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ミナミ狂騒曲

20代最後、周りが少しずつ人生を前に進めているのを横目に、自分は明らかに停滞していた。それは自分の心の持ちようであると今なら分かるが、当時の自分は混乱していた。自ら望んだことをしてきたはずなのに、徐々に軌道がズレていく。そして、なにが望みかも分からなくなっていた。

変化が必要だった。その時に、助けを求めたのが酒場だった。巷でよくある話だろう。多分に漏れず、早速、落ち着いた街から一転、ミナミの喧騒にあるシェアハウスに引っ越したのであった。

当時の会社内ではあまりそういった選択をする人はいなかった。保守的な業界、保守的な人生、上司に1on1の場で「あとは結婚だけだな!」と言われる始末。(今だと、セクハラに当たるのだろうか。)それでも、自分としては至極前向きな、希望を持った転居だったのだ。

そこから徐々に人生が変わりだす。(狂いだす?)会う人が変わり、価値観が徐々に変わっていく。手っ取り早く人生を変えるには、やっぱり住む場所の変化だろう。習慣も変わり、付き合う人も変わる。ミナミはそんなきっかけをくれた街だった。

そんな通い慣れた酒場が終わろうとしている。

嫌な予感はしていた。ホテルは閉まったし、宴会場も営業していなかった。周囲は観光客が増え、目の前のホテルも外資系に買われた。年内で飲み屋街も営業を終え、ライブハウスも来春には終わるらしい。1955年から、お疲れ様でしたといえばそれまでで、開業から70年、その人生に幕を閉じるのだ。

70年、どれだけの人と人の交流があったのだろうか。残ってほしい人もたくさんいると思うが、時は残酷で、もう戻らない。新陳代謝が必要なのは世の常なのだ。資本主義の真価はそこにある。頭ではわかっているが、物寂しい。

きっと、これもタイミングだったのだろう。何かに導かれるように6年前、どっぷり街と交われたからこそ、今の心境がある。そして、そこから6年が経ち、また変わった自分に出会えている。それは、あの狂騒があったからだ。

そんな懐かしさに浸れた週末だった。

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