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侵略するやつされるやつ

 モノカキの端くれなので、たまには原稿仕事があったりするのです。とはいえ、月一のアレだったりするのですが、今回は珍しく筆(キーボード)が進まない。こりゃ仕事明けで家にこもって一日かけて書かないといけないな、映画見たいけど、今回はあきらめよう……とか思っていると、その気持ちが原動力になったのかどうか、あっという間に書きあがってしまったのです。この暖かな午後を、ずっと家で過ごしていいのか? いや、現状のバタバタはさておいて、行ってみよう! と京都みなみ会館へ。シネマートのシリアルキラー映画祭、シネ・ヌーヴォの奇想天外映画とあちらこちらの映画館で珍映画の特殊特集上映が組まれている中、みなみ会館でもボイドサウンド映画祭・キングオブカルトと称して、こだわりの音響設計による古今のカルト映画を特集上映。その日はジョン・カーペンター監督の『ゼイリブ』『ゴーストオブマーズ』の2本を上映。『ゼイリブ』は2年ほど前に出町座で見たので、これで二度目。

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 流れ者の肉体労働者が、社会に潜伏し人類を洗脳している宇宙人の陰謀をたまたま暴く。宇宙人は富裕層と結託し、貧困層には容赦ない、というのはなんだか公開当時よりも現代の方がしっくりくるような内容。一流のB級監督ジョン・カーペンターの、低予算を逆手に取ったような小規模でゆるい作品。でも見ていくうちに次第に物語にのめりこみ、恐るべき陰謀と主人公の活躍に見入ってしまう不思議な魅力の作品。サングラスをかけると宇宙人の姿が見えるというネタは『シルバー仮面』のようで、それをかけるかけないと路上でプロレスをしてしまうシーンはやはり長い。でもその長さも、全体を包む緩さも心地よい。暴力で解決するウルトラQといったテイスト、最後の一発ですべてが決まり、物事が大きく変わっていくラストも、『エスケープフロムLA』に通じる。要はメディアに踊らされるな、真実を見て自分を信じろ、ということなのか。

 『ゴーストオブマーズ』は2001年公開の作品。20年前、すでにCGが映画の特殊効果の主流になりつつある中、極力それに頼らずミニチュアと特殊メイクで火星のドタバタを描くカーペンターに、職人の意地のようなものを感じる。

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 火星のとある町に無人列車が到着、生き残った保安官の回想で物語が進んでいく。知性のかけらも感じさせない、ひたすら殺戮を楽しみにしている火星先住民と留置場に閉じ込められた囚人、犯罪者と保安官が手を組み、危機を脱していく展開はそのまんま『要塞警察』で、さらに言えば、西部劇のテイストでもある。『ゼイリブ』も主人公が町に流れつくシーンから始まるので、あれも西部劇のフォーマットに侵略SFをかぶせたのではないか、と思う。数々の傑作西部劇を手掛けたハワードホークスの『遊星よりの物体X』をカーペンターがリメイクしたのは必然だった。

 異人種の交流やノンマルトの使者なんてなんてくそくらえ、先住民だろうが何だろうがとにかく宇宙人は野蛮で悪いからやっつけろ! という清々しい主張。カーペンター自身の手によるゴリゴリのロックに乗って展開されるので、単純に見ているだけで楽しい映画。ボイドサウンドのこだわりの音響で、低音がズンズンと響く。『ゼイリブ』はベースのヴンヴンヴンという音が決まっていた。

 気持ちよく火星人が吹っ飛び、地球人の首はすぱすぱと切り落とされる。未来のお話なのに、ネットやコンピューターを用いず、使うのはショットガンとダイナマイト、というのもこの作品がSF西部劇だから。小難しいことはいい、どいつが悪くてどいつが良いのか、分かりやすく見せてくれる、これぞ映画の本質なのでは、と思う。ラストの『生き延びようぜ!』からの『本当の戦いはこれからだぜ!』エンディングに悲壮感はない。


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 二本とも『悪い宇宙人やっつけろ!』な内容でこの組み合わせは大当たり。満たされた気分で帰路につく。気分がいいので、『ゼイリブ』のアメリカ、フランス版ポスターを購入。どっちもかっこいい

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 この日、中学時代からの友人と遭遇。この手の映画をみなみでやると、高確率で出くわす。中学時代から好みが変わっていないのだ。映画が終わり、自転車で帰宅しようとする友人だったが、パンクしており、結局車に乗せて家まで運んだ。偶然とはいえ、今回の京都行はこのためだったのか。

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