秘密のおじさん

病床の母がぽつりと言った。

「あなた秘密のおじさんにそっくりになってきたわね。そんな感じだったわよ」

そういうものなのかな。隔世というか飛び石遺伝みたいなもんかな。

好きなおじさんで憧れている面もあったから、ゴールに導かれたような気もして嬉しくもあった。

「秘密のおじさん」とは、広島出身の母の叔父つまり広島の祖母の弟。

広島の焼け残った区画の迷路のような路地を抜けた雑居住宅の奥に隠れ住むように住んでいた。

だから「秘密のおじさん」と僕は呼んでいて、「西口のおじさん」というのが広島の親族の間での正しい呼称だ。

「秘密のおじさん」は学者肌というか、本ばかり読んでいる一風変わったひとで、僕の中のビジュアルのイメージはこれ。

もっともこのイメージは勝手に作り上げられたもので、本当のところは記憶にはない。

僕が高校に入って物理を学びだし、相対性理論や宇宙速度に鼻の穴を膨らましだしたころ、ある物理の参考書にガモフが紹介されていた。

これは読まずにはいられないではないか。

この物理の参考書はいまだに携行していて、物理の法則を思い起こし考慮する必要がある時には頁を開いている。

そしてどのような経緯だったのかは失念してしまったが、おかしなことに興味を持ちだした僕におじさんが喜んだらしく、ガモフの「不思議の国のトムキンス」を送ってくれた。

それはまさに手垢のついた古本で、それがまた嬉しかった記憶がある。その後も「秘密のおじさん」は亡くなるまで何かと僕に目にかけてくれた。

そんな隠された探究者のような「秘密のおじさん」に僕が似てきたと母に言われて、嬉しくもあったのだが少し気になっていた。

死期せまる母がなぜ突然そんなことを僕に言ったのだろうか。僕に叔父の面影を見たのは、無意識のうちの隠されたメッセージなのだろうか。

僕の下には妹と弟がいて、父や母の面影を残していて一見して親子だと分かる。僕は下の兄弟二人とは全く似ていなくて、というか異質であり、幼少のころから母に似ているといわれ続けてきたが、父に似ているといわれたことない。

母はその後合併症の影響で緊急オペを経たあと奇跡的な回復をした。とはいっても放射線治療をしていた癌が完治したわけではなく自宅療養するだけだ。

母は数日前に退院して実家に送り届けてきた。不思議なもので家に帰ると母は元気になり、よれよれしながら家の中をパトロールして、コンビニおでんを美味い美味いと完食し汁まで飲み干した。

その日は半日ほど実家で過ごし、久々に幼少の頃の写真を見たが、まるでよその子が紛れ込んで写っているように僕は異質であった。

母は被爆者ということもあり放射線治療に強い懸念を示し、もう思い残すこともないからオペも拒否していたが、なんとかそれらをクリアした。ひょっとしたらそれが母のレースの最終ラップだったのかもしれない。

最終ラップをふらふらになりながら回り、チェッカーフラッグを受けた母は家に戻ることができたんだな。

そしてこれからが完走を祝福されるウイニングラップであればいい。

「秘密のおじさん」の秘密は秘密のままでいい。

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