どうかあすには、の話。

さいきんよく夢を見る。1年くらいずっと、ほとんど夢を見なかったのだけれど、ここ一週間ほど毎日見ている。

幼い頃から繰り返し見る夢がひとつあって、それはいつ見ても同じ場所で、話の進みもだいたい同じで、でもいつも少しずつ違うような気もする。起きたあと、「ああ、あの場所か」とおもう。起きてしまえばおぼろげだけれど、起きた瞬間の私であればあの場所を地図に起こせるとおもう。

ただ、さいきん見ている夢はそれとはまったく違う、あたらしいもので、場所はなく、話もなく、いまいち覚えていないのだが、いつもだれかが不機嫌なのだ。知らないひとなのだ。おそらくいままで会ったいろいろなひとの集合体みたいなものなのだろう。なにか不満を言われたような気がいつもしているのだが、具体的になにを言われたのかは忘れてしまう。

そんなこんなでいまいち満足のいく眠りがとれていない。今日は起きた瞬間から頭が痛い。気圧のせいか。なんとなくヨガをやってみる。知ってるポーズはすくない。ねこのポーズ。ダウンドッグ。どうぶつになってみる。そのあと朝ごはんに悩む。お米を食べたい気分じゃないが、パンというのもどこかしっくりこない気分。こんなときはお餅だ。お餅を焼いて海苔とチーズと塩昆布とマヨネーズだ。お餅バンザイ。物理的にも心理的にも非常食。

気に入っていた蓋つきのマグカップを割ってしまって、悲しみと諦めと未練がでろっとした感情になって浮かんでいる。間に合わせで買った無印良品のマグカップが意外とよくて救われる。400円くらいのやつで、ふちの部分が外に向かって広がっている。お茶の蒸らしに蓋は欲しいから、蓋だけどこかで良いものが見つかるといいな。

さて、もうすこししたらベランダでコーヒー飲みながら朝日を見よう。それから仕事に行って、足りなくなった日用品を買って、ごはんを炊いて、今日が過ぎて、あしたになって、そうやって、毎日まいにち、やっていくしかないのだ。現在時刻は6時15分。こちらの日の出は6時50分。そちらはどうですか。未来はあかるいですか。希望に満ちた日々ですか。たのしいことはありますか。どこかの地で必死に生きているあなたへ。「あすは良い日でありますように」という願いだけで生きのこっている亡霊より。

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