嫌われようが、好かれようが

ここに書くことは多分、人によってはすでに当たり前のことだろう。

私は

認められたい
愛されたい
守られたい
肯定してほしい

否定されたくない
非難されたくない
嫌われたくない

そういうのをいつも周りに感じながら生きてきた

でも本当は

私が何かをする、しないに対して、
口に出すかは別にしていいと思う人もよく思わない人もいる
何をしても、支持者もいれば反対者もいれば、何も言わない人もいる

全員に好かれるように
誰にも嫌われないように
誰にでもいい顔をするように

そういうふうに人生で、自分のすること、言うことを決めていると

無難なことしかできなくなる。

耳障りのいい言葉しか言えなくなる
愛想笑いしかできない人になる

しかも、それでいてもなお、100%の人に認められることはできない

存在を消すような当たり障りのない言動を取っていれば、嫌われないけれど好かれもしない

それが人生ってどうなんだろう?

恐ろしいことに、私は27歳にしてこれに気づいた
今まで、何を決めるときも誰かの賛同を欲しがった
誰かが認めてくれれば、とりあえず自分の味方はいるのだと
そして、理解されなかったり反対されたり、非難されるととても落ち込んだ
「そんなのはだめだ」「もっときちんとしなければ」と言われれば、そうかだめなのか、もっとちゃんとしなきゃ、と思った。

なんて馬鹿みたいだろう。
なんと言われようと、私の人生なのに
好きにやればいいのに。

人に迷惑をかけなければ
人道に悖らなければ
それでいいの。

人の目を気にしてどうするの?

"あなたの感情はあなただけのもので
誰にも責める権利はない"

『違国日記』ヤマシタトモコ

To, ako sa cítite, je len vaše a nikto nemá právo vás za to obviňovať.



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