大好きで大嫌いだったあの子たちへ

 私は人間関係が希薄な方であると思う。友人は広く浅くをモットーに付き合ってきたし、むしろ初対面で二度と合わないであろう人との会話の方が盛り上がることもある。

 私にとって、友人や関係性は刹那的である方が好ましかった。人と話をするのは好きだし、いろんな人と仲良くなりたいと思うけれども、ずっと一緒にいたいとか悩みを共有したいとかは思わない。一瞬でも合わないと思えばそれまでだし、相手を理解するために歩み寄ることはほとんどなかった。

ここ数年、そんな感じでドライな関係性を築いてきた。


昔はこうではなかった。

特定の友人が明確にいたし、いつでもその子と一緒だった。常に隣に「その子」がいることに安心感を覚えていた。帰る場所、みたいな感覚だったのかもしれない。


いつからそういう関係が嫌になったのか?

覚えてる。

忘れないうちに書いておこう。大好きで大嫌いだったあの子たちのことを。今の私の友人観を作ったのはあの子たちであるといっても過言ではないのだから。




私は小学校時代、人見知りの激しい子だった。それに加えて本を読むことが好きで、休み時間も放課後も本を読んでいるような子どもだったから、当然のごとく全然友達ができなかった。そんな私に声をかけてくれたのがあの子だった。

 あの子は社交的で友人の多い子だったから、初めはきっと数多くいる友人の一人だったのだろう。でも、私は初めてできた友人が嬉しかった。目立つのが嫌いだった私はあの子と一緒に行動することに安心感を覚えたし、なんならたぶん金魚の糞状態だった。

 私たちが、いわゆる「仲のいい友達」になるのに時間はかからなかった。学校も放課後も一緒、グループを作る必要があるときはかならず一緒になった。周囲からも仲の良い二人として認識されていたし、クラスも6年間一緒だったから、本当にずっと一緒にいたことになる。

 はじめはよかった。楽しかったし、居心地も都合もよかった。

 だけど、高学年になるにつれて、いいや、もっと仲良くなるにつれて、関係性が少しだけ変わっていった。仲良くなるということは、身内に近くなるということと同義で、それは受け入れなければならないことが増えるということだった。


結論を先に言おう。あの子は、少々わがままで感情的だった。そして、私はあの子の「わがまま」の面倒を見なければならない立場になってしまった。

あの子には年の離れた姉と兄がいて、祖母や叔母が同居していて、家庭内ではかなり甘やかされていた子だった。別にそれが悪いとは思わない。あの子の無邪気さは大切に育てられて生まれたものなんだろうと思うから。

ただ、あの子には無意識のうちに、「自分は大切にされて当然」という気持ちがあったのだと思う。自分の意見が通らないと如実に不機嫌になり、うまくいかないと周りが楽しんでいたとしても、とたんに投げだしてしまうことがあった。急に拗ねることもあったし、自分の機嫌を察して欲しがった。もちろん、全体的にはあの子はとてもいい子だった。明るくてにぎやかで。ただ、気分で態度が変わるだけだ。そして、私はいつもそばにいる友達として、その不機嫌に対応しなければならなかった。

友達なんだから、それくらいすればいいじゃないかと思うかもしれない。確かに、友達が困っているなら手を貸すのは当然だろう。でも、何かをするたびにあの子の機嫌を伺い、もはや接待のような会話をすることが、本当に友達だったのだろうか。

あの頃の私はあの子と一緒にいることが当然だと思っていて、半ば保護者のような気持ちであの子と一緒にいた。普段楽しく一緒に過ごし、頻繁に起こるあの子の癇癪を宥め、それに心のどこかで辟易しながら、それでもそれが「友達」のあるべき姿だと思っていた。あの子に心の底からうんざりしていたけど、そういうものなのだと我慢した。

あの子との関係は中学に上がるまで続いた。同じ中学に上がったから、関係がなくなったということはないけれど、クラスがかなり離れてしまったから、必然的に距離は遠くなった。間近で癇癪に遭うこともなくなり、裏でため息をつくこともなくなった。あの子に関しては、中学ではほどよい関係を築くことができたと思う。

 ただ、中学で楽しいだけの友人関係を持てたかというとそうでもない。中学は中学で酷く近しい関係の女の子がいて、その子ともうまくいかなかった。

その子も小学校から仲の良かった子だった。中学で同じ部活に入り、またクラスが同じことでより一層仲良くなった。ありていに言えば、中学にあがってずっと一緒にいる子が「あの子」から「その子」に変わっただけだ。  でも、思春期の女子ってそういうものだろう。休み時間や移動教室は特定の誰かと一緒にいるし、そうじゃない子はどちらかというとクラスの輪に入れていない子だった。少なくとも、私の中学はそうだった。

みんな、居場所を作るためだけに人と一緒にいるのだ。その居場所が心地良いかどうかは考えないで。

その子は、頭が良くて気の回るいい子だった。小学校時代から「優等生」らしく見られていたし、先生からの信頼も厚い子だった。あの子のわがままに疲れていた私は、その子と一緒にいることがはじめのうちは楽しかった。

その関係が崩れてしまったのはいつだっただろうか。徐々に徐々に変わっていってしまったのだけれど、これも原因は「仲良くなりすぎた」ことだと思う。

その子は負けず嫌いな子だった。勉強でも、スポーツでも。何にでも対抗心を持っていて、勝つことが好きな子だったのだと思う。私は競争が好きではなかったから、評価や順位は気にしても、上に誰がいるかとか、誰に負けたとかを気にしたことはなかった。でも、その子は気にした。特に、ずっと一緒にいて、ポテンシャルや状況が似ている私のことをライバル視していたんだと思う。

テストの点数や実技の評価はしつこいくらい聞かれた。競争が嫌いといっても、私にもプライドはある。うまくいかなかったテストの点は教えたくないし、聞かないでほしかった。だけど、オブラートに「聞かないでほしい」と伝えても、その子はなかなか引き下がらなかった。しぶしぶ口を開くことになることもあり、私はその瞬間がすごく嫌だった。

それだけじゃない。その子は、私のすべてを知りたがった。

体重から、好きな人から、人から言わないでと言われていることまで。

友達の好きな人が気になるのは、まあ分かる。そういう話題が好きな年ごろだし。いくらいない、言いたくないと伝えても根掘り葉掘り聞きたくなるのは、それはもうしょうがないものなんだろう。だけど、体重に関しては本当に勘弁してほしかった。私だって体重を気にしてた。いや、別にはじめは気にしていなかったけれど、逐一食べたもののカロリーをチェックされたら、思春期の女子は気にするに決まってる。その子は体重を気にしていて、そして当時の私は成長期で細かった。だから私を基準にしようとしたんだろうなとか、私を超えるのを目標にしたんだろうなとか、なんとなく理解はできる。だけど、本当にやめてほしかった。その子のために私も無理やりダイエットという勝負の土俵に立たされた気がして、ひどく息苦しかった。

 あの時、やめてくれと言えばよかったのだろうか。でも私は言えなかった。その子との友人関係が消えるのが怖かった。ずるずるいやな気持を引きずったまま、にこにこ笑ってた。

明確に拗れてしまったのは一年生二学期の期末テストの頃だった。これははっきりと覚えている。

急に、その子が冷たくなったのだ。ある日の移動教室でいつも一緒に行っているその子が見当たらず、どうして今日はいないのだろうと不思議に思った。だけど、それを皮切りにその子は私と一緒にいることを避けるようになった。部活もずっとペアを組んでいたのに違う子とペアを組み始めるし、目も合わせてくれない。ずっとそっぽを向いたまま。クラスの他の子にどうしたの、と聞かれても私は分からなくて、ただひたすら困惑した。

たまたまその時、私もその子も部活の人間関係がうまくいっていなくて、味方は私たち二人だけ、みたいな状態だったのに。その子がそんなだから、私たちは二人ぼっちから、二人の独りぼっちになってしまった。

悲しくて困惑して、いろいろ考えた。思い当たる要因が、一つだけあった。

テストの順位だ、と思った。

その子は小学校時代からずっと頭が良かった。そういうキャラだったし、きっとプライドも高かったんだろう。対して、私は小学校時代さして勉強に熱を入れていなかった。テストの点がひどく悪かったわけではないけど、決して「頭のいい子」キャラではなかった。そんな私が、その子にテストで勝ってしまった。負けず嫌いのその子に。

中学一年生のテストなんて、たかが知れている。考えても分からない問題なんてまず出題されなくて、順位なんていかにケアレスミスをしなかったか、だ。私とその子の点数差だって、きっと十五点もありはしなかった。

だけどきっと、私はその子のプライドをへし折ってしまったんだろう。「私なんか」に負けたことが、その子にとっては許せないことだったのだろうかと考えた。

もしかしたら他に原因があったのかもしれない。だけど、私にはそれしか思い当たらなかった。

原因不明の不仲は数か月続いた。私は酷く傷ついていたし、悲しかった。幸い、私にはクラスに別の友人がたくさんいたからクラス内でも独りぼっち、ということはなかった。むしろ、その子の方がクラスから浮いてしまっていた。同じクラスに違う友達もいないのに、自分で自分の首を絞めたんじゃないか、とその子に対して内心すごく嫌なことを思った。

私が違う友人と共にいることに慣れた頃、部活で一人でいることに苦しんでいた頃、たまたま同じ空間にいたその子が、ぽつりと「ごめんね」といった。私は反射的に「いいよ」と返してしまった。何への謝罪かも分からない、唐突な言葉。でもなんとなく、この数か月のことを言ってるんだろうな、って分かった。

なんで簡単に「いいよ」って言っちゃったんだろう。理由も分からないままこんな態度をとられて悲しかったって、本当は言いたかった。言えなかった。

その子は一言の謝罪のあと、まるで何もなかったかのように仲良くしてくれた。私たちは部活で二人ぼっちに戻れたし、教室でも一緒にいるようになった。

これで元通り、だった。状態としては。

だけど、私はその子に不信感を持ってしまった。この先で何度も、あなたは私を裏切ったことがあるじゃないか、と思ってしまった。嫌な奴だね、私。


形式上の仲直りをした私たちは、部活という共通の課題に一緒に立ち向かった。しんどいことは共有したし、互いが傷ついた時には慰め合った。テスト勉強も一緒にして、課外活動も助け合って。たぶん、私たちの関係性にもっとも合う言葉は、「共依存」だったと思う。

私はその子のことが好きだったし、仲良くしていて楽しかった。だけどやっぱり、楽しいだけじゃなかった。

仲良くなりすぎるって、やっぱり苦しい。

その子は頑張り屋さんで、優秀な子だった。自分とさして仲良くない子にはとても優しいし、気が利く、本当にいい子だった。

でも、私に対しては気分屋な一面があった。その日その時の気分で機嫌が変わるし、物言いがすごくきつくなる時が不定期にあった。私に関係のない苛立ちを私にぶつけているんだな、って思った。その当時の私は自分に自信がなかったから、その子にきつい言動をされると自分の無能を感じて落ち込んだし、申し訳ない気持ちになった。

今思えば、これはその子なりの愛情表現だったんだろう。きっと、一番仲のいい私に甘えてくれていたんだと思う。だけど私はその好意の表れを上手に受け取ることができなかった。そのすべてに、愚直に傷ついた。

私はその子と一緒にいることが、だんだんしんどくなっていった。

「身内感」が嫌だったんだと思う。知ったような口ぶりで私のことをネタにされるのも嫌だったし、何を言ってもいいと思われているのも嫌だった。

自分のことをすべて話さないといけないのも嫌だったし、その子の話を興味あるふりをして聞くのも嫌だった。強制的な自己開示を迫られているようだった。

ここまで私の主観で書いているけど、私が嫌な態度をとったこともある。なんだかすごくイライラしていたとき、私もその子の前でだけ不機嫌になった。頻度はその子ほどじゃないと思っているけど、主観だから分からないね。もしかしたら同じくらいその子も嫌だったかもしれない。だからまあ、おあいこなのだ。

私たちは、一番仲が良かったけれど。一番支え合ってきたけれど。私はその子に一番傷つけられたし、私もその子を一番傷つけた。


中学を卒業してしばらく経ったとき、たまたまその子に合った。他愛のない話をして、あの頃のことを思い出していた。

「うちら親友だよね」

 その子がいった。

 私は、「うん」と言えなかった。曖昧な笑顔でごまかしてしまった。



 「親友」という言葉が、酷く重く聞こえた。

親友だからなんでも話さなければならない。
支え合わなければならないし、頼り頼られる存在でなければならないし、弱いところをさらさなくてはならない。

 そんな風に思ってしまった。

 そんな関係は持ちたくない、と思った。

私は自由でありたいし過干渉されたくないし、必要以上に踏み込んでほしくない。

もう、「親友」に振り回されるのはうんざりだった。君たちの些細な感情で私は傷つく。私には君たちを受け止めきることなんてできない。


だから私は、高校以降広く浅くの関係を築いてきたのだ。

程よい距離感は心地いい。大好きな友達はいるけど、彼女たちと「親友」になりたいとは思わない。私が勝手に大好きと思っているだけでいい。



 さようなら、子ども時代の「親友」たち。もう、二度と会わないでしょう。

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