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平凡理系大学生アメリカ研究留学日記-研究室での苦労編-

研究留学というと、日本で所属する研究室の教授のツテで、元々つながりのあるところに入れてもらう、というパターンが多いと思うのですが、私の場合は違いました。
大学の交換留学制度を利用するため、教授のツテがない大学で研究室を探さなければならず、自分で何通もメールを送ったのですが、半年近く良い返事がもらえず、めちゃくちゃ焦っていました。奨学金も決まり、いよいよ何とか見つけなければならない、という時に、運良く見つかったラボにOKをいただくことができました。

日本での研究とは異なる分野でしたが、私がやっていた研究に興味を示してくれ、新しい分野でそれに関連した研究ができるかもしれないとわくわくしていました。

しかし、現実はそんなに甘くなく、しばらくポスドクの方のアシスタント的な立場で横についてまわる日々が続きました。

最初にラボを訪れた時は、サンドイッチを振る舞ってくれたものの、それ以降自分で動かなければ放置されそうな雰囲気を感じました。そこで改めて、向こうは私が何もしなくても特に構わない、自分は自らお願いをして研究させてもらいに来た立場である、ということに気付かされました。教授の言うことを聞いて従っていれば良かった学部生時代とは大きく異なる状況だったと思います。

自ら動かなければ、と腹を括り、自分はここで何ができるかを一生懸命考えました。自分のプロジェクトを提案し、認めてもらおうと論文を読んで実験内容を考えると同時に、アシスタントをしながら自分のスキルを認めてもらおうと必死でした。ここでちゃんと研究できると認められれば、もしかしたら一人でプロジェクトを任せてもらえるかもしれない、と。しかし実際は失敗の連続で、英語の聞き取り能力不足で指示を間違えたり、単純に操作ミスをしてしまったり、日本との勝手の違いに戸惑ったり。完全にポスドクの方の信頼を失ったように感じていました。

そんな中でも、徐々に一人で実験を任せてもらったり、やったデータをしっかり説明して自分の意見を伝えたりしているうちに、渡米2ヶ月でようやく、自分のプロジェクトをスタートさせることができました。

計画を立ててさあやろうと意気込み、細胞を育てている中、事件が起きました。なんと、日本でも一度もしたことがないようなミス(細胞を盛大にぶちまける)をしてしまい、計画が大幅に遅れることになってしまいました。急いでメンターに状況を伝え、予定していた実験を延期することになり、とても落ち込みました。やっと研究ができるようになったのに、こんなしょうもないミスで計画が狂うなんて。でも落ち込んでいてもしょうがないので、また一からやり直しました。結局、土日もラボに行きながら何とか実験を続け、私が当初やりたいと思っていたところまではぎりぎり終わらせることができました。結論を出すにはまだデータが足りない内容でしたが、ラボ内のミーティングで発表させてもらい、他のメンバーにも興味を持ってもらえたので、今後も誰かが引き継いで何らかの形でまとまったら良いなと思っています。

この経験をまとめると、
1. 自分から動かなければ何も始まらない
2. うまくいかなくても諦めずへこたれず、やり続ける
ことが大事だと学びました。
アメリカに行かなくてもそんなことはわかるかもしれませんが、自分が身を持って体験したからこそ、今後の人生の中でもこれをやっていけると自信を持って言うことができます。
大した研究成果ではなかったけれど、違う国の研究室で一人のメンバーとして結果を残せたこと。これは私の大学生活において一つの大きな財産となりました。

もしこれを読んでいる人の中に、授業留学か研究留学か迷っている人がいたら、私は間違いなく研究留学をお勧めします。(分野にもよりますが)
ちなみに私は研究留学をしながら授業の聴講もしていたので、その時のこともまた書こうと思います。ご参考までに!

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