼はラストシーンで不在の存在になってしまった。はっきりとした輪郭はあるのに捉えられない悪い男。晃が大人になってもきっとずっと夏の思い出に寄り添う不在の影。
(ずるいずるい、属性を盛るな!私にとってはみーこに触った憎いやつなのに好きになっちゃうだろ!一人で先に帰っただけで100点叩き出すな!)

文江について。

彼女が晃に寄り添ってくれてよかった。晃はすぐに憎まれ口を叩くけど、よくよく考えれば顔も名前も知っている相手に本を貸すという行為は自分の頭の中身、心の内側を打ち明ける行為でもある。いまはSNSですぐレビューできるが、全く顔の知らない赤の他人へだからできることだと思う。本当に近しい人には薦められない本だってある。文江を啓蒙してやろうという思惑がゼロではなかったとしても、晃にとって頭の中身を委ねられるくらい文江はかけがえのない友人だ。
ラストシーンで文江の着ていた白いブラウスが印象的だった。上品な刺繍が胸元に入っていてとても涼しげで、その服を身につけた彼女がとても綺麗だと思った。

晃について。

私はどうしても晃を少年だなと思ってしまう。大学生だしタバコも吸うしあんなにじっとりとした視線を投げかけられる青年なのだとはわかっていても、少年と評したくなる。文江が飛び降りる晃に目を奪われるシーンも少年だなと思った。襟足の短い丸い後頭部のせいだろうか、常に斜に構えた物言いのせいだろうか。晃に感じるのはどこか潔癖さすら感じる少年が懸命に爪先立ちしているような印象だ。
でも吉岡が岩場で足の指を切ったと言ったシーンで救急箱を抱えた横顔は少年には見えなくて、ただそのシルエットは黒々とした哀しみに見えた。
あんな誘われ方ただただ気の毒、外野から見れば吉岡は毒。
彼は吉岡に触れることができたんだろうか。語られない行間、語られた不在、諳んじられた文章。晃の恋が終わったことは涙で痛いほどわかる。
行間を想像するのは好きです。(正直いうとどっちでも萌えるし、想像すると足をバタバタさせたくなる)
主人公だから一番その後を考えちゃうけど、晃は後期の単位はちゃんととったんじゃないかなあ。もう留年する意味ないもんね。

おわりに。

江國香織の「落下する夕方」という小説がある。これは主人公がゆっくりゆっくり失恋していく話だ。
逆光を観た直後にこの話を真っ先に思い出した。この話に登場する華子というキャラクターがとにかく魅力的で大好きだ。みーこは彼女を私に強く思い出させて、帰宅してすぐ手に取ったくらい。きっとみーこも1mgも誤差のない「おかえりなさい」が言えるタイプだ。
あぁ、好きすぎてまたみーこに会いたい。わたしがどんづまってしまった。

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