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コロナと恋愛

【はじめに】今日はいつもとちょっと切り口が違うんですが、「コロナと恋愛」というテーマで一つの読み物として皆様にお届けしようと思います。よって、noteの値段はあえてつけず、無料で公開します。読み終わってこの文章に何らかの価値を感じた人だけ良かったら「サポート」で自由な価格で評価してください。どうぞ宜しくお願いいたします。


実は僕は結構「恋愛マンガ」を読みます。

で、読了後、いつも思うのが「「恋愛」ってなんだろうな」ということ。

今読んでいるのが「モブ子の恋」っていう恋愛マンガなんですが、主役の男女がとにかく初々しいんですよね、恋愛に対して。女の子は全てに内向的、内気な女の子で自分に自信がない、他者が「こう思っていたらどうしよう」というネガティブな思考に囚われていて自分が人並みに恋なんてしていいわけがない、と思っているわけです。

男の子もネガティブではないんですが恋愛経験がなく、そもそも「恋愛というものが何なのか」がよくわかっていないので相方の女の子を好きであることにすら最初は気づいていなかった、という設定なんですね。

恋愛マンガの王道、っていうのは結構こういうの多いですよね。

互いに純粋が故にお互いのことを誤解したり、自分に自信が持てなかったりしてすれ違う、それを見て読んでいる人は「大丈夫だよ!告れよ!そこは!」とソワソワしちゃうわけです。

そういう青臭さを感じたいから40歳過ぎたおじさんである僕は割と定期的に恋愛マンガを呼んだりするんですね。「君に届け」とか作品として凄い好きです。

大抵はネガティブな女の子主人公になぜか感情移入しちゃう。そう、男の子じゃなくて女の子のほうなんです。なぜだかはいまだにわからないんですけど。

ただ、もともと僕は自分に自信とか全然ないんですよね。コンプレックスの塊でしたから。

中学時代はずっと中学受験のストレス太りから開放されずに肥満児でいたし、男子校生でしたから3年間ほとんど女の子と会話すらしたことなかったです。電車に乗ってても女子校生が集団で乗ってくる駅とかは正直恐怖でしかなかった。太っている自分、オタクメガネな自分をみんなが笑っているような気がしたんです。

高校生になって背が自然に伸びて体重はそのままだったから一気に普通の体格になったんですけど、コンプレックスはそう簡単に拭えるものじゃないんですよね。どこかで「どうせ自分なんて」っていう思いがあって女子校の文化祭に仲間と行ってグループ交際みたいなのを何回か経験しましたけど、結局手すらつないだことがないまま高校生活後半まで行きました。

なんかこう・・当時は勝手に「恋をする資格なんて無い」って思ってたんですよね。

今考えると資格必要なのか?って笑っちゃうような感じですけど、そうは言いつつも当時の自分は風呂に入ってようやく三段腹にならなくなった自分のお腹を見ても何も自信が湧いてこなかったんですよね。やっぱり「自分なんて」の呪縛からはなかなか離れることができずにいました。

自分の中で物心ついて「あー恋愛してるわこれ」って思ったのは自動車教習所で仲良くなった女の子で、「一緒にいたい」とか「一緒にいて楽しい」っていう気持ちが初めて湧いてきた最初の「恋愛」でした。

その時、仲のいい男の友人とその子と3人でずっと仲良く教習所に通っていたんですね。家にも何度も遊びに来てくれたし、本当に凄いイイヤツだったその男の友人を交えて遊んでいる時に「あ、3人でいたくない。2人がいい」と思ったのもその時が初めて。それくらい「あー好きだな、恋してるな」って思ってたんですねその時は。「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」っていう映画を家で3人で見ていて、その男の子が途中で帰った後に告白して付き合い始めました。

いやもう、ほとんど初めての「彼女」でしたから全てが新鮮で毎日が今までの世界とは全く別物に感じました。空気や感じる匂いや音までが違って別の世界に紛れ込んだようなおかしな感覚にとらわれ続けていたのをいまだに覚えています。

でも大学に入って僕が一人暮らしを始めてなんとなくその子と距離が離れて「家においでよ」と誘っても地元から出たがらないその子とは結局すぐに会わなくなって、大学に通いつつ日曜日だけ行っていた教習所で最後にその子を見た時にはその子は他の男と一緒で。あーなんかこれ振られたんだなあ、と思ったんですけど正直あまり失恋した、っていうショックはなくて。

あれだけの熱量で「恋」っていうのを経験した割にはなんだかあっさりと終わったのが凄く記憶に残っています。

その後に大学でまた好きな女の子ができて、これもまた強烈に好きになったんですけど色々あって1年で別れて、別の子と付き合って・・って時に「あれ?恋愛なんてする資格ないと思ったいたはずなんだけど」とある時にふと思ったんですよね。

この時にようやく恋愛はどうやら資格制度ではないらしい、と思ったわけです。

その後、何回か他の女性とお付き合いをして、いくつかの修羅場を経験して、自分に幻滅したり絶望したり女性不信になったりを乗り越えて、最終的に今の奥様に落ち着くわけですけど、ここで思うのが動物における「恋愛」っていうのはいわゆる「種を残すための生殖に結びつく発情行為」って捉えてしまうと凄くストンと腑に落ちるんですよね。

なぜかと言うと、そうじゃないと辛い恋愛をしてこっぴどく振られたのにいつの間にか他の人を好きになっている、っていうこのメカニズムは理解し難かったりするんですよね。

でもそう考えてしまうとなんだか自分のここまでの歩いてきた道がとても生臭いものに感じられちゃう。それはやっぱりちょっと嫌だな、とも思う。

大学時代後半に、いきなり時当時付き合っていた彼女から「タクチとさよならしようと思うの」と言われてわけもわからずパニックになって、当時彼女が家庭教師をしている家の前まで豪雨(←雨男)の中行って、ビショビショになって待ってて出てきた彼女に「別れたくない」と言ったら無言で立ち去られて悲劇のヒロイン(←なぜか女役)気取りでそのまま高熱出して寝込んでたら、当時の後輩で同棲していたカップル二人に看病してもらう羽目になり、カップルの女の子が彼女と仲良くて電話でその彼女から「雨の中来られて正直引いた」と言っているのを高熱の中で聞いて聞いて「あ、これもう死のう」と思ったのがただの発情期だったとは思いたくないわけです。どうしよう思い出したら死にたくなってきた。

でも結局この失意のどん底に陥っていた自分を助けてくれたのは「お試しでもいいので付き合ってあげてもいいよ」と言ってくれた後輩の女の子で、結局すぐ付き合ってでも別れて・・っていう・・こう・・なんていうか何もうまく行かないままただ楽しい時間の後に辛い時間が来て、その後にまた楽しい時間が来て、また辛い時間が・・っていうエンドレスな恋愛のループにハマりまくって大学院を含めての6年間を過ごしたわけです。

40歳をこえた今、当時を振り返って「恋愛とは何だったのか」と思えば、結局は「若さに任せたただの発情期」と見ることもできなくはない。でもそう見たくないからこそ「青春」っていう何だか収まりのいい言葉でごまかしちゃいたくなる。

でもきっとみんな多かれ少なかれそうやって「恋愛」を経験してきたんじゃないかな、と思います。

80歳になったって恋愛する男女はいるし、死ぬまで恋愛なんてしない、と決めて生きてる人もいる。それは全部自由だし、だからこそ「青春は若いものの特権なんかじゃない」って声を大にして言ってもいいと思う。

でもそうなると前提が崩れるんですよね。

恋愛を「発情期」として捉えるとすごく失礼な言い方になるけれど生殖機能が無くなった男女が恋愛をすることは自然の摂理、動物の摂理として「おかしい」ってことになっちゃう。もう子供を埋めない、子供を作れなくなった人間以外の動物のオスやメスが「恋愛」をするのかがよくわからないで言っているんですが、少なくとも人間には当てはまらない。

特定の異性にドキドキしたり、その人のことをもっと知りたい、というのを「恋愛」として定義していいのであれば年齢や生殖能力など関係なくいつだって人間は多分恋愛をしているように見える。

そうなるとせっかくストンと腑に落ちていた「恋愛」の定義が何だかわからなくなってしまう。

でも、思うのは「それでいいのかもしれない」ということ。恋愛というものをただの生殖行為に紐づく発情期、と思うのにはやっぱり抵抗があるので「よくわからないけど楽しいし辛いもの」とあやふやに定義しておくくらいが丁度いいのかもしれない。

この間、ツイッターで流れてきた誰かのツイートに「好きだと思っていた相手と会えなくて寂しいのでサヨナラを切り出そうと思います」というのがあったんですね。「会えなくて寂しいのでサヨナラ」っていうのがその時は僕にはちょっとわからなかった。

今、コロナウイルスで外出自粛をしている若い男女も決して少なくないと聞きます。「若い奴らが感染を広げてる」とか年配の人がギャーギャー言っているけどゴルフ行ったり山登ったりパチンコ行ってる年配者も決して数では負けてないと思う。

「モブ子の恋」に出てくるような若くて真面目な二人はきっと外出自粛がかかればそれを真面目に受けてきっと家にいるんだろうと思う。そうなると恋愛マンガの王道であるキャンプも花火大会も行けなくなってしまう。

そういうシチュエーションで「恋愛」を描けるのか?と思うとなかなかに難しいものがあると僕は思う。顔を見て、話して、会って、触れ合って、それら全てを経て完成するのが「恋愛」なんだとしたら「会えなくて寂しいのでサヨナラ」は普通に起こりうるんだと思う。

恋愛が成り立つためにはいくつかの条件が必要になる、ということになりますよね。「資格」は必要ないけど「条件」は必要になる、ってことです。

遠距離恋愛の成就率が極めて低いのはこれと同じなんだろうなあ、と僕は思う。年齢も、生殖能力も、性別さえも恋愛には関係ないのかもしれないけど、「会って触れ合う」が無くなったらもしかしたら「恋愛」は成り立たないのだとしたら。

今この瞬間にもコロナのせいで消滅する「恋愛」もあるのかもしれない。

これをどうとらえるべきだろうか。

多くの人が恋愛から結婚に進み、子供が生まれ、恋愛がいつしか別のものに変わる。

子育てに悩み、夫婦関係に悩み、恋愛の気持ちなどどこかに行ってしまい、いがみ合って別れてしまう夫婦も決して少なくない。

3組に1組の夫婦が離婚を迎える、なんていう話を耳にするし、今は「コロナ離婚」なんて言葉が流行してしまっている。恋愛が恋愛で無くなるタイミングが生殖行為の先にある「出産」や「育児」だとしたらやはり恋愛は生殖行為までの紐付けだった、という見方もできてしまう。

子供がいない夫婦を何組か知っているけど実際にとても仲が良い夫婦が多いし、未だに「◯◯ちゃん」「☓☓くん」と呼び合う恋愛関係そのものの夫婦も多い。

恋愛を生むトリガーと恋愛を終わらせるトリガー、そのどっちにも「生殖行為」があるのであればやっぱり気持ちはなんだかゲンナリどんよりしてくる。

「子供が生まれても恋人のままでいようね」と約束し合った夫婦でそれが成し遂げられている数は凄く少ないと思うから恋愛は所詮「幻想」であり、後にやってくる「現実」にかき消されてしまうのであれば、いつまでも「〇〇ちゃん」「☓☓くん」と呼び合って幻想の世界で幸せに過ごすのも決して悪くないような気もする。

ここまでの話から最終的に僕が出した結論は「恋愛は「幻想」、でもだからこそ夢がある」というもの。

恋愛マンガは大抵ハッピーエンドで終わる。その後の人生が語られることは結構少ない。「逃げるは恥だが役に立つ」みたいな例外はあるけれど、大抵は「めぞん一刻」みたいに紆余曲折を乗り越えた大恋愛の末に子供が生まれた幸せの絶頂で終わることが多い。その先を知りたい、と思う気持ちよりもきっとみんな「ここで終わるのがいい」とどこかで納得しているんだと思う。

でも、「幻想」だからこそ「恋愛」には夢がある。

厳しい現実に翻弄される恋愛マンガもあるけれど僕は途中で読む気力が尽きてしまう。夢は楽しい夢であってほしいと思しそれでいいと僕は思う。

初々しい若い二人の「幻想」でもその恋愛の空気を感じていることで読む人もきっとちょっと表現しにくいけど「酔える」ものがあるんだと思う。恋愛マンガは事実3〜50代の年代層の方が若い人よりも読む、というデータもあるというのも納得できる。

コロナで離れ離れになってしまった二人がまたいつか「恋愛」という幻想のもとにもう一度出会ってももちろんいいし、違う誰かと夢を見たっていい。その先に「現実」があって絶望したとしても本の中でもいいし、リセットした現実世界でもいい、永遠に「恋愛」という夢に酔う権利は誰にでもあると思う。

願わくば、「恋愛」が終わった後にも幸せな夢を見つづける人が一人でも多くなってほしいと思う。僕もこれを書いていたら何だか自分の奥様をハグしたくなってきた。

きっと嫌がられるだろうけど。


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