ジェフスキ 「不屈の民」変奏曲

「不屈の民」変奏曲は、20世紀後半に作られたピアノ音楽の最高傑作の1つと言うべき作品である。テーマと36の変奏曲から成り、演奏時間は約60分。非常に長大でありながら、シンプルなテーマと大きく変化に富んだ変奏、そして強烈なメッセージ性で多くの人々の心を打つ作品であり、現代音楽の中では異例の人気を持っている。
「不屈の民」は原語はスペイン語で、「¡El pueblo unido, jamás será vencido!」英語では「The people united will never be defeated!」日本語に直訳すると「団結した人々は決して屈しない」となる。

1.ジェフスキとは

フレデリック・ジェフスキは1938年アメリカのマサチューセッツ州生まれ、現在ベルギー在住の作曲家でピアニスト。現代音楽の世界でとても重要で、強い影響力を持つ存在である。ハーヴァード大学、プリンストン大学で学んだ後、イタリアに渡りダッラピッコラに師事。ヨーロッパ各地で活躍する。
ピアニストとしても幅広く活躍しており、自作だけでなく、ベートーヴェンなどのクラシックの作品から、ブーレーズ、シュトックハウゼン等、同時代の重要な作曲家の作品の優れた弾き手としても知られている。

2.現代音楽とジェフスキの作風

現代音楽とは、だいたい20世紀後半以降に作られた、クラシック音楽の流れの延長線上にあり、新しい表現や実験的な手法などを用いている音楽のことを言う。
19世紀後半から20世紀前半にかけて、調性の崩壊による不協和音の多用、数学を用いた構成など、音楽はどんどん複雑化していった。その結果、人間が感知することができないレベルでの複雑さや、一般的な聴衆の理解をあまりにも超えた作品も多く作られてきた。

そのため、より聴衆に受け入れられやすい現代音楽を作ることを模索し始める作曲家が出てくるようになる。そこで生まれた音楽が、〝新しい単純性〟や、〝ミニマルミュージック〟などである。〝新しい単純性〟はアルヴォ・ペルトやヴァレンティン・シルヴェストロフなどが有名で、極めて音が少なくシンプルで人に癒しを与えるような音楽であり、〝ミニマルミュージック〟はスティーブ・ライヒやフィリップ・グラス等が代表的な作曲家で、その音楽はテクノミュージックなどへと通じる。

そこでジェフスキはどうしたかと言うと、人々に馴染みのある民謡や、ポピュラーソングを用い、それを現代音楽の作曲技法と組み合わせて新しい音楽を作り上げる、というスタイルを築き上げた。先人や同時代の作曲家の複雑な作曲技法を吸収し、それを聴衆を遠ざけるものでなく聴衆に語りかける手段として使うようにしたのである。また彼は思想的な態度や社会問題などをテーマとして曲に盛り込んでおり、社会派の作曲家としても知られる。

3.作品の歴史的背景

この曲のテーマ「不屈の民」の原曲は南米チリで作られた革命歌である。
1970年、チリでは世界で初めて、選挙による社会主義政権が誕生した。大統領はサルバドール・アジェンデ。「反帝国主義、平和革命」をスローガンに掲げ、世界的に注目され、民衆の支持を得ていた。しかし、急進的な政策は保守勢力やアメリカ政府の強い反発を招くこととなる。その結果、アメリカ政府の支援の元、アウグスト・ピノチェト将軍の率いる反政府勢力が1973年に軍事クーデターを起こした。
これにより、そのクーデターに反発した民衆が全国で約10万人逮捕され、約3万人が軍によって虐殺された。また不当逮捕や拷問などが行われ、競技場に収容されて監禁、虐殺されるなどの悲惨な事態も起きた。

このような悲惨な状況の中で、「不屈の民」は1人の無名なストリート・シンガーによって作られた。たまたまそのストリート・シンガーが広場で叫ぶように歌う様子を見て心を打たれた音楽家セルヒオ・オルテガが、後にそのメロディから楽曲として作り上げ、発表したのである。
その後、この曲は一気に人気が出て、アジェンデ政権のときはチリの第2の国歌として歌われた。その後、ピノチェト率いる軍事政権に変わり、アジェンデ政権時の議員の多くがイタリアへ亡命。当時イタリアに住んでいたジェフスキがこの曲を知ることとなった。

4.構造

「不屈の民」のテーマが始めに演奏され、36個の変奏を経てまたテーマが戻ってくる、という構造になっている。
その36の変奏は、6つずつに分けることができる。それぞれ6つの変奏ごとに1つの「サイクル」として塊となっている。また、それぞれのサイクルにはキャラクターがある。

・第1変奏〜第6変奏
→ サイクル1 : 単純に
・第7変奏〜第12変奏
→ サイクル2 : リズム
・第13変奏〜第18変奏
→ サイクル3 : メロディ(抒情的)
・第19変奏〜第24変奏
→ サイクル4 : 対位法(対立)
・第25変奏〜第30変奏
→ サイクル5 : ハーモニー(同時性、自由さ)
・第31変奏〜第36変奏
→ サイクル6 : 組合せ(要約)

また、各サイクルの中の変奏はそれぞれのサイクルに対応するようにキャラクターを持っている。要するに、
第1,7,13,19,25,30変奏→単純に
第2,8,14,20,26,31変奏→リズム
…となっている。つまりそれぞれの変奏はサイクルとしての大きな括りのキャラクターの中で、さらにそれぞれの変奏のキャラクターを掛け合わせて出来ている。
例)
第1変奏→単純×単純、第20変奏→対立×リズム

それぞれのサイクルを補足すると、
サイクル1: 序奏
サイクル2: スケルツォ
サイクル3: 緩徐楽章(ブルース的→ロマン派的に発展)
サイクル4: ジャズ的超絶技巧
サイクル5: ミニマルミュージック
サイクル6: 全てのまとめ。フラッシュバック
となる。

またサイクル2ではシュトックハウゼンのパロディ
サイクル3ではイタリアの革命歌“Bandiera Rossa(赤い旗)”のメロディの引用
サイクル5ではミニマルミュージックの中にバッハのパロディ、またドイツの作曲家ハンス・アイスラーの革命歌“Solidaritätslied(連隊の歌)”
が含まれている。

また、第36変奏とテーマの間には約5分間自由に奏者が即興演奏を行う部分がある。

5.まとめ

ジェフスキ本人は、この作品について次のように語っている。

“言葉では的確に表現できないかもしれないが、この曲は現実の出来事に基づいて作られ、その物語を音で伝えている。世界中の人々が自由と独立を望んでいることを思いながら、この曲を作曲した。(中略)ここで用いている技法は、聴衆を疎遠にするのではなく、通じ合うためのものである。”

このジェフスキの言う“物語”が具体的にどのようなものかは語っていない。しかし、第1変奏“単純×単純”の、少ない音から始まり、大きなドラマを経て第36変奏の“要約×組合せ”でそれまでの全てを集結させるということや、バッハから現代の作曲家、またイタリア、ドイツの革命歌など、古今東西様々な音楽を引用していることや、第36変奏の後のテーマに戻る前に、何を弾いても良いという自由に至ることなど、正に団結した人々が何事にも屈せず、自由の獲得へ向けての努力を続けていることを音楽で表していると言える。

この作品が作られたのは1970年代で、その時の社会問題を取り上げられていることは確かだが、問題は違えど今も世界中でデモが起き、戦争も絶えず起きている。本当の自由への獲得に向けての人類の戦いは常に続いており、強い意志を持って団結して立ち向かうことの大切さや、過去の悲惨な歴史を繰り返してはならないということをこの曲は訴えているのかもしれない。

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