二人の王  アドヴェントの礼拝説教

2020年12月13日 アドヴェント第3主日礼拝

聖書 マタイによる福音書2章1~12節
説教 二人の王

1.クリスマス
 クリスマスは言うまでもなく、イエス・キリストのお生まれになった日であります。イエス様の誕生日です。イエス様の誕生日を喜び、祝うのですね。神の御子として。
 救い。十字架。復活。再臨、世の終わり、神の国。永遠のいのち。
キリスト教のすべてがここに込められているのです。

 一般に赤ちゃんが生まれることは、その家庭の喜びです。お祝いです。赤ちゃんが生まれて喜ばない人は、少ないと思います。昔は子だくさんのため、子どもを間引いてしまうという不幸な時代がありましたが・・・。いまも、貧しさのために子どもを必要としない。そのような家庭もあることです。毎日のニュースで見聞きするのは、子どもへの虐待、育児放棄、ネグレクトの親がいて、哀しい時代となっています。
 しかし、大多数の家庭では、赤ちゃんはいのちの誕生として喜び、感謝し、祝います。わたしたちも誕生の時を持っています。母の胎に宿り、10か月間養われ、母と一体となり、生まれるまでの間、今か今かと待たれたのであります。そして、生まれた時の喜び、感謝ですね。その家の宝であり、いのちです。

2.キリスト誕生のしるし 東方の占星術の学者
 聖書は、イエス様の降誕、生まれに関して特別なしるしが現れたことを記録しています。
 それは普通ではない、つまり特別なしるしがそこにあるということです。神の子の誕生なのであります。マタイ、ルカの福音書には、特別なしるしを示しています。ルカによる福音書では、洗礼者ヨハネが生まれる時に、高齢となったエリサベトと父ザカリアに天使が夢で現れたこと。その半年後に、天使ガブリエルがマリアに現れてお腹に聖霊によって赤子が宿っていることを告げます。そして、生まれた時にはベツレヘムの郊外で羊の番をしていた羊飼いに天使が現れ、救い主がお生まれになったことを告げるのです。その直後、天の大軍が加わって、神を賛美するのです。
「いと高きところには栄光、神にあれ、
 地には平和、御心に適う人にあれ」

 こうして、羊飼いたちは、ベツレヘムに行き、飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子イエス様を探し当てて礼拝するのですね。これがルカによる福音書に記されたしるしです。

 マタイによる福音書にも、キリストの誕生に関するしるしが記されています。
ヨセフに天使が夢に現れ、イザヤの預言が成就したことを知らせます。イムマヌエル預言ですね。そして、今日の聖書の箇所です。マタイによる福音書2章1~12節です。ここには、東からきた占星術の学者たちが登場します。お読みします。1,2節ですね。

 『イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」』

 占星術の学者たちとは、星を観測し、星の動きを通して世の中の動きを占うことを専らとしていた人たちです。学者とは、ほかの日本語の聖書の訳では「賢者」、「博士たち」とあります。ギリシャ語の原典は、「マゴス」です。そこからマジックとかマジシャンということが派生します。もともとバビロン、ペルシャで使われた言葉「マギ」でもあります。意味は、賢者、博士、教師、司祭、医師、占星術師、聖見者、夢の通訳者、魔術師などですね。
 今でいえば、医者であり物理学者、天文学者と言ってもよろしいでしょう。そのような、賢者であり博士たちが、星を観察し、その特別な動きを見て、確かめずにはいられなくなって、はるばるエルサレムまで来たのです。

 学者たちは、星を通して知った神秘、王が生まれるしるしを発見します。その王とは、ヘロデの子だと思ったのかもしれません。ヘロデの後を継ぐべき息子の誕生ですね。ヘロデ家とは違う別の息子が王となる。
 3節以下を読みましょう。
 「これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。」

  占星術の学者たちは、星を通して、どのような王を見たのでしょうか。王ならどこにもいたのです。ローマ帝国時代。イスラエル。東方においても王はいたでしょう。占星術の学者が星を通してみた王は、彼らがいままで見たことも経験したこともない「王」だったと想像します。だからこそ彼らは、はるばる星をたよりに、星のみちびきによって旅をし、その王を礼拝する心の底からの願望を持ったのでしょう。彼らを突き動かしたのは、今まで見たこともあったこともない、特別の王を礼拝したいという願いだったのです。
 そこに神のみわざが現れているのです。

 3.ヘロデとイエス・キリスト 二人の王
 クリスマスは、救い主の誕生です。すべての人にとっての喜びの知らせです。その知らせを神は天体、星を通して啓示された。しるしを現わされたのです。しかし、見るものによって、それは喜びではなく、悲劇となる。悲劇の始まりです。13節からのエジプトへの避難であり、16節以下に記されている、ベツレヘムとその周辺にいた二歳以下の男の子を一人残らず殺させたとあります。聖書は、その悲劇をも新しい意味をもって、そこから真の救いとは何か、喜びとは何かを示しているのです。この件については、後日取り上げたいと思います。
 
 さて、占星術の学者たちによってもたらされた王として生まれたイエスとヘロデとに関して、次のように言うことができるでしょう。つまり、「二人の王がいる」ということです。王なるイエス様、ヘロデ王です。平和の王と争いの王。わたしたちの周りには、目の前には二人の王がいます。一人は争いの王です。一人は平和の王であります。
 そこに、ふたつの世界があることを示しています。
ヘロデ それは、この世の王です。この世の力と悪、権力によって支配し、国民を搾取し、破壊と破滅のちからの象徴である軍事力を持ち、誇示するのです。それはヘロデの時代だけではありません。現代においても、日本や世界中のいたるところで、ヘロデという王をいただいているのです。権力、憎しみ、裏切り、圧政、権力、政治的な力、軍事力そういうものを背景にした力ですね。この世における専制君主、共産主義国の独裁体制、あるいは民主主義人民共和国と名の下での独裁者、委員長、大統領、総理大臣、そういう形での権力を握っている人たち。現代の王であります。政治家だけではなく、経済界、教育界、マスコミにおいて。色んな所に置いても権力を握っている人たちがいます。この世の王です。王のような権力と支配、チヤホヤされ、かしずかれ、逆らうことができない権力者です。
 彼らは攻撃的であり、危険です。権力欲があり、視野が狭く、わがままです。

 それに対して、イエス様、神の国の王として生まれます。この時には、お金も地位もなく、生まれた、誰からも顧みられない。赤子のためにきれいな産衣(うぶぎ)も縁がない。馬小屋で生まれ、飼い葉桶に寝かされ、羊と牛の家畜がイエス様を見守っている。そのような王です。平和の王ですね。善意と謙遜さ、柔和さに満ちています。攻撃的でなく、寛容です。親切、忍耐強く、愛に満ちておられるのです。こころはいつも平安であり、落ち着いており、優しく、人を責めることはありません。愛そのもの。
 ここには、世の喧騒も戦いもありません。霊の世界です。天地万物の創造者である神、その神の子の誕生としてはみすぼらしい光景です。そこに神の計画がある。イエス様は、神の国の平和と家族の喜び、命、いかす、善そのもの、弱さがここにあります。それは、まさに愛そのものでしょう。

 神は御子イエス様の誕生のしるしを示されました。
  預言により 神の言葉として、預言者によって語られた言葉です。
  天体により 神が創造された無数の星々の動きと輝きによって
  天使により 神の国、霊の世界からの使い、光です。

 クリスマスは、この世の悪の力と神の国、霊の世界のせめぎあいが始まった日です。そして、その結果、神の子が十字架につけられるのです。なぜ、神の子が死ぬのか? 十字架の死。この世の権力、栄耀栄華とは無縁、むしろ従うこと、低くされること、卑しめられることを選ばれた。神の子。神の国の神秘、奥義がある。
 しかし、主イエス様は死にて葬られましたが、三日目に甦られ、罪と死に打ち勝たれたのです。アーメン、ハレルヤ!
  聖書は言います。霊の世界があること。永遠のいのちがあること。この世の見える世界とは違う世界があること。イエス様は、その神の国、神の領域にあって来られたのです。
これがクリスマスです。


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