「よいこの君主論」のすすめ

よいこの君主論。
今日読んだタイトルそのままの題名である。
いやはや、本当に酷い。これは褒め言葉だ。

これは、お子様がたを将来絶対君主として君臨させたいお母さまお父さま、
絶対君主として君臨するために日夜努力を続けているお子様がたのために、
競争社会で覇を唱えるために必要不可欠と思われるマキャベリの君主論を楽しくわかりやすく解説してくれる、非常にありがたい本である!
うそつけ、絶対子供向けじゃないや。

・君主にあらずば人にあらず

ページをめくると、まずこんな一言が目に飛び込んでくる。引用しよう。

「よい子のみんなへ

 この本では、クラスを制圧するために役立つ知識や、下々の者どもの
 心理などを分かりやすく解説しているよ。」

しょっぱなからこのジャブである。
開始三行で。
総ルビで。
下々の者どもって。
この部分だけでもいいから読んだ方がいい。「民主主義ってなんだったっけ」という疑問が頭の隅を駆け抜けるが、躊躇してはいけない。この本は君主論の解説であり、君主とは遥か高みにて民衆を見下ろす立場にいるのだ。
本文中でも常にこの調子で、民衆は徹底的に貶められる。「愚鈍」「凡百」「下賎の民」といった具合である。

物語は、プラトンや論語や般若心経のような、由緒正しい対談形式で進む。
クラスを支配し君臨するために日夜努力を続けているが、いまいち伸び悩んでいる「たかしくん」と「はなこちゃん」が、「2002年に目立小学校で実際に起こった、クラスの覇権争い」(原文まま)をテキストに、「ふくろうせんせい」から君主たるものどうあるべきかについて教えを乞うのである。
先ほどの「よい子のみんなへ」の次のページには保護者向けのページがあり、それにはこのように書かれている。

「本書は小学生の子供たちがクラスで覇権を握るための分かりやすい手引書です。子供たちは楽しみながら、クラスを制圧する方法を学ぶことができるでしょう。」

クラスの制圧とは何か。ただでも1クラスに20〜40人はいる子供達が一斉に覇権争いを始めたらどうなるというのか。考えてはいけない。この小学校は君主論時空に飲み込まれた魔境であり、生き馬の目を抜く大おともだち時代を迎えているのだ。

・何でお前がそこにいるんだ

「君主論」自体の解説に関しては、たかしくん、はなこちゃん、ふくろうせんせいという3名の対話形式で行われるのだが、ストーリー部分に関しては違う。目立小学校5年3組「ひろしくん」を主人公に、様々な小学生たちが覇権争いを繰り広げる模様を描く一大叙事詩である。
登場人物の簡単なプロフィールの絵入り紹介が何頁か続くのだが、もちろん全員小学5年生で、全員10歳だ。
10歳の筈だ。
………………………………見えない。
アラサーにしかみえない。ひらがなで書かれた「まあやちゃん」や「まなぶくん」といった可愛らしい名前の下の(10さい)が、あさりの味噌汁で砂を噛んだ時のような強烈な違和感をもって襲いかかってくる。
プロフィールにしてからが「雪上戦闘を得意とする」「クーデターの機会を虎視眈々と狙っている」「悪逆非道」と、とてもではないが人間性を信頼するのが難しいような言葉が延々と並び、しかも挿絵では遊び半分にアシカの脚をもぐシャチのような凶悪な笑みを浮かべているのである。悪意しか感じない。この作者は小学生になんか恨みでもあるのか。
その中でひときわ異彩を放つひとりの男子を紹介しよう。
その名も「りょうくん(10さい)」かなり運動が得意な男の子であり、トップとまではいかないがそこそこの強さである。ただし裏切り癖が有名で、ちょっとウマい話があるとすぐ鞍替えをしてしまうので注意が必要だ。そこを巧く操れることもあれば、予期せぬ裏切りによって膝を折ることにもなる。隆々、前髪までキッチリと後ろになでつけてひとまとめのお団子にまとめたりょうくんの姿は、

呂布かい!!!!!!!!!!(註1)

なんでお前がそこにいるんだ!!!!!

主人公であるひろしくんは、彼に名馬を贈って裏切りを促すとプロフィールに描いてある。小学生の贈る名馬ってなんだ。そうするとひろしくんは李粛(註2)ということになるのだが、彼が主人公で大丈夫なのか?本当に?

・行事のすべてが壮大なギミックになる

これはよいこの君主論であり、あくまでも舞台は小学生の生活の中にある。昼休みの遊び方、遠足、ドッヂボールの大会、放課後の楽しい寄り道や公園の遊具など、日常的で平和的で牧歌的な行事のすべてが求心力を発揮し、他グループを陥れ、人材を引き抜き、血で血を洗う戦争の道具になっていく。そこに友情はなく、優しさはなく、まさに食う者と食われる者、そのおこぼれを狙う者。牙を持たぬ者は生きて行かれぬ暴力の組。あらゆる悪徳が武装する5年3組は覇権戦争が産み落とした目立小学校のソドムのクラスであり、つまり、むせる。(註3)
そこまでやるかという非合法スレスレのクラス内カースト樹立戦争における駄菓子屋さんの既得権益って?ふくわらい勝負って一体なに?ぶらんこ遊びとすべり台における下克上システムとは?
説明できるとも、そう、マキャヴェリズムならね。
たくましくクラスを統一していくひろしくんの姿。
立ちはだかる最大の敵、「雪の女王」こと「ハイエナ」りょうこちゃん。
春の行事が伏線となり、秋の行事の趨勢を見守り、
子供達のひたむきな姿に、あなたは必ず頭を抱え、将来が心配になること請け合いだ。

よいこの君主論 (ちくま文庫) 架神 恭介 https://www.amazon.co.jp/dp/4480425993/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_sLTcBb76VXP8A 

・明日にむかって逃げ切れ

さて、君主論とは1532年にニッコロ・マキャヴェッリというイタリアのひとが出版した本で、フィレンツェのロレンツォ・デ・メディチ2世のために書かれた本である。当のロレンツォさんはその頃流行していた新プラトン主義とイエズス会的な「ノン・シャンランス」、つまり、「何事も努力せず怠惰で気怠げであり、それでいてなんでもできるということが理想的な貴族のありかただ」という風潮に飲まれて、お金儲けは悪だとおもい、家計簿をきちんとせず、結果身代を傾かせた人だが、それはあっちに置いておこう。
君主論でいう君主とは、人の上に立つ者のこと。適切な資質とは何か、どのようなタイプのリーダーが世の中にはあるか、国家を預かる者としてのノウハウを26章に分けて丁寧に解説したこの本は、友軍を求められた場合どのような対処をすればよいか、民衆をどのように扱えばよいかを具体的に記した実用的な本なのだ。
ビジネス書などにも多く引用され、「マキャベリに学ぶリーダーシップの発揮」みたいな題名の本が、書店に行くとたくさんおいてある。
今回の「よいこの君主論」も、そういった君主論を読むためのガイドブックのようなものと思ってさしつかえないだろう。


ただ、ひとつ問題がある。君主論はあくまで「君主」、しかも本当の国王ではなく実益を握る諸侯僭王のために書かれた本であり、内容は策略、計略、裏切るときの適切なタイミングなど、他者との関係について複雑きわまる腹のさぐりあいを国益のためならば躊躇なく行うべきだとするものだ。
そして「よい君主」の条件として、「決断はすばやく、そしてまちがえてはならない」ということの重要さを何度も何度も繰り返し伝えてくる。
でも大概の人間そんなに面倒くさいことはできないし、ゆっくり決断してしかもまちがうのだ。これを読んでその気になって、よしやったるぞ!と思ったところで、結局のところ惨敗して悲惨な結末を迎えてしまうだろう。
市井の民草である私にとって、
最も尊い君主論の教えはなにかと聞かれたら……


私は王様じゃないんだなあ、ってことくらいかな。
明日もこきつかわれにいくぞー!

註1:
呂布。字は奉先。
中国後漢末期時代の武将。「三国志」の登場人物であり、コーエーゲームをプレイする皆様にはおなじみ。
名馬を贈られて養父を裏切り、女性関係でさらに裏切った先を裏切った、裏切り者の代名詞。
とても強かった。

註2:
歴史書「三国志」を元に書かれた「三国志演義」という小説の中で、呂布に馬を贈ったひと。贈られた馬は赤兎馬と呼ばれる最高の馬で、古代中国のフェラーリ。いろいろあってパっとしないまま死んじゃった。

註3:
1983年から1年間放映された、「装甲騎兵ボトムズ」第3話の次回予告の煽り文句。
原文は以下

食う者と食われる者、そのおこぼれを狙う者。牙を持たぬ者は生きて行かれぬ暴力の街。あらゆる悪徳が武装する、ウドの街。ここは百年戦争が産み落とした惑星メルキアのソドムの市。キリコの体に染みついた硝煙の臭いに引かれて危険な奴らが集まってくる。
次回、『出会い』。キリコが飲む、ウドのコーヒーは苦い。

これはおひねり⊂( ・-・。⊂⌒っ