後悔の中あるものについて

 こちらも手を加えました。
私の創作意欲や意義は、あくまでも自分との葛藤、そしてその気持ちや感情を形に起こして共有することなんですね。

 なので日に日に、“何もしないままでも”というフレーズは、大変危険であると感じるようになってきたのです。
なので、“何もしていなくても”に変えました。

 これは私が常々思うからなんですけれど。。。
自分には縁もゆかりもないことだからか、子育てをされているお母さんという存在を、とても尊敬しているんです。

 なので、そんな存在であるお母さんの別の名前でもある、ママという単語があのようなフレーズの一部になっている。
つまり聴き手に、お子さんを放置する母親を想起させるのは、大変よろしくない……。

 とはいえ、同じ女性として、そんな彼女らには常に何らかのケアが必要なのではないか、と思ってもいます。

 話を戻しまして、、、

 私の使用している音楽のサブスクリプションサービスでは、配信されてから、歌詞が付くまで一定の時間がかかるんですね。
この理由について、詳しいことは今のところ分かってはいません。

 ですがそれはつまり、音が先行でヒトの意識へと刷り込まれるのと同義でもある、と私は考えています。
 
 そんな中、自分の意図を伝えるために創作を行う際、どうしてもあらゆる可能性を考える必要がある、と感じているのです。

 という訳なんです……図々しくもお節介を焼くと、どうしてもお母さんにとって息子さんとは、そして息子さんにとってお母さんとは、色々な意味で、とても特別な存在になると思うんですね。

 その中で人間として独り立ちさせようと思うなら、自分が世話を焼いたり、面倒を見続けることがあまりにも過ぎてしまうと(特別な支援の必要な子はもちろん別ですが)、子の自立を妨げてしまう側面もあると感じている方も、いらっしゃるのではないかと。

 でも、そんな風に常日頃から母として奮闘されている女性の皆さんこそ、私にはこれ以上の無理をさせたくない、と思う存在でもあるのです。

 本当にそれだけの理由だったのに、話が長くなってごめんなさい。

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