見出し画像

東海道(熱田→興津)歩き旅    第5回後編

ついに2022年度の歩き旅日記も最終回です。
今回の旅はなかなかの強行工程でしたが、ココまで予定通り来れました。
最後も工程通りに興津まで行きますよ(^^)

前回までの玉さんはコチラ↓

鞠子宿の丁子屋さんでとろろ汁に舌鼓😋
今回は鞠子ちゃんの後半から。
ではでは〜

鞠子宿→府中宿

11:40、丁子屋さんを後にし、再び東京方面へ歩き出します。

本陣とか
駿府城の石垣になるはずだった石とか
問屋場とか
脇本陣と明治天皇
十返舎一九の碑とか

ちなみに皆さんは、東海道中膝栗毛の「膝栗毛」の意味知ってます?

私も最近知ったんですが、
「栗毛」は馬の毛色で、この場合は馬そのものの事です。で、膝が栗毛とは、自分の足が馬代わりだよ、つまり
「東海道を徒歩旅行するよ」
みたいな意味だそうです。

時刻は12:00。ぼちぼち鞠子宿を後にし、次の府中へ向かいます。

宿場のすぐ東、鞠子の一里塚ちゃん

丁子屋のお姉さんが、
「今日は天気いいから、宿場を抜けると正面に富士山が綺麗に見えるよ」
と仰ってましたが、どうでしょうか?

綺麗に見えた(^^)

まだ少し距離はありますが、綺麗に見えました😊
さらに歩く事しばし。

安倍川を渡河。ココもよく見えた😊

川を越えて12:30。コレまた安倍川餅の名店が有ります。

創業200年以上だそう
石部屋さん
コレまたペロリでした😋

とろろ汁食べたばかりでしたが、余裕で食べれました(^^)別腹。
お餅が柔らかく美味😊

石部屋さんすぐ先の明治天皇。

明治天皇も味わったのかな、安倍川餅😊

府中宿

12:50、ぼちぼち府中宿、と思ってたら

府中の一里塚氏

城下町街道アルアル

道がカクカク

府中は、ご存じ静岡駅前なので結構な都会です。

しかし、ちゃんと跡や碑が残ってて好印象。
吉田さんも見習ってぇ

各通りの名前の由来とか
家康公の話とか
案内もバッチリ
西郷、山岡会見の史跡
本陣、脇本陣

あと街中で見つけた面白い看板

おとぎちゃん

包丁研ぎ器も擬人化する時代。
でもやはり嫌いじゃないです、私🤣

府中宿→江尻宿

13:40府中を出て少し行くと

またまた綺麗に見えた(^^)
護国神社とか
午後ティー電車とか
長沼の一里塚だよもん

この辺からゴールの興津まで、見るものも少なく、また連日の疲労もあってか写真あまり撮ってなかったです😂

14:45、まさかの一里塚連コイン🤣

草薙の一里塚一刀斎

確かこの地名の草薙は、熱田神宮の草薙の剣が由来だったと思います。あと焼津も。

うど
やってませんでしたが、有名らしい追分羊かん

15:15、江尻宿に入ってきました。

江尻宿→興津宿

本陣跡with明治天皇

江尻は控えめに言って見るものなかったぁ。
私が疲れて思考停止してたのを抜きにしても、通り沿いにあまり史跡等なかった気がします(^^)

通りはこんな感じ
気になったプラモ屋さん

15:40、早々に江尻を後に。

細井の松原
常夜灯
大通りから逸れる細い通りは大体旧道説(^^)

16:10、ついに興津に入ってきました。

西園寺公望翁の隠居した館とか
清見寺とか
大正天皇の海水浴碑とか

皇太子時代の碑でなく"大正天皇"と書いた碑は珍しい気がします。まあ、天皇だった時期が15年だけだから、当然ちゃ当然か🤔

西本陣
東本陣

西本願寺、東本願寺みたいやな🤣

余裕あったら次の由比宿まで行けるかな?そんなふうに考えてた時期が俺にもありました🤣

そんなこんなで16:30、ついにゴールのJR興津駅に到着🎉🎉

この後は電車で熱海に出てストリップ劇場へ。翌日翌々日は東京で有馬記念を見に行きますが、それは歩き旅とは別のお話、ココでは割愛します。

次回はココから再開します。

今回の旅は5日で230kmという強硬工程でした。

結果的に予定通りには歩けましたが、流石に余裕なくて歩くばっかりになってしまいました(^^)

寺社仏閣に参拝したり、少し脇道に寄り道したりするには、もう少し余裕のある工程にしないと、と思います。

何より1日50kmはキツかった😖
もうこんな工程は無理と思います。

来年の冬に興津→日本橋を歩いて、東海道は完結予定です。次回は距離的にももう少し余裕持てると思います😊

それでは今回の東海道歩き旅はこの辺で。
ココまでのお付き合い、誠に有難うございました🙇‍♀️
ではでは👋👋

P.S.興津駅に着くまで興津を「こおづ」だと思ってたのは内緒🤣🤣

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?