あなたが凍えるその前に、の話。

お久しぶりになりました。5℃以上あれば秋だと言い張るたくましい人達が住む地からこんにちは。
めっちゃ寒い。めっちゃ寒いけどみんな「まだ冬じゃないよ」と言う。正気か?

そちらは元気に過ごしていますか?楽しいことはありましたか?悲しいことはありましたか?

私はなんだか色々あったようで何もなかったような気もします。
自分の感情に振り回される日々も終わり、自分すらも一歩引いて観察しながら生きていると、なんというか本当に淡々とあらゆるものが終わっていくのです。
お久しぶりで文章の組み立て方も忘れてしまったし、言いたいこともたくさんあったりなかったりなので、つらつらと思いついたことを書きましょう。

私はおそらくHSPの性質を持っていて、なのでこれまでありとあらゆることでショックを受け、些細なことでひたすら泣き、人前では笑い続け、電車のなかでは耳を塞ぎ、他人からよく思われることが最優先だったのです。
トーキョーを離れたと同時に、そういう気質は変わらないにしろ、良い意味で冷たくなることができました。人に干渉しないと同時にさせない、ということができる。「前の髪の色のほうがよかったよ」と言われたとき、「そうですか。私は今の髪の色が好きなんです」と返せる。

それがどれほどの成長で、どれほどの苦痛の末に手に入れた未来だったか、私以外のひとにはわかるまい。でもきっと共感してくれるひとや、そうなりたいと思ってくれるひともいるに違いない、と同時に思います。
私が死にそうになるくらい悩んで考えて震えた問題に、1秒で答えを出すひともいる。私が答えを出す頃に、そのひとはもう全然別の問題について考えているだろう。でも重要なのは「そのひとより答えを出すのが遅かった」ことではなくて、「私が考えて答えにたどり着いた」ことなのだ。

と、言っていることすら、当たり前に思えるひとには当たり前なのでしょう。
でも私、たぶん、そういう当たり前のことを当たり前にできる人間になりたいんじゃなくて、当たり前じゃないけどそういうふうに自分を意識して大事にできるひとになりたかったんだなって。
普通になりたいと思ってたけど、努力してどうにか普通にできる劣ってるひとでよかったのかなって。
そんなふうに最近おもいます。

それにしても30歳こえるまで生きててほんと良かったなあ。いろんなことに諦めがついて、諦めがつくと心が軽くなる。
ガチガチの自意識と自己顕示欲に縛られたまま30歳になったら、それこそもう死ぬしかないと思っていたけれど。不思議なもんですね。ようやく自分の人生を生きてる感覚があります。
ぜんぜん、同年代と比べたらお金も稼げてないし、定まった住居もないし、貯金もすっからかんだし、なんにもないけど。
でもそういうものも全然欲しくなかったんだなって気付いて。社会通念的にお金とか家とか大事なんだ!って思ってただけで。私の大事なものじゃなかった。

とりあえず生きてりゃいーね。
つらくなったら外に出るといいよ。世界は広いし、君のいる街も君が思ってるより広いんじゃないかな。
どれだけ大人になって偉そうな顔しててもさ、知ってることなんて世界のほんのちょっとだけだね。

だってかんぴょうの原料とか知ってる?
私は知らなかった!ちなみに最近「きなこって豆なの!?」て言ってる50歳にも会いまして、そういう食べ物あるよねーという話をしました。
そしてこういう場面で他人の無知を笑うひとには絶対になりたくないとも思うのです。だって自分も知らないことだらけだから。

そして私は見たことのない景色をこの先もたくさん見ていきたい。
いつだって今が最初の一歩でスタート地点。
さて私は初の雪国の冬を耐えられるのか?乞うご期待。ダイヤモンドダストが見られることを楽しみに、冬支度を整えます。ボリュームたっぷりのグレーのマフラーが欲しいです。

さあ、冬が来るよ。

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