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最近どうしてるかわからない友人のこと

つぶやきログ

私の友人、もう随分長いこと連絡が取れてないんだけど博識で繊細で優しい優しい、氷でできたお菓子のような奴がいて、自然と知識を愛し、私の友人の例によって例のごとく、人間関係に絶望しただ穏やかに死ぬことだけが望みといったタイプなんだが、生きていたようだ。
ソーシャルツールに、ログインした痕跡だけを認めた。メールの返事も来ないからもう無理に話そうとも思わないけれど、ただ生きていたんだな、よかった、と思うばかりである。

彼女は感情の起伏がおだやかで、物静かで、よく他人にべったり甘えかかられては神経をすり減らし、身を細らせていた。それを知っていたので、私も自分が落ち着かない時期は話しかけなかった。最後に会ったとき、酷く人間関係に疲れていて、「私は最早君ですら私を傷めないと信じることができない」と、そういった、弱音を私に漏らしていた。五年以上付き合って、会ったのは僅かに二回。なにというではないがうつくしい友人であった。

英国式のユーモアと、スペインふうの語彙を持っていた。人間の激情や打算に触れては熱い熱いと怯え、植物やはちどりになりたがっていた。クラシック音楽に造詣が深く、いくつかのロマンス諸語を魔法のように操った。仕事や、家族や、人間の負の部分にいつか押し潰されてしまいそうな、年上の迷子だった。

また話したいと思う。そしてまた学びたいとも思う。私が躊躇するのは、彼女と離れていた間、彼女を脅かす人間社会で絶望せず生きている、あるいは幸福を見つけてすらいる私が最早彼女の友人足り得るほどには柔らかくも鋭くもないのではないかという一点である。

この文章、彼女が読んだら噴飯するかがっかりするんだろうなあ。よく宗教に祭り上げられやすい性質の奴であった。私が知るだけで三ヶ国語は話せてヴァイオリンも弾けるのに、アジの旬もパイナップルの成り方も知らなかった。フォリアという音楽を私に教えてくれたのは彼女であった。


これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ