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オンライン人狼ゲームにおける「暴言」と「煽り」の文化についての考察——あるいは、一人のプレイヤーとしての嘆き


 人狼ゲームをプレイしている中で、「暴言」や「煽り」で嫌な思いをしたことはありませんか。

 僕が初心者のころ(今もまだ気持ちは初心者ですが)、暴言で嫌な思いをしたことがたくさんあります。それこそ「戦犯」だの「リア狂」だのなんだのと言われたことだってあります。そんなわけで、はじめの頃は「戦犯にならないよう気をつけないと!」と——そんなことを考えながら、指先がガクガク震えているのにゲームに参加したものです(苦笑)
 しかし、時間の流れとは人を変えるものでして。僕自身いつからか威圧的な言動を取ることが増えていきまして。今となっては二周くらい回って落ち着いていますが、一時期の態度たるや「素行の悪いプレイヤー」と呼んで差し支えなかったように思えます。

 さて、暴言のような威圧的な言動および態度は、多くの人が嫌いながらも戦術的な観点から使用されがちなものであります。そこで、「どうして人狼ゲームで暴言や煽りが有効なのか?」、あるいは「どうして暴言や煽りはなくならないのか?」について自分なりに考えたので、共有していきたいと思います。

 おまけとして、オンライン人狼ゲームにつきまとう「暴言・煽りの文化」について、自分の所感を(感情をたくさんトッピングして)まとめてあります。感想文のような中身ですが、よければご覧ください。

トピック1 どうして人狼ゲームにおいて暴言や煽りが有効なのか?


 暴言には相手の思考力を削ぎ落とす効用があると思います。
 これは僕自身が初心者のころの経験談でありますが、暴言を吐かれると「従わなかったせいで責められるのは嫌だ」とか、「もしかしたら自分が間違えているのかもしれない」とか、そんな後ろ向きな気持ちになって、相手の意見に従いがちだったように思います。
 とりわけ、参加しているゲームのレギュレーションにおける最適手を知らない初心者は、——「僕の観測している範囲では」ですが——暴言を吐くようなプレイヤーに従いがちであったように思います。

 ちなみにこの経験談を裏付ける記事として、こんなのを見つけてます。要するに、暴言によって他人の理性を削ぎ落として、感情的な行動を取らせることができるわけです。

トピック2 どうして暴言や煽りはなくならないのか? 

 オンライン人狼ゲームにおいて、暴言や煽りがなくならない理由は大まかに分けて二つあると思っています。
 まず、ネットの特性。オンライン人狼ゲームではSNSと同じように匿名で会話することができて、顔見知りになろうと(自分から望まない限り)長期的な関係にはなりません。ですから、少なからずバッドマナーな言動を取ろうと自分に被害はありません。
 こういった思想は「荒らし・リア狂」と言われている人たちの根底にあるように思います。

 もう一つは、人狼ゲームの特性。人狼ゲームはチーム戦ですから、自分の言動が自チーム全体の勝ち負けに直結することが少なからずあります。もちろん、他人が原因で敗勢に向かうことだってあるでしょう。
 そういった場面で「相手のミスを指摘する必要がある」という、ある種の正義感・義務感のようなもの ——「自分が相手を非難したい」という感情が隠れていることもあるでしょう——が発揮されて、相手の反省を促すために''強い言葉''を向ける人が一定数いるように思います。
 普段は「素行がいい」とされているプレイヤーですら、多かれ少なかれこのような思想を持っていることがあります。

 僕個人としては、「失敗した人に対してなら、ボロクソに言って反省を促してやろう」という姿勢が好きではないですが、ある程度は筋が通った言い分があります。だからこそ、暴言や煽りがなくならないのでしょうけど。

 人の数だけ思想・信念・矜持があるということなのかもしれません。

トピック3 「暴言と煽りの文化」についての私論

 さておきとして、僕はオンライン人狼、とりわけ短期人狼における「暴言と煽りの文化」はクソだと思っています。
 理由はシンプルに、人狼ゲームのおもしろさを損ねているからです。

 僕個人としては、「ゲームは楽しんでやるもの」と考えています。
 さらに言えば、できることなら自分だけでなく多くの人が楽しめた方がよいと考えています。本来、人狼ゲームは楽しい''遊び''のはずです。
 しかし、「暴言を吐かれて、辛い思いをしてまで人狼ゲームなんてやりたくない」と言い残して、人狼ゲームから離れていった初心者を少なからず見てきました。有名な固定ハンドルネームにしこたま怒られて、泣きながら相談しにきた友人だっていました。

 暴言や煽りによってプレイ人口が減ることもまた問題なのですが、それは「誰かが楽しめないゲームになっていることが一つの要因である」ということを忘れてはいけないと思います。
 (その人にとって)楽しめないゲームはクソゲーです。クソゲーを生み出す文化はクソと言うほかありません。そして、文化を形成するのはプレイヤー(人)のはずです。

 繰り返しますが、j人狼ゲームは楽しい遊びのはずです。
 我々プレイヤーがクソゲーにしている可能性を考えていかないといけないのではないでしょうか?

後語り 一人のプレイヤーとしての嘆き、あるいは——

 僕が長くプレイしていた国(サイト)は、とっくの昔に初心者が寄り付かないような荒れ地になってしまいました。
 たくさんの思い出の詰まった場所ですから悲しいですが、しかたのないことだと割り切っています。けど、ときどきこうも思います。「もっと初心者にやさしい国だったら、違ったのかな」と。
 あなたの住んでいる国はどうですか? 賑わってますか? みんなが楽しんで人狼ゲームをプレイできてますか?

 よければ、僕のTwitterに立ち寄ってあなたの住んでいる(あるいは、住んでいた)国のことを教えてください。懐古趣味ではありませんが、昔について語るのもたまには悪くないものだと僕は思うんです。

 それでは、気が向いたらぜひ。