高慢と偏見と捨て台詞

高慢と偏見(小説)は特に関係ないです。

SNSみてると「専門家vs無知蒙昧のやから」みたいな構図によく出っくわすのだが、側からやりとりを聞いている限り、「専門のことしか知らないやつ」vs「専門のことしか知らないやつ」が一番多い。

基本的に人間は自分の知っていることやできることを知らなかったりできない人間をバカだとおもう傾向にあるので、一つ一つを切り取るとけっこういいこと言ってたりするのだが、全体を通してやりとりを眺めていると
「バーカ!」
「お前のほうがバーカ!」
になってしまい、ものすごく不毛だ。

そもそも人間は全員自分の言いたいことも相手の言っていることも基本的にはわからないので、「つまりあなたがこう言っているのは、この点を懸念してるんですね?」とか「あなたがこう言ったのはこの前提を知らなかった上でこういう流れからこう言ったんですね?」というのを確認しあう必要があるのだが、ここの前提を擦り合わせる作業は平気で2〜3時間かかる上に、SNSって不特定多数にむけて「発信」するためのプラットフォームだから、「一対一の会話」にはぜんぜん向かないんだよな。

こういう時見ている側からすると、「あわわわわ」となって、「俺に仲介をさせてくれ!!!」などと思ってしまうんだが、この「俺に仲介をさせてくれ!」も大概支配的な欲求で、結局私が人が喧嘩してるのを見たくないというだけのことなんだよな。
家族で言い合いになる時に私がやりがちな傾向として、「相手の言っていることから気持ちを推論して先回りしてしまう」というのがあって、
これをやると相手がその場では「そう!そのとおり!」と言ってくれるんだけど、その時点で相手の「まだ言語化できていないもやもやした気持ち」を私が「規定」してしまうことになって、相手がそこに引き摺られてしまうことも多いのでこれはよくないとおもってる。

その上で、私が喧嘩を見たくないという個人的な欲求の上で、言いたいことがあるんだけど、捨て台詞って本当によくないよ!
特に、捨て台詞でそれまでの会話をぜんぶぶったぎったり、相手の一番傷つく言葉を選んで発するやつ!人間関係の全てを破壊するよ!

もちろん、面と向かって言い合ってたら話にケリがつかなくて、自分も相手もまだ怒ってるから「もういいよ」とか言って帰っちゃう、みたいなパターンはあるとおもうんだけど、SNSでは「これは話ができそうにないな」と思ったら返信やめるだけで済むんだから、そこでみんなが見えるところで「話つうじないな」とか、返信欄じゃないところで「やってらんねえよ」とか言っちゃうの、みんなに向けて「俺はバカの相手してる暇はない」ってアピールする気持ちがないとはいえないと思う。
それはねえ、怒るのよ。

最後に一番相手が怒ること言って去るのもやめたほうがいい、これをどうしても言いたくてやっちゃう人本当に多いんだけど、これをやるんだったら今までの人間関係がぜんぶ壊れる(これは対話の相手だけではなく、リアルなら他の友達や知り合い、SNSという広く誰にでも見られる場所でそのアカウントを見ているすべての人という意味)のを覚悟しておいたほうがいい。
そういう話し方をする人なんだ、ってみんな思う。
本当に人間関係を悪くする。

「捨て台詞」って、すこしマッチョな、かっこいいものとして、あるいはやけっぱちな仕草として、自傷的なものとして、テンプレート的に存在してしまっているとおもうのだけど、基本的に捨て台詞を言う、ということ自体が人間関係をやる上であまりよくない。
相手をおもいきり傷つけたいという欲求と相手に嫌われたいという欲求を同時に持っている人とかもいるんですけど、自傷に他人を使っているんだよなあ。道具として使われてきもちいい人はあまりいません。

また短文SNSが捨て台詞と相性がいいんだ。
ポツっとそれだけ呟いちゃえば済むからさ………。

捨て台詞をやめよう!丁寧な言葉選びをしよう!できれば無用な喧嘩もやめよう!喧嘩売られたからっていっても買いかたってものもあるんだぞ!
私が言いたいのはそれだけです。



これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ