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手紙を書くということ

自己表現の手段として自分には手紙が一番なじむと思っていた。人と直接会うことが減ってきた今、なおさらその確信を強めている。どんなにメールやラインが便利になっても、こんなに没頭できる伝達手段ってほかにあるのだろうかと思う。
もともと万年筆で文字を書くのが好き。字は癖字でお世辞にも達者ではないが、万年筆は自分の気持ちをリードしてくれて、思いもよらぬ言葉が出てくる。
筆の滑り、インクの色、便箋の紙質、封筒の形状、切手の配置と色合いなど考えながら、一つの手紙が完成していく。こんなに贅沢な時間は他では得られない。
そしてなにより楽しいのが、手紙を投函した後、相手に届くまでの手紙の旅時間。そろそろ着いた頃かなあ、封筒はもう切られたかなあ、どんな風に読んでいるのか・・など思いを馳せる。
とはいえ、手紙は誰にでも出せるものではない。まず、返事を書かなきゃと負担を感じてしまうような人には出せない。大した意味のない手紙遊びを一緒に楽しんでくれることが絶対条件。こんなことを面白がってくれるのはごく数人に限られる。このステイホーム期間中にこの数人に何通も書いてしまった。その人達は、返事はいらないということを理解してくれている。ただし、いらないといっても、いつか忘れたころに手紙を届けてくれる。この距離感がなんとも心地よいのだ。
目下、気に入っているのが、日本橋の老舗「榛原」の蛇腹便箋。俳人からの便りでこの存在を知った。探しに探して、この便箋が自分でも求めることができることを知ったときのうれしさといったら。書き始めると誰かが急ブレーキをかけてくれないと止まらなくなるエンドレスの思いを受け止めてくれる便箋・・。こんな現代風の巻物のような便箋があるなんて本当にすごい。
これはきっと手紙の神様からのプレゼントだと思って、せっせと手紙を書いている。

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