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"フェミニスト"と言い切る勇気が無くて結局いつも自分語り

フェミニスト、という言葉の存在は知っていた。

三年前、エマ・ワトソンが国連でスピーチしている動画をたまたま見る機会があって。なんかよくわからんけど、かっけぇな、と。

エマ・ワトソン=フェミニスト。エマに憧れを抱いていた重度のハリーポッターオタクの私は「彼女がフェミニストなら私も今日からフェミニスト☆」くらいの超絶軽いノリで、フェミニストになった。


けれどフェミニスト、という言葉を己の顔に書くのは、想像以上に怖かった。

ひとまず、フェミニストという人達の考え方に触れてみようとTwitterを開くと、ミソジニー、クィア、KuToo…「え、あの、なんすかそれ?」という言葉の数々。事前知識がエマ・ワトソンだけだった私にとって、未知のオンパレード。

用語を知らなくちゃ…上野千鶴子さんや石川優美さんの活動を知っていなくちゃ…キム・ジヨン読まなくちゃ…フェミニズムは学校で出される宿題なんかじゃないのに、知ろうとすればするほど本来の目的から逸れた。

それに、フェミニズムを知らなかった頃の無知な自分が犯した小さな罪への、後ろめたさもあった。

「女の子だからプリキュア」「男の子ってバカ」幼い自分が発した言葉は、人によっては「たったそれくらい」と思うかもしれないけれど。フェミニストは完璧でなければならない、正しい人間でありたいと思った自分にとっては、相当な犯罪歴だった。

フェミニストが嫌いな人達からのアンチも怖かった。「フェミぶってるけどお前小学生の頃に、プリキュアは女の子が見るものって言ってたじゃん草」とかって書かれたらどうしよう、とか。「フェミのくせに男に甘えるじゃんキモ」って言われたらどうしよう、とか。

「私はフェミニストです」ということによって集まってくる、醜悪な香りがする言葉に立ち向かえる気がしなかった。


だから私はいつも自分語りで終わる。自分の身の回りで起きたニュースに、フェミニズムをチラつかせた感想をちりばめるだけ。"私"と"思う"を使った文章。

くやしい。自分語りは決して悪じゃない。心の中だけでフェミニストを名乗ることは悪なんかじゃない。

けれどエマのように。エマに憧れて「フェミニストになる」と口走ったあの日のように、もっと。


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