ぼくらの葛藤 解説

 この作品を通して、私が伝えたいこと。

 この詞を読んでくれた誰かの、言葉で自分の気持ちを上手く説明出来なかったり、涙すら流せず、怒りやストレスに苛まれている心境を肯定したい、という想いです。

 だって人間ですもの、それらと無縁ではいられませんよね?

 私には怒りも、喜びや悲しさや楽しさと同じ、大事な感情なのです。

 というわけで、今作にまつわる裏話を、これから話していきたいと思います。

 言っておきますけど、物凄く長いですよ~笑?

 さて、今作もプロトタイプ、というか、断片だけは十年ほど前に出来ておりました。

 “これもまた日常なんだって
 その事に 変わりはないさ
 でも駄目なんだ
 独りになりたくなるほど
 張りつめてしまう

 不満なんて 何もないって
 抑え込んでいた日々に
 突然 訪れる瞬間(しゅんかん)
 何だ 僕も生きてんだって
 思い知るよ

 吐き出したい想いは
 胸の奥で響いている
 いつも
 言葉なんて 置き去りにして
 そんな衝動を 僕はどうも
 もてあましてくみたいだ
 きっと この先もずっと”

 というこれら三つのセクションです……唄にするに当たって、構成は練り直しましたが、これらが本当に本当の始まりのピース達なのです。

 これらが浮かんできたのはですね、約十一年ほど前の入院時のことです。

 同居していた父方の祖母との長年の確執から、取っ組み合いの喧嘩になり、彼女の肋骨を骨折させたため、入院することになりまして。

 そうして何度か繰り返していた入院の中で、初めて急性期病棟から慢性期病棟へと移ることになったんです。

 その病棟は……私がそれまで入院し続けてきた急性期病棟とは、明らかに違うところでした。

 症状の重い患者さん達がいるのはもちろんのこと、高齢の患者さんが多く、ご家族の方とは複雑な事情を抱えており、面会に来てくれる方がいないので、外出や外泊も出来ず、という方も……珍しくなかったです。

 そんな中、二人の男性患者さんとトラブルを起こしてしまいました……仮に彼らをKくん、Hくんとしておきましょうか。

 Kくんは、新しく病棟に入ってきた女性患者さんへ、痴漢行為をはたらいてしまう子でした。
とはいえ、私は被害には遭いませんでしたが。

 それと、どうしてだったか忘れてしまったのですが、食事の後、デイルームの洗面台で、よく吐き気に襲われている子でした。

 本人とちょっと話をしたところ、自分には発達障害があり、いじめに遭っていた……そして親はここへ入院させたまま、顔も見に来てくれない、と言っていたように思います。

 Hくんは電車が大好きなようで、たしか月に一度、お父さんとの外出で、色々な電車に乗るのを楽しみにしている子でした。

 彼は幼い頃に母親を亡くし、お父さんが再婚して新しいお母さんが出来たのですが、関係は上手く行っていなかったと本人が漏らしていたのを覚えています。

 あっ、あとAKB48が大好きな子でしたね!

 そんな彼らとの間に起こってしまったこと。

 KくんとHくんは友達ではあるのですが、力関係はHくんの方が上のようで、でも、というかだからなのか……今となっては分からないことですが。

 Hくんは病棟の職員さんの目の届かないところで、こっそりとKくんの事を、男性器の下品な呼び名をあだ名にして呼んでいたんですね。

 それがもう、私には本当に受けつけられなくて。

 加えてHくんとは病棟にあるテレビの録画の件で揉めたこと、週に一度のカラオケの時間でも、替え歌で下品なフレーズを連発していたこと……後者の方は、発達障害由来の感覚過敏を持っている私には、耐え難いことでした。

 それもあって、当時担当の看護師さんに苦情を入れたのですが、全く把握されておらず。

 そんな中、長引く慢性期病棟での入院へのストレスと、彼らに対する思いが爆発して、とうとうぶち切れた私は、Hくんに文字通り殴りかかろうとしたんです。
夜勤明けの看護師さんが必死で止めてくれましたが。

 その結果、保護室という、寝具とトイレ以外は何もない、外からしか鍵の開けられない部屋に入ることになりました。

 見かねた主治医の先生が、その時だけは日記や筆記用具、携帯、ウォークマンもかな? なども持たせてくれての、特別な処遇ではありましたが。

 という出来事があり、上の三つのセクションが、メロディー付きで浮かんで来たんですよ!

 本当に本当に、自分の中の怒りが呼び寄せた、渾身の想いだったんです!

 そうして話は変わりますが、この慢性期病棟へ入院中、母が末期の卵巣がんであることが判明しまして、母も入院していたんですよね。

 そんな母へ、上の三つのセクションを、電話をしたかメールで送ったか、忘れましたが……それじゃダメじゃん笑と、突っ込みが入りまして笑。

 いつもいつも自分の気持ちや思いはそっちのけで、家族に滅私奉公の出来る母からしたら、アンタはまだまだだねぇ~、と言いたかったのだと思います。

 そして私の調子が整い、保護室からいざ病棟へと戻った時。
私のやり方が間違っていたことを、痛感させられることになるのです……。

 それはどういうことかというと、Hくんは、病棟内に職員さん達がいようがいまいが、Kくんの事を堂々とあのあだ名で呼ぶようになってしまっており……本当に後悔しました。

 あと、私が女であるにも関わらず、本気で殺意をむき出しにして自分へ迫ってくるのを目の当たりにしたからか?
Hくんの私への態度が……ちょっとそれ、やめてくれない? というものに変わってしまいました。。。

 私の担当の看護師さんや、重ね重ね相談に乗っていただいていた看護師さん方曰く、いわゆる弱い犬ほどよく吠える、といったタイプの子なんだよねぇ、と。

 まぁ当時はそんな風に言われても、全く納得出来ませんでしたけどね笑。

 私は本当に、おそらく文章からだと想像もつかないと思いますけど、本当に血の気が多く、負けん気も強くて、男勝りなところのある女なんですよ。

 そんなKくんとHくん、私……という三人のぼくら(私の場合、精神面が男性寄りということかな)の葛藤のせめぎ合いの果てがきっかけとなっているのです。。。

 という、自分の思い出話はここまでにして。

 この曲の制作の裏話に何かあるかと言えば、やはり今回も入院中、様々な体験をしたり、テレビを通して世の中を知る機会が多かったからだと思うんです。
私は自分の部屋にはテレビを置いていないので。。。

 こんな風に、ただ見ているだけでも多大な影響を及ぼしてくる機器も、そうそうないと思います。
今はそれをスマホやタブレットが担っているのでしょうけど。

 なので、刻一刻と変わりゆく時流を、私なりに読み解いてもいるのです。

 そうしてやっぱり趣味としてしか創作をしてこなかった私としては、自らの機が熟した時こそ、想いは作品として組み上がってゆき、ストックも含め、世に出す時は今がその時! というものなのですね。

 そうした意味においては、こんなに何でもかんでも勝手気ままにやりやがる奴はそうはいねぇ! との自負も……もちろんあります笑。

 ただ私は……本当に、誰かが困っていたり、不当に痛めつけられているなんて、と思うだけでもしょんぼりしてしまうのです。。。

 それもこれも、誰かの人生や立場を肩代わりするだなんて不可能ですが、気持ちや感情なら共有できるよね?
という思いは凄くあるからなんですよ。。。

 私が創作に取り組む理由はそれです。

 その上で、自分の言動には責任を持っていたい。

 ただそれだけなんです。。。

 大変長くなってしまいましたが、最後まで読んで下さって有難うございました。

 追記
 本編の“何度も この膝抱えて”とは、私の場合、心が長い間体育座りをしていた、つまり、自分の想いをぶっちゃけることが中々出来なかった、ということなんですね。

 でも、本当に文字通り膝を抱えたい気持ちで自分に抗っている、または諦めに苛まれている方もいるでしょう。

 そんな方達の気持ちも、ちょっとはスッとするものに仕上がっていたら……いいなぁ。

 そんなことを思っています。

 追記の追記
 以前、どうしたって怒りとは八つ当たりになってしまう、と書きましたが。

 それならば、葛藤に苛まれている自分を含めた皆に、“きみの方が正解(アタリ)なんて”という形で、ある意味吉報の八つ当たり笑をしてみたらどうなるかな? という思いや狙いもあったりします。

 やっぱり何かしらスカッと出来る瞬間だって、必要に決まってるよね笑?
……という目論見は、果たしてどう出るのだろうか?

 読むだけでも、思い出すだけでも、そのお手伝いが出来れば、と思っています! 

 追記の追記の追記
 この慢性期病棟での入院の後、私は当時の主治医の勧めでグループホームへ入所することとなりました……が。

 こちらの病棟での入院期間は忘れてしまいましたが、たしか一年近く入院が続きました。

 グループホームへの入所が決まるまで、退院の目処が中々立たない日々を過ごしているうちに、過剰適応とでも言うんですかね?

 どんどん性格が消極的になっていってしまったんです。
病棟の患者さんの中には、入院生活に対して不満たらたらな方も、少なからずいました。

 ですが、働かずとも三食昼寝、おやつ付きの生活が保証されているだなんて、ある意味貴族階級と変わらないのではないか?
と思っていた私には、不満を軽々しく口にするのは気の引けることだったんです。

 そうするとその内、起床時には肘から手指の感覚がなくなったかのように動かなくなる状態が、毎朝続くようにもなりまして。

 まあこれは母方の伯父や母も同じような手の悩みを持っていたので、単なる遺伝と向精神薬による副作用ではないかと思いますけども、まぁ……当時は困りましたよね。。。

 でも、当時ちゃんと担当の看護師さんや主治医の先生に、その状態を伝えられていただろうか? という疑問が残っています。

 今でも時たま症状はあるものの、悩まされる日が少なくなっていったのは、嬉しかったですね。

 でもこれも、一体何が原因だったんだろう? 調べてみたら、手根管症候群が一番近いようでしたが、素人の私には全く分かりません笑。

 ただこれからもやりたいことは山積みなので、自分の身体は大事にしないといけないな、と思います。。。

 もう向精神薬がないと眠れない私には、非常に難しいことなんですけどね笑。

 

 


 

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