プログラム解説とベートーヴェン

note始めてみました。ベートーヴェンについて書くのにツイッターで足りるはずもなく。
ちょうど当日に配るプログラムノートもそろそろ考えなきゃいけないし、下書きがてらのんびりと気ままにプログラムについて語り始めようかと思います。

そもそも僕は、今まで聴いたことがないものを聴く、見たことがないものを見る、経験したことがないことを経験する…ということが好きです。岡本太郎風に言う「何だ、これは!」って体験が猛烈に好きなんです。
それは“曲”でも“演奏(解釈)”でもいいし、極端なこと言うと映画でも小説でも絵画でも何でもいいです。だからグールドでもいいし、クセナキスでも、チャップリンでも、ルノワールでもいいのです。何か僕にそのような特別な体験も与えてくれるものに強烈に惹かれます。(それはただ奇抜だとか個性的だとかそのような意味ではないし、所謂正統派でもそのような体験を感じることももちろんあります。)
恐らく、ちょっと人よりマニアックに芸術鑑賞する方はこのことに多少なりとも共感してくれるの人がいるのではないかなぁぁなんて思っています。

そんな僕が“曲”に限って、今まで生で聴いて衝撃だったものベスト3のうち、その中の1つがベートーヴェンのソナタ32番op.111です。
その演奏の素晴らしさ(ピアノ:小菅優様)もあってのことだったとは思いますが…行き場のよくわからない展開、分断された旋律、次々現れる不思議な変奏、そもそも調性一体何が起きてるの?あれ、これいつの時代の音楽だっけ?…等々、僕の中の感覚がいろいろ混乱していって未知の世界に連れていかれ、最終的に得も言えぬ感動に至ったことを未だに忘れられません。

ベートーヴェンがピアノソナタで32曲かけてソナタ形式のみならず、音楽そのものの可能性をどんどん拡大していき、その最後の32番がこのような作品、ということに僕はとても意味を感じます。31番と32番の順番が逆ではだめなんです(31番も同じくらい好きですが)。32番においてベートーヴェンは、「音楽の表現にはまだまだたくさんの可能性があるんだよ」ってことを後世に残してくれた気がするのです。後の調整崩壊を予期するようなもの、リズムの追求、印象主義とさえ思うような雰囲気、など、いろいろな要素を示して敢えてそれを最後のピアノソナタとしてくれたのです。…はい、これは私見と妄想です。
要するに、ベートーヴェンのこのソナタはその後の未来の音楽と組み合わせて何の違和感もないのです(超主観)。そのベートーヴェンが遺してくれた音楽の可能性から現代に至るまで繋がるもの、それらを自由に組み合わせてプログラムしよう、というところから今回のプログラムを組み立てています。

言葉にして書くのは難しいですね。まだまだ語りたいことはたくさんありますが、まとまらなそうなのでとりあえずベートーヴェンについてはこんなことろで。

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