天国と地獄と主体性

避けられない不幸や困難を何かの罰とは思わないことってけっこう大事だ。

宗教とか信仰とかには関係なく、ごく自然に「神様」という言葉(あるいはそれに類する言葉)が口から出るような状況がある。それがわからない人とは付き合いたくない。

「もう若くないな」とか言ってる自分より若い人に対して「まだまだ地獄があるぞ、そんなもんじゃないぞ」と言いたい衝動にかられるのはなぜか。

おそらく自分を救いたいから、あるいは自分の地獄から現世的な報酬を得たいのだろう。

本当は伝えるべき一片の真実もそこにはあるはずなのだが、会話の中でそれを正しく伝えることは不可能に近い(そこに気づかないと恥ずかしい説教をしてしまう)。

小説や音楽や演劇や詩や哲学や漫画や絵画やそれらと同種の動機で創られるその他の何かや純粋で楽しい雑談が正しく伝えてくれることがある。

「主体性」ほど生きるにつれて理解が変わっていく言葉はない。

若いころに思っていたような意味での主体性など不可能だと思い知らされた後にどうすればいいのか考えるうちに、やはり主体性が重要なのだと思うような意味での主体性。

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