エイジング
「自分も年を取ったなあ」とある時期思っていたのが、5年後に「あの頃年を取ったと思っていたけど、年を取るというのがどういうことなのか今初めてわかった」みたいなことを思う。
そのまた5年後にも同じことを思う。
「年を取る」ことの実感は、自分以外の人が年を取ることによってもたらされることが多い。
思春期の頃に恐れていた「年を取ること」は、いまだ到来していない。演歌を聴くようにもなっていないし、私服がゴルフウェアにもなっていない。カラオケも好まない。
演歌を洋楽ロックに、ゴルフウェアを無印良品に置きかえれば到来していないことはないのかもしれない。カラオケは年を取ることとは無関係な事象になった。
年を取れば平気になると思っていたいろんなことは、今も平気ではない。平気を装う技術が身についただけだ。それに本当は、平気を装う技術もそれほど身についていない。
年を取ると尊敬する人や教えを乞う対象に自分より若い人が加わるということは、なぜか想像しなかった。だから枯渇しない。その意味での希望はたぶんずっとある。
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